引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。◆人を救える、から
最近は支援の現場でのコミュニケーションに関する問い合わせや研修が相次ぎ、「僭越(せんえつ)ながら」と思いながら福祉事業所の支援員らにアドバイスをしている。
私なりに自分の経験から得たノウハウを言語化したものを伝える中で、知ることによって、その人の世界が変わる、きっと支援が楽しくなる、きっと支援される人も喜ぶはず、と思い話をするから、自然と言葉も熱を帯びてくる。
熱を帯びる自分を振り返ると、少々恥ずかしいと照れながらも、そこには「そうすることで人を救うことがある」という確信もあるからだ、と最近は自覚している。支援という仕事を、コミュニケーションを重視する姿勢で貫き、自分の発する言葉と相手の反応、そのやりとりに集中して得られた知見は、仕事の面白さを増幅させ、行動から予見可能な範囲を広げ、支援の質を上げていることは間違いない。
もちろん、それはまだまだ道の途中で、そんなに自慢できるほどの域に達しているわけでもないが、支援現場での「コミュニケーション」のひとつで大きく人生が変わった事例を何度も目の当たりにしている事実を伝えたい。
◆深く話を聞くために
「面談の際に人の話を深くまで聞くにはどうしたらよいか」。
面談の質を上げるため、障がいのある人の困っているところを正確に聞き出そうという気持ちは、「どのように」というノウハウに頼りたくなってしまうのはよくわかる。特に福祉サービスの場合は個別面談の時間は決められているから、時間内で出来るだけ多くのことを聞いて、支援に役立てようとの気持ちは当然だ。
しかし、気持ちがはやればはやるほど、聞くべき事実は遠くなり、「聞きたい」という動機は空回りする。ここで確認をしたいのは、コミュニケーションは相手との等価交換である、という原理である。相手が話すことに対し、自分が何を差し出せるのか、その交換の中でコミュニケーションは行われる。
会って間もない支援者に自分の内面の話をするのは「支援してくれるから」である。その支援への期待と価値に対して、支援者が「何を差し出すか」にかかっているのである。
◆分岐点の言葉
支援者はアドバンテージがある。要支援者とは支援する、支援されるという関係だから相手は「得られる」からスタートする。しかし、それが相手の満足いくものでなければ、たちまち期待は失望に変わる。要支援者が絞り出して話したはずの告白の数々が無駄だとわかった時、その人の描き始めた未来は瓦解(がかい)していくだろう。それが恨みに変わることもある。
一方、要支援者の期待に応えることができれば、要支援者はこれまで一人だけでなんとかしようともがいていたところから、一緒に前進できる仲間を得たことに大きな希望を見いだすことになる。この後者の「第一歩」は私の経験の中でも、絶望の中から這(は)い上がろうとする力がみなぎる瞬間であり、何度も目の当たりにしてきた。
その瞬間に続く道筋を考えると、そこにたどり着くまでのポイントには、いくつかのコミュニケーション、言葉がある。その分岐点があって「世界は変わって」いく。この積み重ねで言えるのが、「一言を大事にしたい」ということだ。
◆自覚的に対話する
研修中の質問には「面談で話を繰り返す人にどのように終わらせてもらうか」という質問があった。限られた勤務時間で、永遠と繰り返してしまうような話をする特性の方の話に付き合っている暇はないのだろう。その際には、「聞く」と「共有」を同時に行うのが効果的だ。
その話をホワイトボードやメモに書き、言ったことを図式化しまとめていき、話者と一緒にそれを確認することで、話が整理されていく。これは技術ではなく、次に話を展開させるための方法である。
すべては自覚的に対話をすることが支援者には求められていることから出発することで行動は変わる。「一言を大事にする」につながる。支援者として社会に屹立(きつりつ)しようとする時、その立場に胡坐(あぐら)をかくことなく、水平型のコミュニケーションの中で、相手が悔しさや苦しさを開示するのと同じように自分をさらけ出すことが、等価交換のコミュニケーションに通じる。
そのうえで、自分が対話にどれほどのものを差し出せるのだろうか、を考えてみる。常に、そこから始めたい。
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