引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
「打ちました!2ベースヒット、2点です!」「残念!アウトです!」。
実況する声がグランド上に響く。その度にベンチに陣取った両軍の「選手」たちが歓声を上げる。そして次に打席に立つ選手に声援を送る――。
桜満開でも花冷えがするサッカー場で行われたのは、誰にでも楽しめるユニバーサル野球。約3メートル四方の野球盤はバネで固定されたバットの留め具をひもで引っ張ることで打つことができるから、微細な力でも選手として打席に立ち、打つことができる仕組みである。
ベンチの歓声を盛り上げる実況と打席に立つ選手の名前を伝えるアナウンスに、太鼓のリズムとメガホンで声援を送る声がそれに続く。巨大な野球盤を囲んだその劇場は誰もが楽しめる演出で盛り上げられ、ユニバーサル野球が参加者の関わり方によってインクルーシブな未来を描くことを示している。
◆誰もが楽しめる演出
この日、私が訪問したのは栃木県真岡市の勝瓜サッカー場。グラウンドの真ん中には巨大な野球盤だけではく、ユニバーサル野球と書かれた幟(のぼり)と実況用のスペースに両軍のベンチが置かれた。
両軍に分かれて陣取るのは、障がいのある18歳までの児童生徒が通所する放課後デイサービス「こどもサークル」の利用者とその保護者たちだ。回転盤に置かれたソフトボール大のボールをじっくりと見てタイミングをはかりながら、次々と子供たちが「打撃する」。
打った瞬間に歓声が上がるものの、なかなかヒットゾーンには飛ばず、歓声はため息に変わる。ヒットの際の歓声はひときわ盛り上がる仕掛けでもあるようだ。この野球盤を開発し、制作、そして運用している堀江車輌電装株式会社・障がい者支援事業部スポーツ推進課の中村哲郎さんは「だいたい打率が2割5分くらいになるよう設定しているのです」と話す。野球と同様に3割を打てれば好打者というわけである。
◆誰もが活躍できる
同社は鉄道車両の保守点検などを主事業とし、鉄道の技術では実績と歴史を誇る。本事業から遠いように見える野球盤。中村さんに聞くと、本事業との結びつきは皆無だという。周辺の「思い」だけで成り立ってきたようなこの野球のキャッチフレーズは「誰もが活躍できる」。
「応援は人を強くする」とのメッセージも発し、声援も野球の一環としてとらえているから、打席に立つ人を中心に応援する人、サポートする人、みんなが参加し、そして活躍できることが「ユニバーサル」の意味を深める。
ユニバーサル野球の1号機は2019年に始まり、今回のものは改良を重ねた4号機。バットの素材や留め金の微妙な修正から野球盤を設置する高さなど、利用者のニーズに合わせて試行錯誤を繰り返してきたという。
例えば、車いすやストレッチャーに乗った重度障がいのある方と楽しむ場合には、ボールの行方が分かりやようにより野球盤の高さを低くした。バットの留め金を外す際も「誰もが」できるような強度にこだわった。細部への配慮をみせながら、その野球盤は確実に「誰もが」できるものに近づいている。
◆大人の喜びと愛情
子どもたちや保護者の歓声や応援の声を盛り上げるのは、ヘッドセットを付けて進行役を務める中村さんだ。ワゴン車で野球盤セットを運び、組み立て、プレーボールのとたんには審判員にもなる。みんなで遊べる遊びであると同時に、真剣にもなるスポーツでもあるから、時にはジャッジをする中村さんの存在は大きい。
北海道の甲子園常連校の高校球児だった中村さんは、野球少年そのままに楽しみながらユニバーサル野球を日々進化させているようで、インクルーシブな社会に向けて必要な大人の存在を見た気がする。
グラウンドの子供の歓声が上がる度に、そこに、同時に中村さんの喜びも感じてしまうのは私も高校球児だったからか。そして私自身の中にある野球への愛情が湧きたってくる。この気持ちの融合で年齢や障がいの有無を超えた場が作られる。
誰もが楽しみ喜び合えるユニバーサル野球は、まだまだ可能性を秘めている。
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