内村 治(うちむら・おさむ)
オーストラリアおよび香港で中国ファームの経営執行役含め30年近く大手国際会計事務所のパートナーを務めた。現在は中国・深圳の会計事務所の顧問などを務めている。オーストラリア勅許会計士。
米国の資本市場は、資本調達をもくろむ海外の企業にとって潤沢なリスクマネーを呼び込めるとともに、経験豊富で優良な機関投資家にアクセスできるという、他の市場に比して大きな優位性があると言える。また、その他の利点として、優秀な人材を確保したり、米国市場でのブランド価値が上がったりすることも挙げられる。
日本企業は、ソニーが1970年にニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場して以降、NYSEには累計で23社が上場したが、グローバル化の進展や事務負担の軽減なども背景に漸減。NYSEに上場している日本企業は現在、11社となっている(注:米ナスダック市場で現在、継続上場している日本企業はない)。
◆香港証取で相次ぐ大型IPO
これに対し、米国で上場する中国企業の数は、新たな大口の資金調達方法だけでなく、米国での上場を一つの事業成功の目安としたり、海外市場に進出するための試金石にしたりするため、米国預託証券(ADR)発行企業を含め、2000年代から漸増。今では200数社に増えている。電子商取引大手アリババグループやネット検索大手の百度(バイドゥ)など名だたる企業も上場しており、その時価総額の合計は1兆ドル(100兆円超)を超えている。
中国本土の資本市場は上海と深圳にあり、両証券取引所の時価総額は2017年時点で総額900兆円を近くになっている。半面、質的には個人投資家が中心で投機的な投資が多く、相場変動が大きいとの評価もされていた。ただし、最近では資本市場に関する情報も多くなり、個人投資家の投資行動も海外の成熟市場により近い安定投資や長期投資にも向けられるなどしている。
上海と深圳の株式市場には、それぞれに「A株」(取引通貨は人民元)と「B株」(取引通貨は、上海は米ドル、深圳は香港ドル)が存在する。A株は元々、中国国内投資家向け、B株は外国人投資家向けだったが、徐々に規制が緩和され、限定的ながら外国人もA株に投資できるようになってきている。また、B株はすでに中国国内投資家に開放されている。
ただ、A株市場への海外からの投資家の参入は依然少なく、東京市場のように海外株主はおらず、また、機関投資家の成熟度にも限界があると考えられている。
中国のこうした資本市場の現状に加え、政府の進める「一帯一路」戦略などに乗った中国企業の海外戦略を背景に、一国二制度下の香港の株式市場でルール改正の動きが加速している。
これについては、特にIT系を中心とした民営企業が、昨年4月に導入された「デユアル・クラス株式」と呼ばれる「議決権種類株」を利用するなどして、上場先を香港証券取引所に向けている。議決権種類株は、金銭的価値は同じだが議決権に差がある2種類の株式を発行できる。これにより、創業者の支配権を失わずに資金調達が可能となる特定の種類の株式に最大10倍の議決権を持たせることが可能になった。こうして香港証券取引所では、携帯電話事業の小米(シャオミ)が2018年7月に、携帯電話基地局を運営する国営の中国鉄塔(チャイナタワー)が同8月に、相次いで大型の新規株式公開(IPO)を行った。さらに、NYSEに上場しているアリババが2019年11月、香港証券取引所にも重複上場(デュアルリスティング)した。
◆米の外国企業説明責任法案の行方
しかし、中国企業の海外での上場は今後、大きな転換点を迎えるかもしれない。
米上院は今年5月、法案「外国企業説明責任法」を全会一致で可決した。同法は米国の会計監査の規制を順守しない中国企業を念頭に置いているとされ、米国で上場している外国企業に対して、米国内の投資家保護を目的に、経営管理上の透明性と独立性を求める内容だ。中国企業を含むすべての外国企業が同法の適用対象となり、外国企業は3年連続して米国の公開企業会計監視委員会の監査基準に満たなかった場合、または違反した場合、米国で上場廃止となる。同法はまた、米国に上場する外国企業に対して、自国政府の支配下にないことを証明しなければならないと規定している。
筆者が以前いた会計事務所でも10年ほど前、米国で上場した中国企業に対する公開企業会計監視委員会の監査への対応の難しさを議論したことがある。たとえ一企業の事例であっても、中国政府が「国家機密」だと主張して開示を禁止している情報や書類について、米当局からの提出要求には応じることはできず、対象企業にとってはまさに板挟みとなる。監査法人による外部監査だけでなく、公開企業会計監視委員会が外国企業の決算などの監査を直接行うのは、米国内の投資家を保護するという意味では重要であると理解できる。同法は必ずしも米国で上場している中国企業だけを狙い撃ちしたものではなく他の外国企業にも適用されるが、事実上、中国企業を念頭に置いているとみられる。
こうした一連の動きの背景には今年4月、中国版スターバックスとも言われる、米ナスダック市場に上場する中国のコーヒーチェーン「ラッキンコーヒー(瑞幸珈琲)」が2019年第2四半期から第4四半期にかけて22億元(約339億円)の売上を水増ししていたと発表したことや、NYSEに上場するオンライン教育大手の「TAL(好未来教育集団)」で社員が取引先と共謀して売上高を水増ししていたことが明らかになるなど、中国企業の経営管理上の信頼性と透明性について疑念を生じさせる問題が相次いだためだ。
法案は、下院が可決し、トランプ大統領が署名すれば成立する。そうなれば、米国で上場する中国企業は3年以内に公開企業会計監視委員会による直接監査を受ける体制を整えなければならない。11月に迫った米大統領選の行方にもよるが、現在の中国政府の姿勢や米中関係を考えれば、米国での上場維持を諦めざるを得なくなる中国企業も出てくるとみられる。
ここ数年、民主化要求デモや「国家安全維持法」(今年6月施行)で混乱が続く香港が、資本市場として改めて脚光を浴びる日が来るのか、また、米大統領選をはさんで、米国で上場する中国企業がどのように推移していくのか。それらの動向を注視していきたい。
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