п»ї 大阪都構想否決 「維新」という新自由主義の挫折 『山田厚史の地球は丸くない』第175回 | ニュース屋台村

大阪都構想否決 「維新」という新自由主義の挫折
『山田厚史の地球は丸くない』第175回

11月 06日 2020年 経済

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

東京のような都政に、と地域政党・大阪維新の会が主導した「大阪都構想」は、大阪市民の投票で否決された。11月1日に行われた住民投票は、賛成675,829、反対692,996、約1万7千票の僅差(きんさ)だった。

大阪市を二分した争いは、2015年に行われた前回と同様、賛成多数を占めることはできなかった。松井一郎市長は、維新の会代表の辞任と市長任期の満了(2023年)をもって政界から引退することを表明した。

◆「フワッとした民意」の行方

都構想は2010年、大阪維新の会が結成された時、旗印として掲げられた。提唱者は初代代表の橋下徹。2008年、大阪府知事になった橋下は、権限が大阪市に及ばないことに歯がゆさを感じた。「大阪改革」を掲げても、大阪市は政令指定都市で府と同格、府知事の「縄張り」は大阪市を取り囲む周辺市町村に限られ、商都大阪のトップに立つことはできなかった。

大阪に限らず、横浜市と神奈川県、名古屋市と愛知県など、大規模な政令指定都市を抱える県知事は、同じ立場にあるが、行政に大ナタを振るって大阪を再興させたい橋下には、「府と市の二重行政」は許せなかった。大阪市を解体して吸収する「大阪都知事」になる野望を抱いたのである。

2011年、市長選に打って出た橋下は市制廃止に反対する現職の平松邦夫を破り、大阪市長に就任。府知事を託した松井一郎と組んで、府市一体化に乗り出す。掲げたスローガンが「大阪維新」だった。

規制緩和、既得権益打破、身を切る改革。並べたお題目は、小泉純一郎元首相が推進した「構造改革路線」そのものだった。

2001年、「自民党をぶっ壊す」と主張して首相になった小泉は、改革に反対する勢力を「守旧派」と切り捨て、人気を集めた。橋下もこの手法を取り、二重行政打破に反対する自民議員や野党、労働組合を「守旧派」と攻撃した。小泉が「郵政民営化」を掲げたように、橋下は「大阪都構想」を改革派か守旧派かを区別する旗印にした。

橋下は、大阪維新を支えるのは「フワッとした民意」と語る。大阪には様々な不満がたまっている。1990年代のバブル崩壊と金融危機で経済は失速、リーマン・ショックでリストラの嵐が吹きまくり、頼みの製造業は雇用吸収力を失った。大阪に本社を置く大企業は東京に軸足を移し、経済の一極化が進む。地盤沈下へのいら立ちや将来への不安が広がった。

世界を見渡すと、社会主義政権は総崩れ。効率を競い合う市場原理、生き残るかは自己責任という切羽詰まった空気が世間に漂っていた。

大阪維新の会は、切羽詰まった大阪の世相を追い風に勢力を伸ばした。橋下は雇用が保障される公務員は既得権益の塊(かたまり)のように批判し、「身を切る改革」というスローガンを掲げた。「民間でできることは民間に」という小泉流の小さな政府も市民に受けた。

冷戦後に出現したグローバル経済が市場重視の新自由主義を加速した。競争と自己責任へとなびく「フワッとした民意」が、小泉の郵政民営化や橋下の大阪都構想の底流にある。

新自由主義の旗手となったのは当時、慶応大学教授だった竹中平蔵。政界に打って出て郵政民営化を担当する総務相にもなり、構造改革路線は「小泉竹中改革」とも呼ばれた。2012年、大阪維新の会が国政に進出する時、竹中は候補者選定を担当し、政策アドバイサーとして理論的支柱にもなった。大阪維新は小泉流の新自由主義と大阪ナショナリズムの融合でもあった。

◆「賛成」に転じた公明党の誤算

結党から10年が経ち、今はどうか。冷戦が終わり、資本主義の勝利が意識された頃と、格差社会が露呈した現状では、民意も微妙に変化している。競争の恩恵を受けるのは少数で、人々の多くは賃金が上がらず、貧困が問題になった。効率を高めるはずの競争と自己責任は、息苦しい社会の一因になっている。「改革」の叫びは人々に響かない。

大阪市を廃止することが本当に住民にいいことなのか、という根本問題もよくわからない。府と市が対立していた時は非効率もあったが、協力関係になれば、大きな問題はない。市を四つの区に置き換える経費もかかる。橋下ブームの熱狂から醒めると、市制廃止への抵抗も強まった。

経済のグローバル化で世界を席巻した新自由主義は、今や退潮傾向にある。自国利益が強調され、新型コロナウイルスの感染拡大が国境を高くした。世界は競争より、分配に視線を注ぐようになった。

効果がよく分からない都構想の是非を論ずることが、大阪の今の課題なのか。政界では、都構想に反対だった公明党が「賛成」に転じた。衆議院選で候補者を立てる六つの選挙区で維新に対立候補を立てられることを恐れ、選挙調整と都構想賛成を取引した、とされている。

集票力のある公明党が賛成に回れば逆転だ、と賛成派は勢いづいたが、公明党の支持層に不信が芽生えた。「あれほど強く反対していたのに選挙が怖くて転ぶのか」と、創価学会婦人部を中心に反発が起きた。公明党は山口那津男代表が終盤に大阪入りするなどテコ入れにかかったが、賛成に投票したのは、支持者の半数程度だった。一枚岩のはずだった創価学会との間に亀裂が生じた。

◆遅れてやってきた新自由主義者

「フワッとした民意」だった新自由主義の空気がしぼみ、勢いに乗っていた大阪維新にブレーキがかかった。中央では自民党に寄り添い、大阪では維新になびく公明党は、支持基盤が揺れる。公明・維新に太いパイプを持つ菅義偉首相にも穏やかならぬ事態である。

菅は当時の竹中平蔵総務相の下で副大臣を務め、竹中の推奨で後任の総務相となったことが今日の足場となった。首相になっても「自助」や「改革」を強調するのは、菅の根底に「フワッとした新自由主義」が宿っているからだろう。

遅れてやってきた新自由主義者は、民意や世界動向とのズレを、果たしてどれほど意識しているだろうか。=敬称略

コメント

コメントを残す