п»ї 日本一時帰国顛末記(その2・自宅に戻って) 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第217回 | ニュース屋台村

日本一時帰国顛末記(その2・自宅に戻って)
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第217回

5月 06日 2022年 社会

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

3月初旬、2年ぶりにタイから日本に帰ってきた。新型コロナウイルスのまん延により、この2年間にわたって世界中で厳しい入国制限が行われた。「勤務地であるタイを一度離れるといつ戻れるかわからない」という恐怖心で、私の帰国もままならなかったのである。コロナウイルスの弱毒化とワクチン接種の進行により日本の入国制限も緩和され、私が帰国した今年3月からは、ワクチン3回接種済みのタイ入国者の隔離制限は撤廃された。大変幸運な条件で私と妻は帰国した。

前回第216回でご紹介した通り、私たちが搭乗したタイ航空機が成田空港に到着したのが午前7時半。その後、検疫作業などで入国審査が済むまで3時間強かかり、私たちが空港の外に出られたのが午前11時過ぎだった。用意してあった自動車に乗り込み、途中のスーパーマーケットで少し買い物をして午後1時前に自宅にたどり着いた。乗客が睡眠不足で目を赤くするところから、俗に「レッドアイ」と呼ばれる夜行便(深夜発明朝着便)で日本に到着した私たちは、自宅に帰り着くと倒れるように眠り込んだ。気がつくと夜の7時。すっかり外は暗くなっていた。取りあえず電気、ガス、水道は使えそうである。風呂にゆっくりつかり、スーパーで買い込んだサンドイッチを食べてその日はまた寝てしまった。

◆2週間の自主隔離

1年中「夏日」(最高気温が摂氏25度以上の日)のバンコクと違い、東京の3月の夜はまだ寒い。布団にくるまっているといつまでも眠れる。翌朝、私たちは6時前に目が覚めた。幸いにも隔離が免除されたとはいえ、周囲の人から見える「タイ帰り」は、やはり稀有(けう)な存在である。帰国後すぐに外出すれば「鼻つまみもの」扱いされるかもしれない。

日本の様子が全くわからない私たちは用心に用心を重ね、取りあえず2週間の自主隔離を自らに課すことにしていた。この2週間は家にこもり、部屋の片づけをしよう。朝の明るい光の中で家中を見渡すと、何となくほこりっぽく薄汚れている。また、家の中はモノがあふれ返っている。2年間家を空けるということは、こういうことなのであろう。

タイに移り住んで24年。これまで3か月に1回程度は日本に一時帰国して自宅を使っていた。頻繁に日本に戻ってきていたため、自宅に帰っても全く違和感がなかった。また、従来は日本に一時帰国しても1か月ほどでタイに戻る。日本の自宅が少々モノであふれていても、「仕方がない」と気にも掛けなかった。東京の自宅は、日本のお客様訪問の前線基地である。いつでも使えるように自分の着る洋服やお土産物などは十二分の在庫がそろっていた。しかし今後は、日本で生活する比重を大きくしていく予定である。いよいよ終(つい)の棲家(すみか)として、自宅の整理をしなければならない。こう考えると、家に接する態度も変わってくる。これから2週間、やることは山のようにありそうだ。

◆パソコン、携帯が満足に使えず

やることの多さに気が重くなったところで、困った問題に気がついた。2年間の不在が、いくつかの問題を引き起こしている。まず気がついたのが、自宅のWi-Fiのルーターの故障である。ルーターは15年以上使っているので、製品寿命がきても当然である。当面、仕事で使っている携帯用ルーターでしのぐしかない。しかし、携帯用ルーターは接続可能台数に限度があり、接続回線の数や速度に限界がある。十分に機能することは期待できない。

他にも、洗濯機につなげる水道栓の蛇口がさび付いて動かない。工具を使おうにも、その工具がどこにあるのかわからない。自主隔離期間中なので外部の業者にも頼みたくない。何日間か力づくでバルブ調整を試していたら幸い、ふとした調子に使えるようになった。これで洗濯ができる。

