山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。海外の投資ファンドから買収提案を受けていた東芝で車谷暢昭(くるまたに・のぶあき)社長が14日、辞任した。事実上の解任である。社長は前任者の綱川智(つなかわ・さとし)会長が兼務する。東芝でいったい何が起きているのか。
翌15日、東芝は投資ファンドからの提案を拒否する方針を固めた。綱川氏は「経営方針には変化がない」と語っていたが、方針の転換である。
◆車谷社長の事実上の解任
英国系投資ファンド、CVCキャピタル・パートナーズが、東芝の全株式を買い取って非上場企業にする、という買収案を東芝に提示したのは4月11日。「もの言う株主」を排除して経営の安定化を図る含みを込めた提案だった。翌朝、自宅前で記者に囲まれた車谷氏は「今日、取締役会で話し合うことになっている」とにこやかに語った。
テレビで流れた映像を不可解に感じた人は少なくなかっただろう。外資ファンドから突然の買収が持ち掛けられたというのに、社長は歓迎しているかのような口ぶり。「これは出来レースではないか」という観測が一気に広がった。
車谷氏は、東芝の社長になる直前までCVCキャピタル・パートナーズの日本法人の会長だった。いわば古巣からの買収提案である。買収話に一枚かんでいたのではないか、と疑われた。同時に、車谷氏に関する内部情報が東芝から流れ出す。
経営・人事を差配する指名委員会が、車谷氏について幹部社員から意見を聴取したところ、「社長不適任」が過半を占めた。12日の取締役会は「解任決議」が出される段取りだった、などといった極秘情報がネットで取りざたされた。東芝上層部に「車谷排除」したい勢力がいる、ということである。
東芝OBの一人は「車谷さんには東芝への愛が感じられなかった」と言う。辣腕(らつわん)ではあるが、外部から招いた人材を重用し、東芝の企業文化や現場への配慮に欠けている、というのである。
再建を託されたからには、数字にこだわり、生え抜きの経営者が手を付けにくい難題に切り込むのは仕事だろうが、東芝社員の心をつかめず反発を買ったのだろう。決定的だったのは「もの言う株主」と対立だ。
◆「渡りに船」の買収計画だったが…
東芝は債務超過を回避するため2017年、6000億円の第三者割当増資をした。この時、増資に応じた多くが外国勢は「アクティビスト」「もの言う株主」などと言われる投資家だった。株売買益や高配当を狙うアクティビストは利益の分配をめぐって経営と対立することはよくある。再建を請け負い、利益の社外流出に慎重な車谷氏は配当重視の株主から不評を買った。昨年7月の株主総会では対立候補を立てられ、賛成投票は57%という薄氷を踏む再選だった。
この総会を巡る「不祥事」が露呈した。外国投資家が郵送した議決権が締め切りの3日前に届いていたにもかかわらず、「期日に間に合わず無効」とされていた。まとまった株を持つ海外の機関投資家に「議決権を行使したら、改正外為法によって調査対象になりますよ」という脅しめいた忠告が、経済産業省参与である関係者からあったことも暴露された。
総会開催がアンフェアに行われた、という疑いが広がり、「もの言う株主」が臨時株主総会の開催を求め、3月に開催された。東芝にとっては不名誉な事態である。臨時総会で、事実関係を調べるため外部弁護士による調査委員会が設けられた。車谷社長は追い詰められ、次回の株主総会で再任が怪しくなっていた。
そんな中で突然の買収提案である。名乗りを上げたCVCキャピタル・パートナーズは、英国に本拠を置き、機関投資家や富裕層などから集めたカネで企業の買収・転売などして高利回りを請け負う会社である。世界的な金融緩和でだぶつく資金を吸収し、ハイリスク・ハイリターンで稼ぐ投資集団。東芝はその標的となった。
東芝は防衛システムや原子力開発など機密情報や国策と深い関係にある。外国の投資ファンドが所有する会社になって大丈夫なのか、という疑念はぬぐえないが、車谷氏にとって買収提案は、起死回生のチャンスだった。CVCが全株式を所有すれば、面倒な株主から注文を付けられることはない。旧知のCVCと組めば社長を続けることも可能だ。まさに「渡りに船」の買収だった。
東芝内部で車谷氏に批判的な人たちにとっては、認めがたい事態である。「車谷は保身のため会社を売るのか」という怒りが燃え上がった。仮に、経営にとどまるために外部勢力と結託してM&A(企業合併・買収)を受け入れるようなことになれば、社長として「利益相反」が問題になる。東芝の取締役会には利害関係者がもう一人いる。CVC日本法人最高顧問の藤森義明氏。車谷氏が連れてきた外部人材だ。外から来たこの2人が投資ファンドを呼び込んだのではないか、という筋書きは分かりやすい。
利害関係のある人物が関与するのは好ましくない、という理由から買収提案の検討会議から2人は外された。「解任も辞さず」という指名委員会に車谷氏は辞任へと追い込まれた。
◆恐れられた自信満々の有能さ
