п»ї 恐竜新時代 『週末農夫の剰余所与論』第27回 | ニュース屋台村

恐竜新時代
『週末農夫の剰余所与論』第27回

4月 27日 2022年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

東京から舞鶴(京都府)まで、往復1900キロのドライブをして、途中、福井県勝山市の恐竜博物館に行ってみた。九頭竜川のサクラの花は満開だった。日本に恐竜がいたころ、気候は温暖で、入江や干潟がたくさんあったようだ。最近の古植物学の進歩により、恐竜たちが生きていたころの生息環境が再現されていたことが興味深かった。ヒトの祖先であるネズミのような哺(ほ)乳動物も、恐竜とともに生きていた。しかし、ネズミたちは恐竜目線では全く目立たない存在、敵でも味方でもない存在だったようだ。進化論では、種の数を推定することはできても、特定の種がどの程度の個体数であったのか、個体が分布する地域自体の地理的および気候的変動もあって、個体数の推定が困難なようだ。個体密度という観点では、植物は大成功していて、地域を個体群の特徴的なパターンで埋め尽くす。動物は植物群落に依存するニッチな生息環境で生きざるを得なかったのだろう。現代では、人類が植物群落を破壊し、植物を人為的に栽培して、陸上環境を支配しているようではあっても、ゴキブリは恐竜時代にも生きていたし、個体数という意味では、人類はゴキブリに全く太刀打(たちう)ちできないと思われる。しかも、ゴキブリは人類目線で目立たないように生息している。恐竜にとって人類の先祖は、人類にとってのゴキブリのような存在だったのかもしれない。

(福井県立恐竜博物館、2020年初版)

恐竜に新時代があるのであれば、人類にも新時代があってもよいはずだ。恐竜新時代とは、恐竜を科学する恐竜学の新時代だけではなく、恐竜博物館のリニューアルも含めて、人びとと恐竜の関係の新時代でもある。福井県勝山市は、永平寺から九頭竜川を山にさかのぼった山村だ。かつては養蚕が盛んだったけれども、現在は「恐竜の町」となっている。恐竜は全世界の子供たちのスーパースターだ。福井では、世界的スーパースターである恐竜の新時代となった。筆者の文脈では、人類新時代は、データが主役となる。文字の発明から産業革命までを、人類が地球環境を破壊し続けた人新世(Anthropocene)の前史と考えてみよう。人新世前史は、愚かな支配者たちの歴史であって、過去を記録する歴史だ。データが主役となり、人びとがリアルタイムに未来を予測して適応する。人類新時代のスーパースターは、人工知能(AI)なのだろうか。

『ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」』(アルバート=ラズロ・バラバシ、光文社、2019年)では、様々なスーパースターのデータを分析している。様々な分野のスーパースターの報酬は、長いすそ野の「べき乗則」として分布していて、スーパースターの報酬に上限は無い。しかしこの「成功の普遍的法則」は、人新世前史における法則であって、成功をもたらす社会現象は事後的に分析されたものでしかない。すべてのデータがリアルタイムに集積され、自動分析されるデータ新時代では、社会現象の普遍的法則は大きく変容する。ほぼすべての分野で、AIがヒトの能力を超えてしまうので、人類のスーパースターには出番がなくなり、確率的にコントロールされた「自然」な社会が出現するかもしれない。「成功の普遍的法則」では個体差を「Qファクター」という、知能指数IQのような実数で表現している。しかし、IQが知能の個体差を適切に表現していると信じている人びとは少ないだろう。バラバシが考えているように、成功が社会現象であるのなら、「成功の場」における個体差は、「Qファクター」のような単純なスカラー量ではなく、物理学で場を表現するベクトル場か、少なくとも複素数で表現されるはずだ。「成功の普遍的法則」は、データ新時代への入り口ではあっても、人新世前史の地球環境規模での大失敗を乗り越える前の、特殊な人びとの経済的成功の物語に過ぎない。

