山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
10月3日土曜の朝7時過ぎ、まだ通行人がまばらな東京・神宮前。ハワイ風レストランに、年配の男たちがゾロゾロやってきた。先頭に菅義偉首相、待ち受けた50人余りの番記者を相手に「懇談」が1時間半ほど催された。
◆完オフ懇に3社が不参加を表明
内閣記者会の加盟社に、記者クラブの幹事から連絡があったのは9月下旬。
「菅総理と総理番記者との完オフ懇を行いたいとの申し出が総理秘書室からあり。クラブ加盟の常勤19社に所属する記者が対象。日時は10月3日と10月10日、いずれも土曜日の朝8時から朝食懇という形で、場所は未定。首相秘書官も参加する予定」
ジャパンライフ元会長の山口隆祥容疑者が逮捕され、安倍晋三前首相の「桜を見る会」に山口容疑者が招かれていたことや、加藤勝信官房長官が広告塔に使われていたことなどが問題にされていた。官邸は説明責任を問われ、野党は国会開会を求めていた。そんな最中の完オフ懇(完全オフレコ懇談会)。「聞いたことは一切報道しないことを前提に首相が記者に話をする」。これが「オフレコ懇」だ。会場は菅が好物とするパンケーキのレストランの「Eggs’n Things原宿店」に決まった。
朝日新聞、東京新聞、京都新聞の3社は不参加を表明した。「首相は日本学術会議の新会員に6人を任命しなかった問題をめぐり『法に基づいて適切に対応した結果です』と記者団に答えるにとどめています。朝日新聞は、首相側に懇談ではなく記者会見などできちんと説明してほしいと求めています。首相側の対応が十分ではないと判断しました」(朝日新聞10月4日付朝刊)
◆記者を取り込む仕掛け
権力取材には様々な形がある。代表的なのが首相記者会見。首相が記者の前に立ち、自分の考えを述べ、質問に答える。主催は記者クラブだが、内閣広報室の役人が司会に立ち、質問者を選ぶ。事前に「質問取り」が行われ、首相は「想定問答」に沿って紙を読みながら答えることが多い。会見はテレビ放映され、全容は首相官邸のホームページに載る。官房長官は、平日の午前と午後の2回、記者会見で政府の考えを述べる。公式発言はこの二つ。
非公式の取材に「懇談」がある。カメラなし。メモは取っていいが、発言者は誰か、は公表しない。官房長官や副長官が行うが、「政府筋によると」とか「政府首脳は」などネタ元が特定できない形で記事にすることはOK。政権側は、発言の責任を問われることなくメディアを通じて考えを拡散できる。ほぼ毎日行われている。
「オフレコ懇談」は、「聞いたことを書かない」という約束で取材すること。記者の理解を助けるため、というと聞こえがいいが、権力者にとって都合のいい話を「ここだけの話」として吹聴する仲間内の取材である。「完全オフレコ」は、メモをとることも禁止。何を話したかも口外してならない「きつい縛り」がある。記者にとっては権力者が本音や舞台裏を語ってくれる貴重な取材機会とされるが、発信者は「情報」で釣って「秘密」で縛り、記者を取り込む仕掛けでもある。
◆言いたいことは「メディアに語らせる」
話は横道に外れたが、政権の始動と同時にジャパンライフや日本学術会議の問題などのっぴきならない事態にさらされた菅首相にとって、メディア対策が重要になっている。
共同通信の論説副委員長だった柿崎明二氏の一本釣りもその一環だろう。『検証 安倍イズム-胎動する新国家主義』という新書を岩波書店から出した記者である。政権を批判的に見るメディアの手の内を知り、その方面に人脈を持つジャーナリストを首相補佐官に取り込んだ。
菅首相は、自分の言葉で語るという表舞台での発信は得意ではなさそうだ。「裏で相手を取り込むのが上手な政治家」と言われてきた。官房長官として「政権の耳」とされる内閣情報調査室の情報を握り、領収書のいらない官房機密費を使い、内閣人事局で官僚を支配した。情報とカネと権限を縦横無尽に使った7年8カ月の蓄積で、メディア関係者との接点を増やした。
会見は「官僚作文の棒読み」で説得力に欠ける。その代わり、メディアを使って世論を誘導することに力を入れている。
日本学術会議への人事介入を例に取って見てみよう。政府に批判的な発言をした「6人の学者」を選任しなかったのは、明らかに権力の濫用(らんよう)だ。これまでの政府の法解釈から逸脱している。それを、「法に基づき適切に対応した」「総合的・俯瞰(ふかん)的に判断した」と繰り返すだけで、理由や根拠を示さない。説得力はまるでなく、説明責任を果たそうとする姿勢さえ見られない。
そんな首相に代わって雄弁に語るのは、テレビのコメンテーターや新聞論説だ。
産経新聞は社説で「襟をただすべきは日本学術会議の方である」と主張する。軍事研究に慎重な姿勢を示す学術会議を「防衛省創設の研究助成制度も批判し、技術的優位を確保する日本の取り組みを阻害しかねない」と批判、「学術会議は活動内容などを抜本的に改革すべきである」と主張している。
学術会議に問題があるのだから、政府を批判する学者を外すのは当然と言わんばかりだ。これが菅首相の言いたいことではないだろうか。
フジテレビ系列のワイドショーでは、フジテレビの平井文夫上席解説委員が、学術会議を「(会員は)6年ここで働いたら、日本学士院というところにいって年間250万円の年金がもらえるんですよ。死ぬまで。皆さんの税金から。そういうルールになっている」と語った。全くの事実無根で、後に発言を訂正することになるが、学術会議のメンバーは特権に胡座(あぐら)をかいているかのような印象を与える発言である。
こうした「論点すり替え」は、テレビのワイドショーを中心に広がっている。「学者の代表=特権階級=既得権益」で、それに切り込む首相は「改革者」という取り上げ方だ。
菅首相は、こうした応援団づくりを官房長官だった7年8カ月の間に着々と進めてきた。権力情報を握る官房長官に誘われれば、「ここだけの話」が聞けるだろう、と記者は悪い気はしない。
番記者を相手にした「パンケーキ付きオフレコ懇談」は、この手法を「みんなまとめて面倒みる」催しだ。一本釣りでなく、トロール網で捕獲する。
どんなことが話されたか知らないが、その後の産経新聞の社説やフジテレビの解説委員の主張に首相の意図は表れているように思う。自分は語らず、口を開けば無内容。尻尾をつかまれなければそれでいい。言いたいことは「メディアに語らせる」。代弁者はあちこちにいる。記者にとって「ここだけの話」は、パンケーキより甘い。
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