小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
ありがたいことに「タイ人は大の日本好き」である。第2次世界大戦の痛手から急速な復興を遂げ、アジアの先進国としての立場を長い間享受してきた日本。技術のある工業製品を生み出し豊かな国であった日本は、ながらくタイ人にとってあこがれの地であった。2013年7月からタイ人の観光ビザが免除されると、多くのタイ人が日本を訪問し始めた。日本政府観光局(JNTO)の資料によると、コロナ禍前の19年の訪日外国人数の総計は3188万人で、そのうちタイ人は132万人(4.1%)となっている。観光客を国別で見ると、中国の959万人が第1位で、タイは韓国、台湾、香港、米国に続く第6位となっている。ちなみに、タイ人観光客は他国の観光客に比べて個人旅行、リピート客の割合が高く、平均滞在日数も長くなっている。こうした特徴も見ても、タイ人の日本好きがうかがえる。
◆厳しい規制が続く日本への観光旅行
そんなタイ人から、「いつになったら日本に観光旅行できるのか?」と頻繁に聞かれる。日本では「今年6月から外国人観光客の受け入れを本格的に開始した」と大々的に報じられた。確かに日本政府は外国人観光客受け入れの仕組みを用意した。
しかしその受け入れスキームはかなり規制の強いもので、実際に訪日を希望するタイ人が簡単に利用できるものではない。第一に、観光ビザが再度必要になったのである。一度はビザが免除されたタイ人にとって、観光ビザを再度取得しなければならなくなったのはかなりの負担感となる。ハードルの二番目は、「添乗員付きのグループ旅行」しか認められないことにある。しかも、日本での行動スケジュールは事前に承認を受けなくてはならない。問題点の三番目は、日本での厳しい行動規制にある。食事場所の変更も不可能で、席順もあらかじめ決定し変更が許されない。もちろん自由行動は許されない。旅行客がコロナに感染した場合、濃厚接触者を特定しやすくする方策のようである。
日本の中学生の修学旅行だってこんな規制をしていない。さらに1日当たりの日本への入国者数を2万人に限定している。この入国者数は海外在留邦人も含まれているため、外国人の入国者はこの半分くらいではないだろうか? この入国者数の制限により、日本行きの航空機の搭乗客は1機あたり100人程度に抑えられている。こんな厳しい規制の中で外国人が日本に観光に出かけることに躊躇(ちゅうちょ)するのは自然の流れであろう。
先日、タイ人の富裕層を専門に扱っている旅行代理店の方と話をした。タイ人の富裕層は大家族20人以上で旅行するケースも珍しくなく、金に糸目をつけず一流の旅館やレストランを希望する。このため、こうしたアレンジをする特別な旅行業者がタイには少なからず存在する。優良なタイのお金持ちの客ばかりを取り扱っているわけだが、この旅行代理店にも日本への観光打診が多く来ているようである。
しかし6月以降、実際に日本に行ったタイ人は1家族6人だけだそうである。実際に10日間の旅行日程で1人当たり120万円程度かかったそうだ。日本政府が1日当たりの入国人数制限をしているため、飛行機の座席数が間引きされ、特にファーストクラスやビジネスクラスの座席確保が難しく、値段もかなり割高となっている。まだ6人の少人数だったため座席が確保できたが、20人以上の大家族だと飛行機の座席が確保できないかもしれないという。さらに、日本での旅行期間中はずっとガイドが付くことが条件で、これも費用を押し上げる大きな要因となっている。
日本のガイドの人も「従来の慣行からするとあまりに理不尽なサービス提供だ」と感じたようである。今回は、日本のガイドの人から料金引き下げの申し出があった、との落ちまでついている。このタイ人家族の場合は、子ども2人がスイス留学中で「どうしても日本のアニメの聖地巡礼をしたい」という強い希望があったという。聖地巡礼の旅だったため、日本での訪問場所も特定でき、訪日旅行を実現にこぎつけた。しかしながら
1)膨大な事前書類の提出
2)高額な旅行費用
3)不自由な行動規制
4)日本入国72時間前のPCR検査の義務付け
などが、外国人に日本への観光旅行を躊躇させる大きな要因となっている。実際に先述の旅行代理店でも、6人家族を除いてすべて日本への観光旅行を断念したという。日本観光をあきらめたタイ人の富裕層の人たちは現在、イタリアやフランスなどヨーロッパ諸国に旅行していると聞いた。私の知り合いのタイ人たちも同様にヨーロッパに出かけている。
タイ人がEU(欧州連合)諸国を旅行する際は従来、観光ビザが義務付けられているが、日本ほど煩雑な書類の提出は求められないようである。原油価格の高騰から燃油サーチャージ(燃油特別付加運賃)は上がっているが、座席の制限から生まれる航空運賃の引き上げはない。「日本好き」だったタイ人が次第に「ヨーローパ好き」に変わっていくのではないか、と私は少し懸念している。
◆外国人観光客を歓迎していないのが本音?
