山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
新型コロナウイルスの感染者が急増し、「医療崩壊」が現実味を帯びている。PCR検査で陽性がわかっても入院先がない。緊急搬送された急患の受け入れ先がない。感染者や死者は欧米に比べて二桁も少ないのに、どうしてこんなことになったのか。
日本の人口1000人当たりの病床数は世界最高で、13.3床ある。2位のドイツ8.3床を大きく上回り、アメリカは2.9床、英国は2.8床だ。だというのに、病院がパンクしているという。原因は「政治」にある。危機に直面しながら「合意形成」ができない。失敗だったと気づいても「自己修正」できず、ずるずる突き進む。
今求められるのは、「大胆な医療の量的拡大」である。お荷物になっている東京五輪を中止する、という決断で、「政策のコロナ集中」を鮮明に打ち出すことだ。
◆国民への責任転嫁
菅首相の施政方針演説は低姿勢で始まった。「再び制約ある生活をお願いせざるを得ず、大変申し訳なく思います」。珍しく殊勝な口ぶり。緊急事態宣言を再び発令したことをわびた。
標的は「飲食店」である。「東京都で6割を占める感染経路不明の多くが、飲食と見られています」。今国会には、新型インフルエンザ特別措置法と感染症法の改正案が出される。感染対策の実効性を高めるため、行政の権限を強化する、ということだ。
例えば、飲食店に時間短縮などを勧告する権限を知事に与え、従わない店から「50万円以下の過料」を取り立てる。あるいは、入院を勧告された患者が従わなかったり、感染経路調査を拒否したりウソを言ったりしたら「罰金」が科される。
「行政に非協力だと、痛い目に遭いますよ」という厳罰化である。
首相に言われるまでもなく、夜遅くまで飲み歩く人はほとんどいなくなった。外出や外食を控える「行動変容」は広がっており、「罰則を掲げて個人の行動を制限するのは承服できない」という意見がある半面、「自粛だけでは徹底しない」と罰則化を求める声も上がっていた。
危機に直面した時、あるいは緊急事態が発生した時、「どのように合意形成を図るか」は、民主政治の肝だろう。
中国は、武漢(湖北省)で起きた感染爆発を国家主導の「封じ込め作戦」で鎮圧した。都市を封鎖し、外出を禁止し、全員を検査し、陽性者を隔離し、1000床の仮設病院を2棟、突貫工事で建設し、全国から医者・看護師を動員して抑え込んだ。感染の初期、行政による「事態の隠蔽(いんぺい)」でウイルスは爆発的に広がったが、危機を察知した中央政府が「強権発動」で乗り出すと、瞬く間に鎮圧された。
行動の自由や人権より、国策が優先される国家だからできた。独裁国家は「合意形成」は必要ない。緊急時や危機に素早く動けるのは、「独裁」の強みだ。
「話し合い」や「個人の尊重」を重視する民主主義は、その逆である。「船頭多くして船山上る」と言われるように、さまざまな意見が噴き出し、話がまとまらない。民主主義は、危機に直面すると「合意形成」でつまずく。
◆政府は何をしたのか
緊急事態宣言が出された1月13日、記者会見に臨んだ菅首相に、フリーの記者からこんな質問が浴びせられた。
「国民にいろいろ協力を求めるお話ばかりですが、我々が是非知りたいのは、いった政府は何をやってきたのかということです」
「3密」回避、外出自粛、マスク着用、会食をやめて――。政府は国民に指示や説教を繰り返し、従順な国民は「行動変容」に努めてきた。そうして1年が経ったが、その間に政府は何をしてきたのか。1人10万円の特別定額給付金の給付や、休業補償などに予算を投じたが、生活支援であり、感染撲滅に向けた政策ではない。
「コロナと戦う」なら、①感染源対策②感染経路の遮断(しゃだん)③感染治療――のそれぞれに対策が必要だ。3密回避やステイホームは「感染経路の遮断」には有効だが、政府の仕事というより人々の努力である。政府がすべきことは中国の「封じ込め」で明らかなように、感染源対策と感染者治療だ。
徹底した検査で感染者を見つけ出し、隔離すること。発症した人を治療する医療体制の整備。中国だけではない。WHO(世界保健機関)が「検査・検査・検査」と強調するように、どこの国も膨大な検査で患者や汚染地域を割り出し、対策を打っている。感染者の増加には「野戦病院」のような仮設の施設を設け、医療人材を総動員して治療に当たっている。
日本は当初、感染者が少なかったためか、人口あたりの病床数は先進国でトップクラスという慢心があったためか、感染源対策や医療施設の拡充への政策はほとんどなされなかった。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長である尾身茂氏など感染症専門家は「感染経路を追いかけてクラスターを潰していけば感染は収まる」と考え、ウイルスの感染を調べるPCR検査に消極的だった。
感染を心配する人がPCR検査を求めても「37度の熱が3日続いたら」と、事実上シャッタアウトしていた。感染しても多くは無症状だから、重症化した患者だけ治療すればいい、と判断を誤ったことが、後手後手の対応を招いた。
「専門家会議」という参謀本部が、判断と作戦を誤った。首相をはじめとする政治指導者は、コロナ対策を専門家に丸投げし、誤りを「自己修正」することはなかった。