さらに、電化製品の中ではプリンターと固定電話が使えなくなっていた。プリンターは長らく使っていなかったため、インクがノズルに付着してうまく印刷できない。新しいインクに変えたいがそれも手元にない。固定電話も留守番機能がオーバーフローを起こしてうまく使えない。2年間不在にしただけで、電化製品がこれだけ劣化しているとは想像していなかった。

悪いことに、日本で従来使っていた携帯電話は、基本料金の一番安いガラケー。妻のガラケーは前払い料金制のものだったが、日本の携帯電話会社はすでにこのサービスを取りやめており、妻のガラケーは全く使えない。固定電話、携帯電話とも十分使えず、さらにWi-Fiルーターが故障していれば必要な情報が取れない。電話やインターネットが十分に使えないため、私は外の世界から遮断されてしまった。こうした状況に気持ちが焦ったが外出を控えていたため、まずは荷物整理から始めた。

◆断捨離の作業に追われる日々

荷物整理も全く想定外の作業となった。これまでの一時帰国の際は、お土産以外はほとんど荷物を持って帰ってこなかった。洋服屋やカバンなどすべて自宅にそろっているからである。ところが今回は、タイの生活基盤を縮小するためタイからそこそこの荷物を持ち帰ってきた。これを入れる場所がないのである。

まずは、自宅にため込んでいた自分の持ち物のチェックである。洋服だな、タンス、収容だなは、不要な物であふれ返っている。「いつか使うだろう」と思いながら放っておいたものが山のようにある。廃棄したものの、選別作業だけで数日要した。さらにこれらの廃棄に当たってはごみの選別をしなくてはいけない。結局、洋服、書籍などは半分以上を廃棄した。洗濯済みの洋服やあまり使っていなかったカバンなどは後日、太陽光発電を推進しているNPO法人に寄付をした。

以前、「ニュース屋台村」でジェニファー・スコットが書いた『フランス人は10着しか洋服を持たない』(大和書房)という本のことを取り上げたが、私も「常に良質なものを数点だけ購入し、それらを普段使いして使い倒す」生活スタイルへの転換が必要である。

こうした「断捨離」作業をするには体力的に考えて、68歳のいまが最後のチャンスだとつくづく感じた。物を捨てるという作業は、それだけで体力がいる。老人の家が「ゴミ屋敷」になっていくという話も「さもありなん」と納得した。

妻はこれに加えて、食品の廃棄処分に明け暮れた。冷蔵庫にあった長期保存がきく食品や調味料の類もさすがに2年たつと使い物にならない。悩むことなくすべて廃棄処分である。ところが、この廃棄が大変である。ビンや缶の中身をみな捨てて、洗浄する。さらに、ごみを分別して出さなければいけない。思った以上に手間のかかる作業となった。

◆通い詰めた家電量販店

こんなことをしていると、あっという間に1週間がたった。自分たちで2週間の自主隔離期間を設定したが、「買い物などほかの人とあまり接触しない行動」は一方的に解禁とした。まずは、Wi-Fiルーターや固定電話機の購入などである。

自宅から歩いて行ける範囲に家電量販店があるため、ここに通い詰めた。家電製品はインターネットの普及に伴い、ここ15年ほどで機能が格段に向上した。それ自体はありがたいことなのだが、製品を購入した後の初期設定作業がかなり複雑になった。説明書と首っ引きで製品の初期設定作業をしていると、あっという間に1日がたってしまう。取りあえずWi-Fiルーターが設定できたことで、色々な情報をインターネットで収集できるようになった。パソコンが使えるようになり、ようやく社会とつながったような気がした。

家電量販店へは周囲の人に迷惑をかけずに行ける。これがわかったので、プリンターのインクの購入、さらには音響機器の買い替え、アップルテレビの購入など自宅時間を少しでも優雅にできそうなものまで手を伸ばして購入してしまった。こんなことをしているうちに、2週間の自主隔離期間が過ぎてしまった。

さて、ここにきて最も喫緊の課題は携帯電話の購入である。スマートフォン自体は私も妻もタイで2台持っていたので、このうち1台を日本のガラケーから切り替えればよい。とりあえず自宅近くの携帯電話会社に飛び込んだ。ところが、「携帯電話の申し込みは事前予約が必要である」と断られてしまった。「コロナ禍で密を避けるため」との説明に納得したが、自宅に戻り固定電話で予約を取ることから始まった。これも固定電話を買い替えていたからできたことである。

