п»ї 日本の価値観では理解できないタイ『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第11回 | ニュース屋台村

日本の価値観では理解できないタイ
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第11回

12月 27日 2013年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住15年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

現代の日本人にとって、自由・平等そして民主主義は絶対的な価値のようである。これが実現出来ていない社会は未成熟社会であり、この三つの価値を否定すると人間扱いされなくなる。「ファシスト」「右翼」「共産主義」などあらゆる罵詈雑言(ばりぞうごん)が飛ぶ。

確かに個人個人の権利が一定程度保証されるこれらの価値はきわめて居心地が良い。特に知識人やマスコミの方々にとって。しかし、日本人がこうした価値観を持ち得たのは、第2次大戦に敗れたからであり、それまでは天皇制による軍国主義をほとんどの国民が信奉していたのである。

敗戦によって多くの人々がそれまで自分の絶対的価値として信じていたものを失い、精神の放浪を味わった。人間にとって、自分の既存価値観を否定することはほとんど不可能である。それを行うと多くの葛藤が生じる。戦後すぐの日本人が味わったように。

しかし、自分と異なる価値観があるということを認めるのは可能であろう。今日のタイで起こっている政治の混乱は、自由・平等・民主主義が絶対の日本人にとって、全く許容出来ないもののようである。「半分の民主主義」などという昔の用語で説明をにごすが、なぜこうした事態が起こるのか理解できていない。

◆部分的民主化を目指した「半分の民主主義」

そもそも国家とは、一体何のために存在するのであろうか? 国家とは、人々の安全を確保するために存在するのが一般的である。その安全とは、まずは他国からの侵略の防御であり、その次に国家を維持するための最低限の経済保証となる。そして人々を一つの国家に集合させるスローガンとして、自由・平等・民主主義という標語が必要となってくる。

日本人にとってこの自由・平等・民主主義は価値観と共に倫理にまでなるが、他国の人にとっては、これに勝る価値観や倫理が存在する。それが宗教であり、地縁や血縁などと共に社会を構成する大きな要素となる。しかし無宗教の日本人にはこれも理解できない。

本題に戻ろう。タイはインドシナ半島の中央に位置するが、その近代、現代史は他国からの侵略の防御の歴史である。日本の明治維新の頃は、西欧列強がアジアの植民地化を画策した時代である。幸いにも当時最強であった英国はインドの植民地化の後、次の獲物を中国に定めインドシナ半島を通過して行った。

この間隙(かんげき)を縫ってフランスがベトナム、カンボジアなどの植民地化に成功するが、タイは列強間のパワーバランスを利用したその巧みな外交術で何とか独立を保つ。

第2次大戦中は日本と同盟関係を結び侵略を免れるが、終戦直前に連合国側につき戦勝国となってしまう。第2次大戦後は、王制の下で軍事政権が続いていたが、ソ連(当時)、中国などの共産主義がインドシナに影響力を増していく中で、米国が共産化を防衛するタイの軍事政権を積極的に支持したのである。

1980年に首相に就いたブレム陸軍司令官(現・枢密院議長)によって部分的民主化を目指したのが「半分の民主主義」である。常に他国の侵略に構えてきたタイの人にとって国家の存在価値は自分たちの安全を保証してくれるものなのである。他国からの侵略から守るために軍隊は絶対に必要であり、国家を弱体化させるような民主主義であれば、そんなものは必要ないのである。

◆今の政治混乱は支配者階級内の利権争い

日本人の大きな誤解の二つ目は、タイを含めて世界のほとんどの国が階級社会を是認していることである。自由・平等の象徴の国であるあのアメリカですら機会均等の平等を目指しているが、結果としての平等など期待していない。米国の上位2%の人が40%以上の富を所有するといわれている。

詳しいデータがあるわけではないが、タイの家計調査から推計するに5%の上流、20%の中流、75%の下層階級というのが私の持論である(無論、近年中流階級が急速に育ってきており、これがタイの自動車販売好調の下地となっている)。

そもそもタイ人の人間関係は2者間においても、ピー(兄)、ノーン(弟)と呼び合う上下関係が存在する。社会のすべてのレベルにおいて上下関係がある。階級が存在するのは必然なのである。

一方で、餓死も凍死もしないタイの下層階級の人々は生活に大きな不安も不満もない。今日起こっている政治の混乱はあくまでも支配者階級内での利権争いなのである。

日本人が理解できない3点目が、タイ人の価値観の中にある仏教である。1281年にスコータイ王国制立以来、タイの国教は仏教であることが長く続いたし、今でも僧侶は人々の尊敬の対象である。西欧の法律よりも仏教の方が人々の共感を勝ち得るし、身近なのである。世界を治める法が仏法であり、その最大の保護者が国王である。また、軍隊はその国王に仕える私兵なのである。いかに日本人の信じる民主主義と遠いものであろうか。

それでも日本人の多くは考えるだろう。「選挙で選ばれた政党政治を転覆させるのはいかがなものか」。タイの大手日刊紙タイラットは11月29日付の社説で「タイ全土において選挙の後に投票の所に4、5000人が常に列をなして金を受け取り、見返りとして投票を行う形式を民主主義と言えるであろうか」と問題を提起している。

多分、買収される人たちに罪の意識などないのだろう。日常ごく普通に見られる金持ちから下層階級に行われる施しと何ら変わりないのであろうから。

タイの民主主義をどう評価するかは私の職分ではない。しかしタイにはタイの歴史や文化を背景とした考え方ややり方がある。自分と異なる価値観を認めることが出来ないなら、日本人は大きな間違いを犯すであろう。

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