引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。◆4年目の挑戦
文部科学省の障がい者の生涯学習を推進する事業の一環である、市民と障がい者が共に学ぶ「オープンキャンパス」が先般、東京都国分寺市の本多公民館を主会場に、兵庫県西宮市の会場とを結んで行われた。今回はコロナ禍の中で大々的な参加者の呼びかけは行わず、国分寺市の青年学級「くぬぎ学級」のメンバーやみんなの大学校の学生や関係者などが集まったが、結果的に障がいの種類も様々な方々が集まり、「支援者」「要支援者」の立場であっても、同じテーブルについて学び合った瞬間にインクルーシブな「学び合い」を目指した。
誰もが学び合える「場」をどのように作るのか、という国としても、社会にとっても、大きな課題に向けたこの取り組みは、私にとっては4年目の挑戦。少しずつではあるが、その形が浮かび上がってくるような気がしているが、まだまだ緒に就いたばかりだ。
◆インクルーシブを求めて
文科省のこの事業の正式名称は「地域連携による障がい者の生涯学習機会の拡大促進」。18歳以降の障がい者が福祉サービスや一般就労で社会に出ていくが、人生を豊かに暮らすための「生涯学習」の必要性が求められている。2014年に日本が批准した障害者権利条約を受けて始まったこの事業は、文科省が考える「学び」の枠組みを障がい者の生活プランに適合させる必要もあるのだが、この福祉と教育の障壁はなかなか乗り越えられない。
「市民と障がい者」と二つのものを一緒にするフレーズは、それを区別しているような印象もあり、厳密なインクルーシブとは遠くなってしまいそうで気分としては晴れていない。
この現状を受け入れながらオープンキャンパスは2018年に始まった。埼玉県和光市では市民の中で中心となるメンバーに対して数日間、障がい者に関する知識をレクチャーした上で「学び合い」に移行した結果、和光市駅前の花のプランターの管理を、その参加した市民グループと障がい者らが共同で行うことになり、それは今も続いている。
◆つながる想い
2019年にはその交流を地域で展開しようと長野県、静岡県で行い、自治体に声をかけ、福祉事業所に呼びかけて、「学び」を提案、実施し、長野県では学びの場を作りたいという「想い」につながり、2020年には長野でつながった学びの場を具体的に進めるためのオープンキャンパスを実施し、その「想い」は今年NPO法人化し現在、場づくりに奮闘中だ。
そして今年。
国分寺市は1970年に国分寺市立第二中学校心身障害学級(G組)の卒業生と担任教員で「卒業生の会」を発足させ、今の「くぬぎ学級」につながる長い青年学級の歴史を持つ。この歴史とともに未来を創造していこうと考えたのが、みんなの大学校とのオープンキャンパスである。今回も1年目から続けているピアノコーラスデュオの「サーム」との講義「音楽とコミュニケーション」を提供したが、参加者の五感を使っての講義と交流に、熱心に心を傾けてくれて、楽しんだ様子でほっとしている。
◆「花開く」スタンバイ
完璧な学びの場などない。障がい者に配慮し、それぞれの多様な特性に心を配りながら、誰もが「学ぶ」ことを満足できる万能なコンテンツなど夢物語かもしれない。それでも、今回の講義を受けて「たのしかった」「またやりたい」という筆圧が強いひらがなで書かれたアンケートと、分析的かつ論理的に「楽しかった」と綴(つづ)った文章を見ながら、融合できるコンテンツはあるのかもしれない、とも考えている。
ここに必要な条件は、その場を親和的な空気で包めるかどうか、である。従来の学びの枠組みからすれば、静かに理路整然と進行したくなるのであろうが、いろいろな人がいる中でいろいろなことが起こるから、それを受け入れながら、少々はみ出ていても、それも楽しみながら、進める場であるか、である。
これは教える側、運営側の力量が試されるところだが、このインクルーシブな場の空気が「文化」として各地のコミュニティーで根付かせ、常に「花開く」スタンバイができていればよいのだ。
そのために今、私が動いているのだと思う。まだまだオープンキャンパスの扉は開け続けなければならない。
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