人新世前史の大失敗は、環境問題だけではない。核戦争のリスクや、貧困と経済的格差など、20世紀の問題が21世紀になっても解決の方策すら見えない。人新世前史の大失敗は、理性の限界と、認知症の現実を生きなければならない人類自体の問題でもある。恐竜は大絶滅した時に、鳥類へと進化したグループが、戦闘能力よりも逃避能力を選択して生き延びた。人類の大絶滅には、進化論的な時間の猶予は無さそうだ。国家によって切り捨てられ、棄民(きみん)となった人びとが生き延びて、新たなニッチを発見するほうが、人類の進化よりもありそうな物語だ。そのようなニッチは、おそらくインターネットの安全地帯に作られる。そしてニッチから反撃のエッジへと、思考実験が繰り返される。渡り鳥は、左脳と右脳を切り替えて睡眠をとりながら、飛び続けることができるらしい。人新世前史の大失敗は、睡眠不足として、無能なだけではなく、残虐で自己中心的な権力者たちを脅かすだろう。地球環境規模での連鎖的な問題群を解決するためには、渡り鳥のような斬新な自己改革が必要となる。過去の歴史においては、瞑想(めいそう)による自己改革も、思考実験の一形態だったのかもしれない。

バラバシの「成功の第3の法則」は、「過去の成功✕適応度=将来の成功」であり、指数関数によって成功の「べき乗則」を上手に説明している。しかし、指数関数的な社会現象が長続きしないことは、ネズミ講からも明らかだ。現在の大失敗に対処するために、大恐慌や戦争、クーデター、革命などによって、過去の成功を帳消しにする必要がある。指数関数を複素数の関数として再定義すると、「オイラーの定理」のような、美しい調和関数が出現するから不思議だ。そのぐらい斬新な発想の転換をしないと、人新世前史の大失敗を乗り越えることはできないだろう。弱肉強食の恐竜世界を進化論的に再考してみよう。動物は海の中ではそもそも肉食だったので、陸上で大成功した植物を食べる草食動物は、肉食動物よりも進化論的に新しい動物と考えられる。草食動物は、陸上に新しいニッチを発見した。草食動物は自身の消化酵素と、腸内細菌の消化能力をうまくバランスしている。草食動物の腸内細菌叢(そう)は、多種多様な細菌類と、ウイルス類が複雑系を作り、さらに消化酵素や体温調整などの宿主機能が加わるので、現在の発酵工学では再現不可能な複雑系だ。人類新時代には、草食動物よりも進化した科学技術で、植物との共存・共生・共進化を実現して、弱肉強食という、大絶滅に至る愚かな前史から脱却したいものだ。

肉食動物によって進化した科学技術は、核兵器などの軍事技術を大量生産し、人類の未来は愚かな丁半博打(ちょうはんばくち)となって、人類大絶滅の物語が現実のものとなりつつある。過去の歴史にこだわり、現在の生活を破壊してしまう。当然、現在の問題が解決される未来は、永久に実現されない。本稿では草食動物から進化した科学技術に言及したけれども、この論考では、とても人類新時代が信じられる段階ではない。現在、進化論的に成功している動物は、鳥類と昆虫、コウモリなど、小型化して空に進出した動物たちだ。人類新時代は宇宙に進出するのだろうか。AIや宇宙は、近未来の技術的フロンティアであることは確実だろう。しかし、弱肉強食なAI軍事技術や宇宙軍事技術では、人新世前史の大失敗を乗り越えることはできそうにない。正しいことを考え、正しいことを行ったとしても、弱肉強食を信じる暴力には勝てない。合理的な思考に意味が無いのだから、確率を信じて生き延びるしかないだろう。肉食に最適化した恐竜は、確率的な気候変動やウイルス感染を生き延びることができなかった。反撃し、逃げながら、新たなニッチを発見しよう。人類新時代について、もう少し考えてみたい。

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『剰余所与論』は意味不明な文章を、「剰余意味」として受け入れることから始めたい。言語の限界としての意味を、データ(所与)の新たなイメージによって乗り越えようとする哲学的な散文です。カール・マルクスが発見した「商品としての労働力」が「剰余価値」を産出する資本主義経済は老化している。老人には耐えがたい荒々しい気候変動の中に、文明論的な時間スケールで、所与としての季節変動を見いだす試みです。

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