小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住23年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
年をとるのは寂しいものだ。過去の記憶がどんどん曖昧(あいまい)なものになっていく。数年前のことである、日本出張した際、安倍前首相と習近平中国国家主席の会談をどなたかとテレビで見ていた。その時一緒にテレビを見ていた方が、私に次のようなことを言われた。「中国や米国は、首脳会談があると画像認識装置を使って相手が何を考えているか分析します。今回も中国は安倍首相の顔の動きから日本が何を考えているか分析しているはずです。ところが日本はそうした分析を全く行っていない。これでは日本は他国との外交戦争で勝てるわけがありません」。いつの日中首脳会談であったのか? また、どなたが私に対してこうした事を言われたのか? 恥ずかしながら私は全く思い出せない。ただ妙に、こう言われたことだけが私の記憶に残っていた。
ところが、1月22日のNHKで放送されたバラエティー番組「チコちゃんに叱られる」を見て、この記憶がフラッシュバックのように蘇ったのである。「チコちゃんにられる」は既に国民的番組になっているため、あえてその番組について説明する必要はないだろう。その日のチコちゃんの3問目の質問として「空気を読むって何をしているのか?」ということをゲスト出演者に出題した。その答えの解説をしたのが、「空気を読むを科学する研究所」の清水建二代表。その内容の要約は、以下のとおりである。
1.人間は以下の七つの表情を持っている。この七つの表情は、人間の持つ約30の表情筋を使って作られる
①喜び②怒り③悲しみ④驚き⑤嫌悪⑥軽蔑⑦恐怖
2.人間はある事態に遭遇すると、脳内の「反射」作業により表情筋に指令が出され、とっさにその事態に対応する表情をとる
3.これに対して、大脳の前頭葉にある「社会脳」からこうした表情をとることの「可否」が判断され、理性的な表情に置き換わる。この間約0.2秒の時間差が存在する
4.人間はこのわずかな0.2秒差の違いを本能的に読みとることが可能である。これが「空気を読む」という作業である
清水代表はこうした説明をしたあと、司会者である岡村隆史ほか2人のテストモニターに写真を見せて、瞬間画像分析を使って2人のモニターの本音を暴き出すという番組構成となっていた。
この数年、心理学や脳医学の解説書を10冊以上読みあさってきた私は、この解説がすっと腹に落ちた。近年、脳の働きが解明されてきており、それに基づく内容だったからである。しかし私がびっくりしたのは「人間の表情を読み解く機械」が、かなりの精度でテストモニターの本能を暴き出したことだ。数年前に私の知人が日中首脳会談を見て、「他国が顔の表情から本心を読みとっている」と口にされたのは、まさにこのことであったのだ。
◆科学者は善人であると思い込むのは危険である
人間は生物としての37億年の進化の過程で多くの機能を得てきた。しかし、人間の機能の大半は「生物の本能に根ざしている」ということを近年の脳科学は解明してきた。また、こうした機能は脳内のどこの部分が担当しているかもかなり分かってきつつある。人間の頭蓋(がい)骨に穴を開け、電極を差し込めば、人間の行動を制御することができる。脳内のある部分を刺激すれば、その人の意思とは関係なく手足が勝手に動く。こうした技術は、既に病気の治療で使われている。また、電極を頭部に差し込まなくても、「ヘルメット型生体磁器計測装置」で装置者の脳波を分析して感情を読みとる実験も行われている。また完璧ではないが、この装置とロボットを連動させ、介護補助ロボットとして活用しているケースも出てきている。
こうした事例は、テレビや雑誌などでも時々取り上げられているので、ご存じの方も多いだろう。いずれも「医療や介護に使える有用な機械である」という紹介のされ方をしているのが一般的である。しかし冷静に考えて欲しい。人間は既に他人の心を勝手に読み解いたり、他人の行動を操作できたりする機械を手に入れてしまっているのである。
