п»ї 発達支援から「ことば」を考え、夕闇に「つなぐ」まで 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第200回 | ニュース屋台村

発達支援から「ことば」を考え、夕闇に「つなぐ」まで
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第200回

9月 28日 2020年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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◆「つなぐ」発刊へ

今秋、私どもの「みんなの大学校」が運営するケアメディア編集部は、一般財団法人発達支援研究所(山本登志哉所長)と共同で、発達支援に関する冊子「つなぐ」(季刊発行)を発刊することになった。この創刊号特集として企画されたのが、山本所長と私、そして東京大学先端科学技術研究センターの綾屋紗月さんによる鼎談(ていだん)「当事者が生きやすくなるためのてがかりをさぐる―言葉をつむぐ、つながる、ひろげるためにできること」である。

それぞれの立場からの、ことばには新しい発見と気づきの連続で、浮かび上がってきたのは「つなぐ」というキーワードだった。3人の立場である、「アスペルガー症候群と診断された当事者、当事者研究の実践者・研究者」(綾屋さん)、「発達心理学とディスコミュニケーションの心理学の研究者」(山本所長)、「障害者支援や『学び』に焦点を当てた支援実践者及びメディアとケアをテーマにした研究者」(私)のそれぞれから見える風景はやはり違っていて、そこに面白さがある。

コミュニケーションとは違いを知るようなもので、ディスコミュニケーションの前提であったりするのだと実感した。

◆支援とは「つなぐ」こと

この鼎談の詳細は「つなぐ」創刊号でお知らせするとしながらも、山本所長も「はつけんラボ」のブログ<https://hatsuken.or.jp/labo/blog/detail/8753/>で、鼎談終了後すぐに紹介している。

「今回いろいろ話し合う中で、気持ちにすっと収まった言葉がありました。それは『支援とはつなぐこと』なんだということでした」との総括は、まったくの御意。支援について、「定型的な基準に一方的に従わせる」形になってしまいがちな状況にならないために大事なのは「その子の特性からくる感じ方、考え方については、それはその子にとってリアルな現実からくるものだ、ということで受け入れ、そのうえで、違う定型的特性から生み出されている社会の仕組みとうまく折り合っていく技術をさぐっていくこと」だという。

この支援こそが「お互いにお互いの世界を認めたうえで、一方に他方を従わせるのではなく、その二つの世界を『つなぐ』工夫をすることなんだと思います」と綴(つづ)った。

◆「話す」という「つながり」

綾屋さんの当事者としての感覚は、医師で「脳性まひの車いすユーザー」である熊谷晋一郎さんとの共著『つながり作法 同じでもなく違うでもなく』(NHK出版)でも、分かりやすくかつ新しい感覚に誘う表現で示されており、その「当事者の世界」に支援者としては強い関心を覚えつつ、「定型である自分」を見つめ直すことも促した。

同書は熊谷さんと綾屋さんが当事者の立場から、つながるについて論考を展開し、発展し、最終章にたどり着くと何か解決に向けた光が差すと思いきや、綾屋さん執筆の最終章のタイトルは「弱さは終わらない」である。

そこで綾屋さんは「残念ながら私の弱さはなくならないようだ。未来に向けて回復していく自分とは別に、毎回ささいなことをきっかけに、傷を負った最もつらいあの時間にタイムスリップする回路は、並行して在り続ける。きっとまだずっとつき合い続けなければならないもので、誰かに話し続けなければならないものなのだろう」と当事者である自分を客体化して捉える。

そこで浮かび上がってくるのは、「話す」という「つながり」である。

◆疼きへの共感

「ことば」と「つなぐ」は親和的であり、お互いがお互いを必要としているようで、ことばは意思を、つなぐは意志を伴っているかもしれない。鼎談を終えた私には清々しく、この言葉に向き合おうと思っている。

熊谷さんは前掲書の「あとがきにかえて」で、当事者の生きづらさを夕闇の時間、ひとり過ごす寂しさや疼(うず)きに例えている。だからこそ、当事者の言葉をつなげる「言いぱなっし聞きっぱなし」の分かち合いは、「夕闇の時刻に行われる」とし、こう結ぶ。

「それはあなただけではなく、多くの仲間もまた、今日の夕暮れを生きのびられそうにないからかもしれない。ひとりで見る夢は悪夢でも、それを仲間と分かち合えばつながりになる。傷から絆(きずな)へ。きっとあなたに必要なのは、そんな夢うつつの夕暮れ時を一緒に過ごす誰かなのではないだろうか」。

その疼きの現実に共感しつつ、夕闇を清々しい気持ちで過ごせるように知恵を絞りたいと思う。

■学びで君が花開く! 支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校

http://www.minnano-college-of-liberalarts.net

■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム

http://psycure.jp/column/8/

■ケアメディア推進プロジェクト

https://info3586507.wixsite.com/caremedia

■引地達也のブログ

http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

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