山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。「18歳以下への10万円相当給付」。景気対策か、貧困対策か、はたまたコロナ対策か。論議を呼んだ現金給付は、子どものいる家庭には「年の瀬のボーナス」となった。ところが、シングルマザーの一部にこの10万円が届かないという事態が起きている。給付に10月の児童手当リストを使ったため、9月以降に離婚した夫婦の場合、夫の口座に10万円が振り込まれた。面倒を見ていない父親にカネがわたり、子どもを育てる母親に連絡がない。そんなケースが多発しているという。
立憲民主党はこの問題を取り上げ、善処を求める要望書を提出した。だが、松野博一官房長官は「今般の給付では難しい面がある」と述べるにとどまった。煩雑(はんざつ)な事務的手続きがあり、対応できかねる、というわけだ。
実際に子育てしている親が支給対象になるべきだ、という立憲民主党の主張は正しい。総選挙の敗北を受けて誕生した泉健太氏を代表とする新執行部は「提案型政策」を掲げる。「子育てする母に10万円を」という政策は、提案路線に沿う。
「自公政権に足らないこと」を立憲が主張し、存在感を示す。「提案型」にはそんな気配が漂うが、それが野党の役割だろうか。
◆手順を踏む「儀式の場」に成り下がった国会
役人言葉に「落ち穂拾い」がある。幹となる政策からこぼれ落ちた小枝を拾い集め、追加的な措置にまとめる「補足的作業」をいう。目配りは大事だが、「落ち穂拾い」が野党の出番なのか。政策の根幹である「コロナ対策と称して、子を持つ家庭に1人あたり10万円配る」その是非を論ずるのが、野党の仕事ではないのか。
今の国会の仕組みは、政府提案が出された時、結論はすでに決まっている。与党と野党が同じ地平に立って、「コロナで困っている人たちにどんな支援が必要か」を話し合う「熟議」はできない。野党のできることは、政府提案の法案に「YES」か「NO」を表明すること。存在感を示すには、強い反対姿勢を表明して 法案を廃案に追い込むしかないのが国会の現状だ。
身も蓋(ふた)もない話だが、憲法学者の山本龍彦慶応教授が朝日新聞12月21日付の朝刊オピニオン面に、「政治オペラ(人間劇)の構造」を指摘している。
山本教授は、国会が自由な討議ができないのは、大日本帝国憲法の頃から続いている審議の仕組みに根源があるとして、元衆院事務局議事部長の白井誠氏が指摘した「三つの縛り」を紹介した。
(1)内閣が提出した法案を野党が追及する「質疑応答型」の審議形式
(2)提出法案を与党が事前に審査し承認した法案だけ国会で審議される
(3)提出法案に与党は厳格な党議拘束をかけ、議員の反対は許さない
つまり与党が選出した内閣が官僚を総動員して法案を作り、与党で中身を吟味して修正を加える。政務調査会や総務会で法案が了承されれば、与党は内閣と一緒になって野党の抵抗を排し、国会を通す。議論の場は与党内だけである。国会は質疑応答の場で、追及をかわすことだけが求められる。野党の質問に耐えられるかが勝負となり、審議時間はできるだけ短くする。「言葉尻」を捕らえられないよう逃げの答弁になり、内容を真摯(しんし)に議論することはない。ひたすら時間の経過を待ち、最後は多数決で押し切る。
「三位一体」とも言えるこの構造により、国会は手順を踏む「儀式の場」となった。多くの法案は野党も賛成し、焦点となるのは対決法案だけである。この数少ない法案を廃案に追い込むしか野党は存在感を示しようがない。審議を引き伸ばす。言葉尻を掴(つか)んで「審議拒否」に持ち込む。それを与党は「反対のための反対だ」と批判する。メディアはそんな場面ばかり報じる。「野党は批判ばかり」と映る。山本教授は「ショー化した政府・野党間の『対決』が行われるのは、国会が帝国議会だった時代から議事堂の内部で構築されてきた強固な統治構造のためでもある。立憲民主党が『政策提案型』を取り込もうとしても『構造』自体を変革しない限り、結局は『対決型』、それも劇場的対立型へと逆戻りする」。
◆官僚が腐心するのは与党対策
与党は結論を出して党議拘束で国会に臨むので、野党は「対決法案」には反対しかない。「批判だけの野党」というイメージは、国会の仕組みが作り出した構造問題である。「反対野党」を象徴するかのように取り上がられたのが、「野党合同ヒヤリング」。国会審議に先立って省庁の役人を呼びつけ、野党議員が質問する。テレビ撮影OKなので、野党にとって見せ場となり、曖昧(あいまい)な対応をする官僚を怒鳴りつけたりする。霞が関では「激務の官僚の仕事を増やすばかり」と評判が悪い。
国会が始まると、省庁は野党議員からの「質問取り」や、問い合わせへの対応に忙殺されるというが、これも国会が「対決型」の「質疑応答方式」になっていることから派生した問題だ。今の国会の審議方式では、野党議員の質問に答えるのは閣僚だ。答弁に立つ大臣が立ち往生したり、問題発言をしたりすれば審議が止まる。これを恐れて、質問事項を事前に聞き出す作業が必要になった。「事前に通告がない質問には答えない」というルールまでできた。通告を受けてから答弁を作るため、官僚は徹夜仕事も珍しくない。
質問通告が遅い議員が問題にされるが、本来なら議員同士が討議したり、話し合ったりして考える国政の課題を、議員と閣僚の「応答方式」に限定し、無難に乗り切るため質問を通告させ、当たり障りのない答弁をひねり出す、という陳腐な国会慣行が官僚に長時間労働を強いている。
こうしてみると、官僚にとっての難題は野党対策のような議論が多いが、財務省や外務省などを取材した自らの経験に照らすと、官僚が能力と時間を割いているのは与党への対策である。
官僚にとって政策や法案の仕上がりの最後の関門は、自民党総務会である。総務会というのは企業で言えば取締役会のようなもので、ここで了承されれば「一丁上がり」である。そこを通すまで役人、特に高級官僚と呼ばれる人たちは苦労する。その「前工程」が終われば、成功である。あとは国会を乗り切るだけ、与党の国会対策の出番だ。
省庁の法案作りは各省庁の官房が与党と連携し、官邸の意向や業界に通じた族議員の意向を取り込みながら立案する。ややこしいのが、この人が首を縦に振らないと進まないとか、異論を展開する「声の大きな政治家」だ。与党内の意見調整は「論理」だけでは収まらない。選挙区や関連業界へのサジ加減や、支援者への勲章とか社会的地位とか、恩典を配る。大物政治家にお願いして抑え込んでもらうこともする。法案作りは、理屈だけでなく「裏工作」が伴う。
かつては、野党にも「裏工作」の対象になる議員もいたが、こうした工作の対象となるのは与党、それも大物議員である。
◆「政策立案過程」が抜け落ちた日本の政治報道
メディアは国会での法案審議を報じるが、それは政策決定過程の「後工程」でしかない。「裏工作」も含め与党内で進められている「前工程」は闇の中だ。国会に提案される法案は、自民党の政務調査会や総務会で議論されるが、ほとんどが非公開。それでも議論はなされている。報じられないのは、メディアの怠慢である。
残念ながら、日本の政治報道は「政策立案過程」が抜け落ちている。政局しか関心がない政治記者は、どうやって政策が作られるかという政治の本質を追っていない。結果として「国会審議」という手順を踏むだけの「茶番劇」にスポットライトを当てる。そんな舞台で、野党は「反対」を叫ぶ道化役になってしまう。
コメントを残す