車谷氏とはどんな人物なのか。ひと言でいえば「旧三井銀行では異色のやり手銀行マン」だった。1980年、東大経済学部から当時の三井銀行に入り、3年で旧大蔵省に出向。行天豊雄国際金融局長(当時)の下で日米円ドル委員会や東京オフショア市場の創設などに携わる。三井銀行に戻って国際業務の企画立案に携わり、三井グループの総帥(そうすい)とされた小山五郎元頭取の秘書役を務めるなど中枢を歩んだ。自信家で、官僚など銀行外にネットワークを持つ策士という面も併せ持ち、合併で誕生した三井住友銀行の初代頭取である西川善文氏を辞任の追い追い込んだ「影の仕掛け人」ともうわさされた。
対等合併とされたが、住友銀行支配を象徴する西川頭取のアキレス腱(けん)が「西川案件」と呼ばれる「隠れた不良債権」だった。このリストが金融庁に持ち込まれ、特別検査が実施された。三井住友銀行は赤字決算に転落。責任をとって西川頭取は退任に追い込まれる。「西川案件」は合併業務に携わったごく少数の幹部行員しか知らない極秘事項だった。西川頭取に反発する三井側からの流出と見られ、合併実務を仕切り、裏事情を知る車谷氏が疑われた。「あんな危ない橋を渡れるのは車谷ぐらい」などと言われた。当時、王子支店に出ていた車谷氏は、西川氏の後任となった奥正之頭取によって企画部長に抜擢(ばってき)され、三井側の頭取候補と見なされるようになる。東日本大震災による東京電力福島第一発電所爆発事故後、東京電力の救済でも経産省と組んで金融界をまとめるなど、その後も辣腕ぶりが注目された。しかし、「車谷頭取」は実現しなかった。自信満々の有能さが恐れられたともいわれる。
頭取を目前にした退職者には、地位にふさわしいグループ内の名誉職があてがわれるのが銀行界の通例だが、車谷氏は「退職ポスト」を嫌った。CVCの誘いを受け、日本法人会長となり、延長線上に東芝があった。
◆狙われる技術の「お宝」
東芝は昭和の高度成長を体現した名門企業である。電球から原子力まで、と自賛した総合電機メーカーだが、平成になって迷走する。米原発会社ウェスチングハウス(WH)を買収した頃が最後の輝きだった。
3・11で原子力に逆風が吹き、得意とした家電や半導体・通信でも韓国・中国にまで抜かれた。2015年に不正会計が発覚、社長・会長はじめ取締役7人が辞任、2017年にはWHの隠れた損失が表面化し、1兆円を超える特別損失を計上して債務超過に陥った。
実力者とされた社長・会長が去り、急仕立てで担ぎ出された経営陣がとった対応策は、グループ企業の切り売りと人員削減だった。東芝の栄光を、一つひとつ捨てる撤退作戦。こうした中で迎らえたのが車谷氏だった。
外部人材を社長として迎えたのは、石川島播磨重工業(当時)会長だった土光敏夫氏以来のことだった。だが、車谷氏は土光氏のような信頼を集めることはできなかった。
東芝の挫折は産業政策の失敗でもあった。アメリカが旗を振った「原発ルネサンス」に便乗した経産省は、三菱・日立・東芝の重電3社を世界に冠たる原子力産業にする未来図を描き、東芝はWHを引き受けた。結果は、米国の原子力産業が抱えていた負の遺産の「ドブさらい」だった。相場の3倍で買わされたWHに隠れた損失がたまっていた。
技術や競争で負けたのではなく、経営者の目が節穴だったから。現場が地道にモノづくりに励んでも、経営者がM&Aで判断を誤れば、営々として積み上げた財産は吹っ飛ぶという現実を東芝は見せつけた。
今回の一件で、狙われているのは「東芝の底力」ともいえる技術である。CVCは買収で一株5000円という市場価格の3割増しの価格を提示した。自分たちが経営すればもっと利益が出る会社にできる、と考えているからだろう。
東芝は買収提案に応じない構えだが、CVCに引っ込める様子はない。経営陣が拒否すれば敵対的買収もありうる。米国の投資会社コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)など他の投資集団も「東芝の株価は安すぎる」と買収検討を表明している。未来の情報通信に欠かせない暗号技術や鉄道・輸送などのインフラシステムなど東芝が培ってきた技術の「お宝」が眠っているという。
◆「内輪のもめごと」では済まされない
いま注目されているのは、東芝の半導体部門だった「キオクシア(旧東芝メモリー)」である。債務超過解消のため2018年に売却された。フラッシュメモリーで世界2位のシェアを持つ優良会社で近く上場される予定で、時価総額3兆円の企業になると見られている。東芝は売却後も株式の40%を保有している。このキオクシアにも外資が触手を伸ばしている。マイクロン・テクノロジーとウエスタンデジタルの米国2社だ。
米国は米中対立で、半導体の生産が台湾に集中していることを心配している。インテルやマイクロソフトなども半導体製造は海外に依存しており、米政府は安全保障上の理由から自国で内製できる体制を急ぐ。目を付けたのが、キオクシアだ。日本の半導体は昭和の終わり頃世界を席巻したが、今や生産量では見る影もない。日本では「半導体のいい時代」は終わったように見えるが、世界の市場で東芝の技術は、まだ高く評価されている。ついに日本のお宝のようなキオクシアまで狙われ、東芝の財務的補てんに使われようとしている。
世界規模で見れば、東芝買収劇は、半導体のサプライチェーンの再編であり、日本の製造業に眠る技術の掘り起こしでもある。アメリカの世界戦略も絡む。
日本では、車谷社長の「保身」や、東芝社内のよそ者への反発など「内輪のもめごと」に目を奪われがちだ。直視すべきは、産業の底力が失われてゆく日本の現実ではないだろうか。