山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。「台湾有事」がまことしやかに語られるようになった。産経新聞は元旦の1面で論説委員長が「『台湾有事』がごく近い将来起きる可能性は、かなりある」と書いた。根拠は示されていないが、「習近平国家主席が目指す『台湾統一の夢』を甘く見てはならない」と警告している。
安倍晋三元首相は昨年12月1日、台湾で開かれたシンポジウムにオンラインで参加し、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平国家主席は、断じて見誤るべきではない」と語った。中国が台湾に侵攻したら日本やアメリカが参戦することを習近平主席は覚悟せよ、と言わんばかりの発言だ。
◆「攻撃は最大の防御」に傾斜する日本
「台湾有事」が話題になると、必ずといっていいほど登場するのが「敵基地攻撃能力」という言葉だ。安倍元首相は元旦の読売新聞で以下のように述べている。
「そもそもミサイル防衛は、真剣白刃取りのようなものです。『敵の刀(ミサイル)を捕まえる能力があるぞ』といくら自慢しても、抑止力としては弱い。相手に『最初の一撃を放ったら、自分たちも相当手痛い被害を受けるかもしれない』と思わせることが大切です」
飛んでくるミサイルを撃ち落とす「ミサイル防衛」は頼りにならない、「攻撃してきたら痛い目に遭うぞ」と敵を威嚇(いかく)する長距離ミサイルを配備すべし、という主張だ。だが、他国の領土内を狙った攻撃型ミサイルを保持するのは、日本が安全保障の基本とする「専守防衛」を踏み越える政策だ。
元首相はこうも言う。
「仮に日本が攻撃されて被害が出た場合、報復は米軍に頼ることになります。米軍が自衛隊に『一緒に戦いに行こう』と言っても、自衛隊は『日本は政策判断として敵基地攻撃能力を保持していないので、一緒には戦えない』と拒否することになる。これでは同盟は機能できません。敵基地攻撃能力の保持は必須です」
米軍と一緒に戦うために攻撃用ミサイルの配備が必要だというのである。だが日本が攻撃される、とはどんな状況なのだろう。どこの国がなぜ日本を攻撃するのか。
以前よくいわれたのが北朝鮮だ。ミサイル実験を繰り返す北朝鮮は「ならず者国家」で、何をするか分からないから十分な備えが必要だということでミサイル防衛が話題になった。その結果、アメリカからイージス・アショアという防空迎撃システムを買わされたが、役に立たず巨額の防衛予算が無駄になった。飛んで来るミサイルを撃ち落とすことは難しく、一度に数発飛んでくればお手上げだ。そんな事情から「迎撃」は諦め、「攻撃は最大の防御」へと傾いた。それが「敵基地攻撃能力」である。
◆日本の尻叩き、対中包囲網の軸に据える
米国は賛成している。というより、「敵基地攻撃能力」は米国が求めていることだ。台湾海峡をめぐる軍事バランスをにらみ、米軍基地に中国を狙うミサイルを配備する計画が進んでいる。だが予算は十分ではない。日本が自前で長距離ミサイルを持てば「一体運用」が可能になり、対中抑止力は高まるというわけだ。
昨年4月、ワシントンで開かれた日米首脳会談は、敢えて「台湾」に言及し、「台湾海峡の平和と安定」が強調された。日米首脳の共同文書に「台湾」が盛り込まれるのは、1969年に当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領が交わした共同声明以来である。日本はこの時、まだ中国と国交を回復していなかった。日米双方が「台湾は中国の一部」と認めてから言及したのは、今回が初めてのことだ。
変化を促したのは、米国の世界戦略である。アフガニスタンからの撤退が象徴するように、米国は中東からアジアへと軍事力の重心を移しつつある。海洋進出を強める中国を抑えるため、「戦闘正面」は台湾海峡だ。
ウクライナ問題が示すように、米国にとって対ロシア最前線や中東には、EU(欧州連合)を核とするNATO(北大西洋条約機構)がいる。だが、北東アジアの最前線には頼りになる友軍はない。日本は世界5位の軍事力を持っているが「専守防衛」、頼りにならない。日本の尻を叩いて対中包囲網の軸に据えることが課題となった。
◆日本は「一触即発ヤバい軍事環境」に
昨年3月、米上院軍事委員会の公聴会でインド太平洋軍のデービッドソン司令官は「中国はアメリカに代わる国際秩序を目指している。台湾が野心の一つであることは間違いない。その脅威は向こう10年、実際には今後6年で明らかになると思う」と語った。
公聴会での発言は予算要求の理屈付けが多く、デービッドソン司令官の発言も長距離ミサイル配備などを求めるものだが、台湾有事に向けた日米同盟強化が叫ばれるきっかけとなった。
経済膨張をテコに軍事強化が進む中国は「2024年ごろには台湾侵攻が可能な条件が整う」とも見られており、軍事バランスの変化が習近平国家主席の野心をくすぐるのでは、と見る軍事関係者は少なくない。
アメリカ側の事情で浮上した「台湾有事」に、日本の政治家が便乗している、というのが現状のようだ。先頭に立っているが安倍元首相で、高市早苗政調会長や元自衛官の佐藤正久参院外交部会長など自民党内のタカ派が危機を煽(あお)っている。だが、外務省は慎重で、うかつにアメリカの軍事戦略に乗るのは危険、と考える官僚や政治家は少なくない。
憲法9条を空文化する集団的自衛権などを認める安全保障法制の改変が行われ、日本は米国の戦争に協力できるようになった。しかしそれは、中東など地球の裏側でのことで、日本は後方支援とか洋上給油など、後ろの方でお手伝いする程度、と多くの国民は考えていた。
アメリカの「主たる敵」が中国になってガラリと変わった。日本にある米軍基地や自衛隊が、戦闘正面に立たされた。ミサイルを並べて中国に向ける、となればこっちも狙われる。日本は急速に「一触即発ヤバい軍事環境」に巻き込まれるようになった。
政治家も国民も、そんな急テンポの変化にアタマが追いつかない。ボーとしているうちに台湾危機を煽る米国発の煽動(せんどう)に乗せられ、中国敵視の風潮が広がる。「日本を見くびるなよ。撃ってきたら倍返しだからな!」と言わんばかりの勇ましい言説を新聞が担ぐようになった。
「撃たれたら倍返し」は勇ましいが、戦争はゲームではない。人が死ぬ、たくさんの人が。基地や司令部の周辺にはたくさんの人が暮らしている。第2次大戦が終わってから、日本は武力で人を殺したことはなかった。それが「殺すこと」を前提とした配備が始まろうとしている。
◆米に抵抗できるか、抵抗する気はあるか
今年は日中国交回復から50年。中国との関係修復が外交の課題になっている。新疆ウイグルでの人権問題や香港での民主派弾圧など問題は多いが、そんな中国と腹を割って会話できるチャンネルを増やすことが今こそ必要とされている。日本の最大の貿易相手国であり、中国が混乱すれば日本は無縁でいられない。ましてや戦火を交える事態は絶対に避けたい。
日本の国益を考えれば、台湾は「平和的安定」以外に考えられない、というのが政府の基本政策だ。
アメリカの事情で、敵基地攻撃能力や防衛予算のGDP(国内総生産)比で2%への引き上げ、米国製兵器の購入などが求められているが、こうした風圧に岸田政権がどこまで抵抗できるか、抵抗する気があるか。今年最大の政治課題は、ここにある。
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