引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。◆必要のない国際理解から
みんなの大学校の「国際理解」の講義で、インド人講師が「なぜ国際理解が必要でしょうか?」との問いに、ある学生はこう答えた。「必要とは思っていません。何か面白いものが砂金を探すような感じであるのか聞いている感じです」。
義務教育では他国の文化や歴史を理解することが国際協調の基本ということかもしれないが、実際は「国際理解」を意識しなくても生きていける人は多い。だから、楽しい話題を、砂金を探すように、聞き入るのは、その学生にとっては至極当たり前。これを「国際社会に生きる私たち」のあり方、という括りで道徳的に捉えると、先ほどの回答には眉をしかめるだろう。
しかし、これを「哲学」で捉えると、なかなか鋭い回答である。この切り口で話を展開すれば、また新たな発見があるかもしれない―そんな思いで、『哲学がかみつく』(デイヴィッド・エドモンズ、ナイジェル・ウォーバートン著、佐光紀子訳、柏書房、2015年)を教材に授業をしてみたら、やはり面白かった。
◆思考という恋愛の成就
この本は、みんなの大学校教授でもある佐光紀子さんの翻訳で、佐光さんの「国際理解」の講義を前に取り上げたいという思いもあったが、それ以上に発達障がいの学生には哲学はよく合うことを発見した。
私も一緒に考えられるところが、またいい。
本ではまず現在、各方面で活躍する哲学者52人に「哲学とは何ですか?」と問い、その答えが列記される。この中から私がわかりやすいものを紹介しながら授業を進めたので、少々恣意(しい)的かもしれないが、学生は敏感に反応してきた。
まずは冒頭で4人ほど。「哲学というのは、思考という恋愛の成就さ」(ジョン・アームストロング)、「一番大事なことを、ものすごく一生懸命考えること。そして、問題と答え、両方を分析して、はっきりわかるようにすること」(マリリン・アダムス)、「理論的な理性と実践的な理性を統合しようとするのが哲学だね」(セバスチャン・ガードナー)、「すべての学問が到達する最も基本的な概念を、できるだけ明確に考えるが哲学です」(アンソニー・ケニー)
学生の一人は「恋愛」の表現に深く納得する。「成就は終わりではない。そこからが大変だから」だと説明する。
◆立ち位置を気にして
この回答の中で、日本で人気のマイケル・サンデル・ハーバード大教授の言葉は凡庸に見えてしまう。「ものごとのあり方を批判的に考えるのが哲学でしょう。ここには、社会的、政治的、あるいは経済的な議論を批判的に捉えることも含まれます。現実以外の可能性、もっといい可能性を示唆するのも哲学ですね」(マイケル・サンデル教授)
だから、学生はこの部分をスルー。そもそもサンデルには興味がなさそうだ。
精神障がいの学生は以下の言葉に惹(ひ)かれたという。
「周りで起きていることや、現実に対して自分たちができること、それが自分たちにどうかかわるかといったことをよりよく理解するために、現実の性質やわれわれの立ち位置について、根本的につきつめて考えるのが哲学だ」(バリー・スミス)
社会での立ち位置を気にしている彼にとって、悩み続けている自分の位置が哲学を通して「わかるかもしれない」のが光明。それが思い悩むことではなく、「哲学とは、明解な思考だ」(アレックス・ニール)の言葉に健全さも確認できたから、晴れやかな顔をしていたのも印象的だった。
◆多様性を忘れた社会ゆえに
「いろいろあるけど、たいていの人が当たり前だと思っているものごとを、批判的に深く考えること、っていうのが含まれるのが一般的なんじゃないかな」(アレン・ブキャナン)、「哲学の99%は、面白そうだと思うものに対する批判的な感想だ」(リチャード・ブラッドレイ)
発達障がい者はほかの人と反応が違っていたり、ほかの人が「イエス」なものを「ノー」と言ってしまい、仲間外れになってしまったりするトラウマを抱えているケースも多い。自然と思い浮かんでしまう「批判的な言動」に悪気がなくても、悪い気分にさせてしまうから、やっかいである。
そんな経験を持つ人が、批判こそが哲学だと言ってくれるのは、ありがたいはずだ。「物事の結論を分解して、それを分析して口に出して言うと嫌がられますよね」と発言した学生は、それが真理と思っての言動なのだが、周囲の反応は冷ややかだという。
そう考えると、こんなに面白い哲学を面白くなくてしているのは、多様性を忘れた社会となるか。もっと哲学をしたい。そうすれば、きっとダイバーシティーな社会が見えてくる。
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