ちなみに、日本人がタイに入国する際の手続きについてご紹介したい。タイ政府は今年7月1日以降、ワクチンの接種証明証(ファイザーやモデルナを2回以上接種)があれば世界の大半の国から何の規制もなく簡単に入国できる。もちろん観光ビザも必要なく、タイ国内では自由に行動できる。しかし、日本人がタイ入国に当たって問題となるのは、①日本サイドでワクチン接種証明証の発行に時間がかかる②日本帰国時に72時間前にPCR検査が必要――など、いずれも日本サイドの問題なのである。
日本政府はいつになったら、欧米諸国やタイのように本格的に観光客の受け入れを始めるのであろうか? 日本での試験的観光客受け入れが大々的に報じられたのが今年5月の後半。この時期に何度か、タイの日本政府関係者とタイ人との面談の場に同席した。観光客受け入れ施策の詳細を知らないタイの人たちからは、日本政府の決定を歓迎する声とともに、具体的な入国方法への質問が相次いだ。
この時、日本政府関係者は、なるべく悲観的にならないように受け入れ条件を説明するとともに、「参議院選挙で岸田政権が勝利したら早い段階に入国規制措置が完全撤廃されるだろう」という見込みが語られていた。外国人観光客の受け入れは日本国民には不人気な施策のようであり、これが参議院選挙の結果に影響を与えてはいけないという岸田政権の見立てである。さらに7月に入ると、オミクロンBA5株の猛烈な感染拡大で、日本の国民感情からして現時点での入国規制緩和はあり得ないとも聞く。どうも日本の人たちの大半は、本音ベースでは外国人観光客の受け入れを歓迎していないようだ。
◆日本政府の「二枚舌」と「問題先送り」
実は私自身も、日本の観光立国化にはあまり賛成していない。20年10月2日付の「ニュース屋台村」の拙稿第178回「コロナ禍後の日本の観光施策はどうあるべきか」で詳述した通り、従来型の日本の観光施策では日本人はもうからない仕組みとなっている。コロナ禍前の19年には、前述の通り3188万人の外国人が日本を訪問したが、このほぼ半分は中国人と韓国人である。これらの人たちの大半は、自国のLCC(格安航空会社)かクルーズ船を使う。また宿泊施設も観光地で自国の会社が買収したホテルなどを使う。買い物はドラッグストアやドン・キホーテでコスメティック用品やみやげ物のお菓子を買う程度であまり金を落とさない。日系の旅行会社からも「外国人のインバウンド旅行では黒字化できていない」と聞いたことがる。
従来型の観光施策では日本はほとんどもうかっていないのである。京都などの観光地は無作法な外国人旅行客が押しかけ、日本人旅行客の足が遠のく。コロナ禍の期間、日本の観光地を訪問した友人からは「外国人観光客がいなくなって日本の良さを満喫できた」といったうらやましい声も届いた。私たちは日本を切り売りするような「安い日本観光立国の施策」を変更する時期に来ている。だからこそ、タイの富裕層の観光客などは積極的に受け入れる方策を考えなければいけない。
海外に住む日本人にとって、現在の日本政府の観光客受け入れ姿勢は恥ずかしい限りである。欧米などの外国政府に対しては外交政策のレシプロ(レシプロケーティング=行って戻ってくる往復運動のような考え)の観点から「外国人入国緩和措置を実行した」と言いながら、実質的に受け入れ拒否をする。日本国民には外国人旅行者がほとんど入ってこないことで安心感を与える。二枚舌政策である。コロナ禍後の日本の観光政策の在り方を真剣に考えているとは思えない。
全国旅行業会会長の職に二階俊博元自民党幹事長が就任しているが、旅行業界は従来、二階派の牙城(がじょう)のようである。コロナ禍で観光客が蒸発してしまった状況にあっても、老舗(しにせ)の旅行会社はワクチンの大規模接種会場の運営、Go to Eat事業の受託、自治体への職員出向など、政府による大手の旅行業者救済策の中で生き延びてきているといわれている。旅館やホテルなども持続化給付金や日本政府のゼロ金利融資などで旧来型の経営を続けようとしている。
しかし、コロナ禍とウクライナ戦争で世界は分断化されてしまった。ペロシ米下院議長の台湾訪問を契機に日中間の緊張もかつてないほど高まっている。また、コロナ禍は世界的レベルで貧富の差を拡大させてしまった。こうした激変する世界の中で、日本はどのような観光施策を展開していくのであろうか? 現状の外国人受け入れ措置は、日本政府お得意の「問題先送り」にしか見えないのである。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第178回「コロナ禍後の日本の観光施策はどうあるべきか」(2020年10月2日付)
コメントを残す