2日後に携帯電話会社に行き、ガラケーからスマホへの契約変更を行っていると、「運転免許証による本人確認」を求められた。ところが、運転免許証の期限が切れていたのである。コロナ禍で2年間日本に戻れないうちに、運転免許証の更新時期が来ていた。運転免許証は日本における唯一の身分証明といってもおかしくない。これが無いと日本での契約は何もできない、と言っても過言ではない。海外にいるためマイナンバーカードの発行も許されない。健康保険証は顔写真がないため本人確認にならない。パスポートには住所が記載されていない。結局、携帯電話会社には健康保険証とパスポートの二つを提示して事なきを得た。これにより、外出時にもスマホで情報が取れるようになった。

◆運転免許、年金、郵便物……空白のツケ

日本に戻って2週間強で、なんとか最低限の生活基盤はできたような気がする。しかし今一番気になっていることが、運転免許証の更新と年金の状況である。更新期限切れの運転免許証の再交付のためには運転免許試験場にまで出向かなければならない。東京は鮫洲、府中、東陽町の3か所にあるが、まだコロナ禍の中で日本の電車に乗ることに躊躇(ちゅうちょ)している私たちは、タクシーで府中の運転免許試験場に向かった。あらかじめ戸籍謄本などの必要書類を準備して試験場に行ったため、思いのほかスムーズに処理をしてもらった。「コロナ禍で海外から帰国できず免許が失効してしまった人がすごく多い」と受付の人に同情してもらった。

これで身分証明書となる運転免許証も更新できたため、日本での社会復帰ができた気分になった。次は年金の確認である。取りあえず年金定期便のメール案内が来ているので年金受給はできると思っていたが、なにせ60歳から8年間も年金の状況確認をしていない。こちらも予約を取って年金事務所を訪問すると、妻の年金受給の申し込みが行われていないという。

年金支給の継続性について疑問を投げかけた拙稿を「ニュース屋台村」に載せたが、やはり自分の老後は年金に頼らざるを得ない。年金受給を確実にする手続きをしなければならない。そうこうしているうちに、また別の問題に気がついた。年金事務所訪問後に年金の将来受取額の試算表を郵送で受け取るはずだったが、いつまでたっても届かない。そういえば、郵便物がこの3週間以上全く届いていない。どうも私たちの存在は郵便局から抹殺されてしまったようである。

1年ほど前から「自宅に届く郵送物は娘のところに転送をしてもらう」転送サービスを利用していたが、最近になってこのサービスの期限を迎えた。たまたま転送サービスの期限が今回の帰国近くだったため、更新手続きをしていなかった。期限切れになれば郵送物が再び自宅に届くものだと勝手に思い込んでいたのである。ところが、郵送物は差出人に返却されていたようである。完全に私のミスである。年金事務所に行ったおかげで、このミスに気がつけたのである。

私はあわてて郵便局に出向き、自宅あて再配送手続きを提出した。しかし、実際に郵送物が配送されるようになるまでさらに1週間かかった。ここからまた、ひと作業である。税金や各種請求書が私の手元に届いていない可能性がある。あわてて思い当たる役所や会社などに連絡を取り、必要書類の再送をお願いした。

◆日本不在2年の大きさ実感

それにしても、「コロナ禍で日本を不在にしたこの2年間の時の大きさ」を感じた今回の一時帰国である。自分を証明する手段がなく、郵送物配送先としての自宅の住所も抹消されている。家電製品などの劣化により社会の情報からも遮断されてしまった。

2年間の空白期間の代償がここまで大きなものになるとは思っていなかった。「日本人として日本に復帰するには、今回の一時帰国はぎりぎりのタイミングだったのではないだろうか?」。思わずこう考える自分がいた。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第216回「日本一時帰国顛末記(成田入国編)」(2022年4月15日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-91/#more-12915

第208回「私たちの年金は本当に支払われるのだろうか?」(2021年12月17日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-78/#more-12665

第53回「フランス人は10着しか服を持たない」(2015年8月28日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-92/

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