新型コロナは無症状の患者がウイルスをまき散らし、市中に感染を広げていた。昨年3月の段階で「無症状者の拡散」がわかりながら、専門家会議は方針転換に及び腰だった。
◆PCR検査はなぜ抑えられたか
専門家会議のメンバーは、ほとんどが行政医官、御用学者、医療機関の代表である。医療サービスを受ける側ではない。医療を供給する側の人々だ。経営する病院や保健所がテンテコ舞いする事態は避けたいと考えがちだ。「PCR検査をどんどんやれば陽性者が殺到し、病院は大変なことになる」と心配した。コロナ患者をどんどん受け入れれば院内感染の危険が増す。一般の患者が寄り付かなくなる。
日本の医療業界は開業医の比率が高い。感染症の専門家でなく、感染対策も十分でない医院は、コロナ患者を受け入れることに慎重だ。開業医の団体である日本医師会が政治力を持っているのも日本の特徴だ。
PCR検査を絞り込めば、数字として上がる感染者は低く抑えられ、病院が混乱することはない。一方で、無症状感染者がウイルスをまき散らし、「感染経路のわからない患者」が急増した。「このままでは医療崩壊だ」という悲鳴が上がっている。対策を問われると、専門家たちは「感染者をこれ以上増やさないことだ」という。そのためにどうすればいいのか。政府の答えは「感染を広げる飲食を抑えること」(尾身氏)。結局、また生活者に責任が回ってきた。
昨年夏から「冬になったら感染が拡大する恐れがある」と指摘されていた。増えてほしくはないが、感染が増えることへの対策を取るのが政府や専門家の仕事ではなかったのか。
「いったい政府は何をやってきたのか」。メディアはこれまで問うてきたか。「3密を避けなさい」「外出を控えよう」という政府の呼びかけのお先棒担ぎをテレビや新聞は果たしてきたのでないか。
菅首相の施政方針演説の翌日、読売新聞は社説「医療体制の現実に目を向けよ」で以下のように指摘した。
「行政が主導して、コロナの患者を受け入れる病院を増やすとともに、そうした医療機関に医師を派遣するなど、病院間に連携を図る必要がある。コロナの治療を専門とする仮設施設を整備することも、検討に値しよう」
今ごろになって「検討に値しよう」でもないだろう。よその国はどこも、コロナ患者を収容する施設を増強している。
◆民間に協力求める前に
「日本は人口あたりの病床数は世界一。感染者は増えたとはいえアメリカなどに比べると極端に少ない。だというのに、医療崩壊が叫ばれるのはなぜか。政府は適切な対応をしているのか」
記者会見で、外国プレスからそんな質問が出た。菅首相の答えは「国によって医療制度が違う。一概に比較はできない」
日本の医療サービスは開業医が病床の7割近くを占めている。コロナの矢面に立っているのは自治体などが経営する公立病院だが、病床数は全体の3割程度だ。医師会は開業医の利益を守るため、公立病院の増床に抵抗してきた。つまり病床数は世界一だが、危機の時、自治体が提供できる病床数は限られている。
知事や市長は医師会を通じて開業医に、病床の提供を「お願いする」しかない。しかし医院は、感染対策や医療人材の不足を理由に渋ってきた。ベッドはあってもコロナ患者に使えない、というのが現実だ。今回、特措法の改正で、知事は民間病院に病床提供を勧告できるようになった。従わないと、病院名が公表される。そうした権限強化がないと動かない病院もあるかもしれないが、大事なのは、協力して危機に立ち向かう「合意形成」の力だろう。
民間病院に協力を求めるなら、行政がすべきことをまず、やって見せることだろう。
日本で起きている「医療崩壊」は、日本の医療制度によるものだ、と首相や専門家は言うが、責任転嫁の言い訳をしている時ではないだろう。
「大量検査と言われても供給体制が追いつかない」などと、専門家はできない理由を挙げるが、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑(ほんじょ・たすく)京都大学名誉教授は「民間企業が高性能の検査用特殊車両を開発している。これを使えばあちこちで大量検査ができる」と言っている。
東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦名誉教授も「大学はコロナで閉めているが、今こそ研究機関にいる医療人材が表に出て、民間と協力して事に当たる時だ」と、役所や官民の壁を超えた体制作りを呼びかけている。
◆五輪を諦めて全集中のコロナ対策を
専門家の見立ての誤り、自分の庭先を守る医師会、御用学者に政策を丸投げし自己修正できない政府。「日本はうまくやっている」と油断し、気がつけば「生かせる命の選択」が迫られる事態となった。後手後手から抜け出すためには、誤りを認め、大胆な軌道修正が必要だ。
政府は思い切って「医療サービスの量的拡大」へと手を打つしかない。まずは重荷である東京五輪を諦め、全力をコロナに集中する。晴海の選手村や国立競技場などに仮設の「医療センター」を設け、感染者の収容や治療、ワクチン接種の拠点にする。だれもがわかるよう「政策転換」を鮮明に打ち出す。これまでの誤りを認め、国民に協力を求める。独裁国家でなくても、政府に意思があれば、合意形成は決して難しいことではない。
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