山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。無観客五輪とワクチン失速。菅義偉首相の再選シナリオは狂った。オリンピックさえ始まれば、国民の気分は一変する。オリパラが終わる頃、ワクチン接種は一巡し、感染への不安は薄らぐ。五輪の高揚感と、コロナ危機の沈静化。そのタイミングで解散に打って出れば勝機はある。自公安定政権を守れば自民党総裁選を突破できる――。
都合のいい楽観論だが、これ以外に政権延命の道はない。政治家人生を賭けた大博打に出た、というのが現状である。
◆コロナ禍が招いた「不平等大会」
あと1週間で東京五輪が始まる。緊急事態宣言が発令される中での強行開催は無理が多い。バブル(泡)で包むようにする「バブル方式」で外国からの選手・関係者は、一般の人たちと分離・遮断(しゃだん)される建前だが、すでにあちこちでほころび、感染者が発見されている。大会の途中で「出場停止」や「試合中止」が頻発するのではないか、と心配されている。
羽田や成田の空港では、各国の選手団が続々と入国している。「入国者は2週間の隔離」が水際対策の原則だが、五輪にこの措置は適用されない。
緩くはしているが、安全対策として選手は感染の有無を確認するため一定期間、外部との接触は禁止される。大会直前はコンディションを整える微妙な時期。そんな時にホテルや選手村に閉じ込められ、十分な調整ができない。とりわけインドで確認されたデルタ型変異ウイルスの感染が広がっている国の選手は、一段と厳しい制約を課せられている。
インドの五輪委員会からは「特定の国の選手に厳しい隔離措置を取ることは公平な競技を前提とする五輪憲章に反する」と抗議が寄せられた。
いつも通りの調整が可能な日本人選手に対し、行動を規制され、「違反したら出場停止も」と脅され、街も歩けない外国人選手は、精神的・肉体的なハンディを背負っている。
菅首相が繰り返す「選手や国民を守る安全・安心な大会」で、外国人選手はベストを発揮することが難しい大会になってしまった。
日本選手団の結団式で、菅首相は拳を振り上げ、「ガンバレ・ニッポン!」と叫んだ。「安全・安心」を繰り返すいつもながらの棒読み演説の首相が、あいさつの最後に声を張り上げた言葉に、違和感を覚えた。
菅義偉は主催国の首相である。「世界が結束してコロナと戦う東京五輪」は、外国人選手に犠牲を強いている。主催者として、そのことをわびるのが先ではないか。日本人選手に言葉を贈るなら、戦う相手は多くのハンディを背負って競技場にたどり着いたことに思いを寄せつつ、全力を尽くしてほしい、と説くべきではなかったか。
◆「スポーツの力」と電通
オリンピックは国別競技大会になり、国家の威信を賭けてメダルの数を競う。菅首相にとって、東京五輪は政権維持の大事な道具になった。「スポーツの力」で大衆心理を変容させる社会実験でもある。
菅政権になって選挙は連戦連敗。静岡、千葉、山形など知事選はすべて落とし、不祥事の後始末などの国政選挙で3連敗、総選挙の前哨(しょう)戦とされた東京都議選も敗北した。厳しい逆風が吹いている。
ムードを変えるのは「祭り」だ。沈滞する空気を一掃する「熱狂」がほしい。米メジャーリーグで活躍する大谷翔平、テニスの全米オープンを制覇した大坂なおみ。活躍に大喜びする日本人。五輪でメダルラッシュが起これば、世論は一変する――。そんな発言が、首相の周辺から漏れている。
政権の広報戦略を担当する大手広告会社・電通は、東京五輪組織委員会の中核にいる。スポンサーと広告を押さえ、テレビ・ラジオの番組編成を実効支配している。無観客となった東京五輪はテレビ五輪となり、電通の独壇場になりそうだ。テレビ関係者は言う。
「オリンピックの放映権はアメリカのNBCの独占ですが、それはアメリカでのこと。アメリカで五輪はNBCでしか見られない。他局は通常放送です。ですから盛り上がるのはNBCだけ。ところが、日本ではすべての放送局が競って放映する。今日は水泳、明日は体操と毎日、中継やニュースで日本選手の活躍を、これでもかとばかり流す。後ろにいるのが電通です」
ラジオも「日本選手がメダルを取ったら、番組中でも臨時ニュースで突っ込む」という各局統一マニュアルが配られたという。
人々の愛国心に便乗しようという菅首相の気持ちが、「ガンバレ、ニッポン!」に表れたのではないか。
◆都知事選と総選挙、同時投票?
東京五輪は、人々をどれほど熱狂させるか。ヒトラーが国威発揚に利用したベルリン大会を例に引くまでもなく、為政者にとって五輪は「ナショナリズムの祭典」でもある。世間の興奮を、どこへ誘導するか。永田町でささやかれているのは「保守合同」。その心は、東京都知事の小池百合子との連携である。
読売新聞の最新の世論調査では、政権支持率は37%だが、東京では28%、危険水域とされる30%を割った。首都で菅政権の不人気は際立ち、流れは全国に波及しかねない。都議選では無党派層だけでなく保守票まで小池知事が特別顧問を務める「都民ファーストの会」にさらわれた。このままでは総選挙が危うい。打開策は、「都民ファーストの会」に象徴される保守の批判票を取り込むこと。それには小池百合子を自民に復党させるか、同盟関係を築くしかない、という。
自民は単独で権力を維持できなくなった。公明党との連立で政権を維持しているが、それでも足らない。逃げる保守票を追って小池や都民ファにすがる。
小池は自民党を離党し、自民党を悪者にして都知事になった。しかし、前回の都知事選で自民は対立候補を立てず、関係修復に動いた。それぞれが候補者を立てた都議選ではぶつかったが、都知事選なら手を組める。
「五輪後、小池が都知事を辞任、自民と相乗りの候補者を擁立し、自民・都民ファ連合で都知事を取る。投票日を総選挙と合わせ、東京を起点に保守一体の機運を盛り上げ、総選挙を戦う」
真夏の夜の夢、のような筋書きが語られている。
解散はいつか、は菅が決める。都知事選がいつになるかは、小池の辞任で決まる。
小池百合子は、すでに都政への情熱を失っている、と言われる。築地市場の移転問題では劇場型政治を演出したが、かき回しただけで、決着はウヤムヤだ。五輪が終わり、ドタバタと興奮の後に残るのは巨額の財政負担。赤字を補填(ほてん)させられる後始末にうんざりしている、とも言われる。
都知事は、首相になる足がかりだった。自民党内からのラブコールは渡りに船である。すぐに復党とはならなくても、保守合同の要(かなめ)に陣取り、存在感を発揮すれば、次のチャンスがある。
「犬猿の仲」と言われる菅と小池だが、政治家は妥協する動物だ。延命のためには宿敵と手を組む。
五輪の熱狂が人々を癒やし、終わった頃には感染第5波も峠を越える。下火になれば不安は和らぎ、その頃にはワクチンを済ませた人も増える、そんな時に小池が都知事を辞任し、わかりやすい都知事候補を担ぎ、保守合同を演出する。
小池は、国政に復帰し、女性初の総理に王手をかけ、菅は窮地を切り抜け、とりあえず再選される。
2人にとって都合のいいシナリオだが、成否を決めるのは有権者である。コロナの教訓、五輪の総括などを含め、私たちの政治的成熟度が問われている。
コメントを残す