山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
青森県六ヶ所村で日本原燃が建設中の核燃料再処理工場に、原子力規制委員会は7月29日、安全対策の基本方針が新規制基準に適合すると認める審査書を正式決定した。原燃は2021年度中に完成を目指すという。
再処理工場は1993年に着工され、97年完成が予定されていた。ところが事故や故障が多発し、完成予定は24回も延期された。建設費は7600億円が2兆9千億円に跳ね上がり、稼働すれば莫大(ばくだい)な運転費が発生し、事業総額14兆円に膨らむという。
日本各地の原発から出る使用済み核燃料を処理してプルトニウムを抽出するのがこの工場の役目だが、プルトニウムを燃料にする高速増殖炉「もんじゅ」はすでに廃炉になっており、恐るべきカネ食い虫の再処理工場は、完成しても「無用の長物」になりそうだ。
◆初任地で経験した痛恨事
「核のゴミから無限のエネルギーを取り出す」核燃サイクル構想は、「もんじゅ」の脱落で、「見果てぬ夢」となっている。プルトニウムは核爆弾の原料にもなる危ない核物質だ。東京電力福島第一原発事故で安全規制が厳しくなった原発は、もはや採算に合わない事業になっている。再処理工場は失敗を繰り返している間に、「時代遅れの迷惑施設」になってしまった。
「安全」のお墨付きが出たところで、なんの意味があるのだろうか。六ヶ所村を舞台とする「壮大な無駄」を見るにつけ、脳裏に蘇る嫌な思い出が、私にはある。初任地として赴任した青森で経験した「痛恨の特ダネ事件」だ。
1973年秋、私は青森県警を担当していた。「サツ回り」は2年になり、内部情報が時たま入ってくるようになった。「捜査2課が青森市長を狙っている」。市会議事堂の建設に絡む汚職事件らしい。受注した設計事務所から市長側にカネが渡ったという。業者は「市長によろしく、と弟にカネを贈った」と自供している。弟を逮捕し、市長の容疑を固める方針だ。他社は気付いていないようだ。
毎朝、弟が経営する米屋を張り込んだ。雪の降る日、捜査二課が動いた。弟は連行され、家宅捜索が始まった。ところが県警は逮捕を発表しない。密かに捜査二課長を呼び出し、事実を確認した。
課長は「弟は逮捕した。市長の取り調べはまだしていない」と認めた。翌日の青森県版のトップに、「市長の実弟逮捕」の見出しと家宅捜索の写真が載った。
朝日新聞のスクープで大騒ぎになり、県警本部長は記者を集め「実弟は現金を受け取ったことを認めた。市長からも被疑者として事情を聴いた」と明かした。
青森市長は記者会見し、「私はカネを受け取っていない。しかし弟の行為に道義的責任がある」として、市長を辞任した。
捜査はここで止まった。弟は「処分保留」のまま釈放され、事件は不起訴になる。担当検事は「弟には市会議事堂をどこの業者に委ねるか権限はない。カネを受け取っても贈収賄は成立しない」と説明した。
後日、検事は「あの事件は初めから筋が悪い、と思っていたが、県警はやりたがっていた」と教えてくれた。辞任した市長は、「保守王国」青森で珍しい「革新市長」だった。自民党県議から党を割って市長選に出馬し、野党の応援を得て当選した。その後、共産党も相乗りし、革新勢力の星となっていた。県警は潰しにかかった、と考えると納得がいく。
市長は負けてはいなかった。「市民の声の審判を仰ぐ」とやり直し選挙に打って出て、再選を果たした。労働組合など革新勢力が総がかりの圧勝だった。
そんな時、知り合いの公安警部から、「山田さん、いっぱい食わされたね」と声をかけられた。「でも、選挙で再選されたじゃないですか」と言うと、「わかってないな、狙いはそっちじゃないよ。六ヶ所だ」と言う。「どういうこと?」と尋ねると、驚く答えが返ってきた。
◆警察は時に記者を利用する
青森市長選と同じ日に、六ヶ所村の村長選があった。現職で開発反対を叫ぶ寺下力三郎村長が敗れ、開発推進派の古川伊勢松氏が当選した。六ヶ所村の巨大開発反対闘争は県内の革新勢力にとって象徴的な運動だったが、革新市長を守るため主力は青森に注がれ、手薄になった六ヶ所で、よもやの敗北を喫したのである。わずか10数票の差で反対派村長が引きずり下ろされた。
「青森の汚職事件」を私が嗅(か)ぎ回っていることを捜査2課は気付いていた。逮捕しても弟が兄への受け渡しを認めなければ立件できない。それでも事件にしたのは、実弟を逮捕すれば朝日新聞が書き、大騒ぎになる。兄の市長は窮地に立つ。逮捕を六ヶ所村長選に合わせれば、革新勢力の勢力は分断される、と読んだのだろう。
警察庁人事で青森にやってきた本部長は、野心剥(む)き出しのやり手だった。無理筋の事件もメディアが取り上げれば、革新市長と開発反対派村長を両睨(にら)みする「王手飛車取り」になる。
「本部長主導の事件だった」という後日談も耳にした。捜査の指揮を執った二課長も警察庁人事。まだ20代だったが、その後、出世街道を歩み、警察庁長官まで上り詰めた。
今になれば、なんて幼稚な取材をしていたのか、と思う。「汚職事件で特ダネを」と突き進み、警察の手のひらの上で踊らされた。罠(わな)だったと知って、ただ唖然(あぜん)とするばかり。顛末(てんまつ)を再取材して「警察の謀略」を検証しようという発想すらなかった。
六ヶ所村は、当選した古川村長が「再処理工場」の受け入れを進めた。今に至る路線はあの村長選が契機となった。
記者は決して第三者ではない。自分で意識しなくても、状況という舞台で、時にはとんでもない役柄を演ずることもある。警察は政治的な機関であり、熱心なだけでは記者は利用される。そう気付かされた事件でもあった。
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