私たちはこうした機械が医療や介護などの場でしか使われないと思い込んでいる。ところが、イスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリは、こうした技術が中国やロシアの他民族制圧のために既に使われている、としている。もし中国やロシアで使われているとするならば、欧米諸国でも使われていないはずはない。以前、「ニュース屋台村」でご紹介したが、アミール・D・アクゼルの『ウラニウム戦争―核開発を競った科学者たち』(青土社書房、2009年)には残念な科学者たちの研究の歴史が描かれている。人間はウランに出合ってから核兵器を開発するまでに、アインシュタインなど一部の科学者を除き、ほとんどの科学者は積極的に核兵器開発に協力してきた。科学者は善人であると思い込むのは危険である(ニュース屋台村2017年12月28日付拙稿「科学者や技術者としての”矜持”とは何か?」をご参照ください)。
◆GAFAの圧倒的な市場支配力
人間が他人を操るためには、何もこうした特別な機械を開発しなくても可能なようである。これを想起させる記事が2021年1月16日の週刊経済誌「ダイヤモンド」に掲載されていた。「世界が変わるGAFA」である。いまや世界で圧倒的な市場占有力を持つグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの4社。この記事は、その4社が圧倒的な市場占有力を背景として、不公平競争を行っているとの問題提起をしている。例えばフェイスブックは、ライバル企業であった「インスタグラム」や「ワッツアップ」を豊富な資金力で買収。買収に応じない企業には、その企業と同様なアプリを開発し、ライバル企業を破綻(はたん)に追い込む。こうすることで広告収入の独占化を図っている。アップルも同様に30%の手数料を取るアップル課金システムを作り、これを利用しないアプリをアップル内から締め出しにかかる。
しかし、私が特に危険だと感じたのは、アマゾンとグーグルである。この両社は、商品や情報の提供者と利用者の仲介役のふりをしながら、実際には自社の商品や情報を優先提供して実利を得ているとしているのである。
具体的に見てみよう。まず、アマゾンではインターネット店舗上の商品の掲載順位に操作を行っているという。検索上位のトップにはアマゾンの物流配送システムを利用する事業者の商品が掲載される。アマゾンの物流システムは、FBA(fulfillment by Amazon)と呼ばれ、FBA会員になると、その事業者は会費を払って同社の物流システムを利用することとなる。FBA会員の商品は自動的にアマゾンプライム会員の商品として登録されるとともに、商品購入者が負担する配送料が発生しないという理由で商品掲載順位のトップに来るというメリットがある。さらに検索順位の次点に来るのはアマゾンの自社製品である。アマゾンの内部告発情報によれば、インターネット店舗上の売れ筋商品の情報をアマゾンは自社システムから抜き取り、自社製品を開発して製造販売を行う。これではアマゾンを信用して商品を出展した企業はたまったものではない。いきなりアマゾンが競合先として登場し、アマゾン製品に掲載順位を奪われてしまう。知らないうちにアマゾンに全てを奪われかねないのである。
グーグルでも同様なことが行われている。20年7月に公開された米国のニュースサイト「ザ・マークアップ」の調査結果によると、グーグル検索のトップ画面の41%が「ユーチューブ」「グーグルマップ」などの自社製品コンテンツが表示されるという。さらに検索上位の次点に来るものが広告検索である。もはやグーグル検索は検索数の多寡(たか)によって表示の順番が決まっているとは言えなくなりつつある。
こうして見てくると、GAFAはその圧倒的な市場支配力から、自社の有利な条件を合法的に設定し、競合者や商品提供者(サプライヤー)などを追いつめている。GAFAと取引している企業はGAFAに搾取(さくしゅ)される構造が構築されてきている。しかしここでもっと問題となるのは、私たち一般消費者である。GAFAに代表されるインターネット事業者は、情報提供が中立なふりをしながら、実際には情報を意図的に操作している。私たちの多くは、こうした情報を何の疑いも持たずに受け入れている。まさに、私たちはGAFAなどの巨大企業に操られているのである。
◆インターネットの普及と社会的変化
