引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆だから、やってみたい
「インクルーシブ」という言葉が頻繁に使われるようになって、私も学びの実践の中で重要なキーワードであるとの認識のもと、みんなの大学校で学びを実践しているが、社会にその言葉が広がれば広がるほど、インクルーシブって何?という疑問を突き付けられることがある。
誰もが一緒に学ぶ場のことをイメージしながらも、その定義を分かりやすく示すのは難しい。その中で、1月17日に行われた「共生社会コンファレンスin関東甲信越」の分科会であった学生シンポジウムを見た大学生から、登壇した方々と一緒に授業をしてみたいという申し出があった。
学生らいわく「わからない、知らない、だから、やってみたい」とのこと。インクルーシブの種はこうやって蒔(ま)かれていく。今後どんな果実が収穫できるのだろうか。こんな期待を抱きながら思うのは、やはりインクルーシブ教育は、やってみなければ、交わらなければ、わからない、である。
◆当事者の言葉から
コンファレンスの分科会は「当事者の言葉からデザインする新しい学び―『学ぶ』を体感する学生シンポジウム」と題して、実際に学びの中にいる方が登壇し、発表し、自分の意見を言い合った。登壇したのは東京都練馬区の「モアタイムねりま」から3人、同練馬区の「i-LDK」の2人、茨城県つくば市の「シャンティつくば」の1人と、東京都国分寺の「みんなの大学校」の1人。
各地の学びの紹介や自分が今やっていること、なぜ学びに至ったのか、面白いプログラムは何か、学びで自分が変わったことなどを、それぞれに語ってもらった。当日はいろいろ障がい者の生涯学習に関するいくつかの分科会のうち、この分科会だけは学生が主役、との基本方針のもと、それぞれの生の声を多くの当事者にも届けようとズーム会議だけではなく、ユーチューブでの視聴も可能とした。
それぞれの学びの場の個性が発揮され、学ぶ彼・彼女らの生き生きした様子が伝えられたと思う。その結果が先ほどの大学生の反応なのだと思う。
この登壇した方々の学びの場で共通して言えることは、どの場も、どんどん外に出ていくことを志向し、各地で自然とインクルーシブな学びを作っていることである。モアタイムねりま、i-LDKでは上智大や静岡大の学生との交流を行い、シャンティつくばでは韓国まで行き、韓国の学生との交流を行っている。みんなの大学校も今期の授業の中では新潟青陵大学、浦和大学との交流授業やレクレーションを行った。分科会の報告の中でi-LDKの登壇者が上智大の学生に問いかけたのが「履歴書に学歴を書くことがなくなっても、大学に行くと思いますか?」だったという。
なかなか本質を突いた質問だが、大学生がどんな応答をしたのだろうか、気になるが、ここからまた新たな議論や価値が共有できることが、インクルーシブな学びの面白さでもある。
◆自然な「交わろう」へ
障害者権利条約に明記されたインクルーシブ教育システムという言葉をどのように実践するかの議論も文部科学省の中で展開され、それももちろん大切ではあるが、当事者が自然と垣根のない交流の中で学びを実践することが、地域での共生社会の学びの望ましい形ではないだろうか、とも思う。
今回の大学生からの申し出も大学生が絡み合い、その違いをお互いにカバーし、ケアし合える関係性を作れることが、できればお互いにとってかけがえのない学びになる。エクスクルーシブに別々になってしまい、分断化されてしまった側面もある特別支援教育を卒業した彼・彼女らが18歳以降に集う共生社会の中で真のインクルーシブな状態にするには、やはり大学生をはじめとする若い人の「交わろう」という自然な力が必要だ。
この分科会は限定的にユーチューブで公開中である。是非、見ていただき、インクルーシブな学びを一緒に作っていきたいと思う。
動画はこちらで視聴できます。
【前半】共生社会コンファレンス☆分科会4
【後半】共生社会コンファレンス☆分科会4
■学びで君が花開く! 支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校
http://www.minnano-college-of-liberalarts.net
■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
■引地達也のブログ
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