私たちを操ろうとしている人は、私たちの内部にも潜んでいる。私たち人間は37億年の生物としての進化の過程で「欲望」と「恐怖」という本能を手に入れてきた。この二つの感情は、生物進化の原動力となったものであると私は理解している。ユヴァル・ノア・ハラリによれば、現代の人間は科学を利用しながら、「永遠の生命」「日常的幸福」「神への昇華」の三つを求めているという。人間はまだ永遠の生命を手に入れていないが、病気の克服や健康増進により誰もが一日でも長く生きたいと願っている。経済成長と科学進歩による利便性の獲得は、人間の幸福への切符となる。さらに人間は、自分たちを他の動物などの生命体とは異なるものとして特別扱いして、神の領域に位置づけようとしている。これに対し一方の進化の原動力となった「恐怖」は、弱小動物である人間が生き残っていくために「他者への共感」や「社会帰属」などの考え方を染みつかせてきた。共同社会の構築こそが、他の生物に打ち勝ち人間が食物連鎖の頂点に立ちえた要因の一つである。
しかし、インターネットの普及が、人間社会の在り方を変えようとしている。従来の人間の「獲得本能」だけではインターネット社会に順応できない状況を生み出しているように見受けられる。私はこれまで何度か「ニュース屋台村」でインターネット社会の問題点について取り上げてきた(2017年1月13日付「インターネットで加速する虚構の世界」、2021年1月15日付「笑う門には福来たる―コロナを生き抜く小さな知恵」など)。今回はちょっと視点を変えてインターネット社会の問題点について提起してみたい。
インターネットの普及によって私たちはそれまでの社会といったい何が違ってきたのであろうか? 私が考える社会的な変化は以下の3点である。
①情報量の絶対的増加
②接触人数の増加と不特定多数の人たちとの交流
③匿名社会の出現と国家規制の困難性
これらについて若干補足したい。情報量の増加については、あえて説明の必要はないであろう。私たちはもはや書籍の百科事典に頼ることなく、グーグル検索で従来以上の大量な情報を入手することが可能となった。一方で、私たちの処理能力に余るほどの情報が勝手に送られてくるようになったのである。さらに動画・写真・ゲーム・音楽など多くの情報が瞬時に入手できる社会が出現した。
次に、接触人数の大幅な増加についてある。実際の生活では時間的な制約などで日常的に接触できる人は限られてくる。ところがソーシャルメディアの登場により、実生活では不可能なほどの多くの人たちとコンタクトできるようになった。一方で、面談時の印象による人物判断や周辺の人間からの風評判断などが入手できなくなった。このため、「どのような人か?」人物像が把握できない人たちとの接触が増加。悪意を持った人たちからも容易にアクセスされる環境となった。
さらに匿名社会の出現により、社会性維持への恐怖心が人々から消えた。共同社会の一員として社会のルールは遵守(じゅんしゅ)しなくてはいけない。共同社会から排除されるかもしれないという恐怖心が人間の「理性」を作り出した。ところが匿名社会ではこの恐怖心が生まれない。「誰だかわからなければうそをついても大丈夫!」「嫌いな人をインターネット上で攻撃しても私だとはわからない!」――。こうしてフェイクニュースやネット上での他者への攻撃が増加したと考えられる。一方、情報量の多さによる第三者によるインターネットの監視の難しさから、インターネットを利用した犯罪が急速に増加している。
こう見てくると、私たちはインターネット社会の出現によってきわめて無防備な状態に置かれていることがわかる。悪意を持った人たちが無作為に情報を送りつけ、あなたをだまそうとしているかも知れない。否、悪意を持っていなくても、信念に基づいてフェイクニュースを流す人もいるかも知れない。「Qアノン」と呼ばれるトランプ前米国大統領の熱狂的に支持者もこれに準じる人であろう。「あなたは本当に正しい情報を獲得し信じ、自分の真にやりたいことをやっているのだろうか?」。
ひょっとすると、あなたは誰かに操られているかも知れないのである。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第185回「笑う門には福来たる―コロナを生き抜く小さな知恵」(2021年1月15日)
第110回「科学者や技術者としての”矜持”とは何か?」(2017年12月28日)
第85回「インターネットで加速する虚構の世界」(2017年1月13日)
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