山本謙三(やまもと・けんぞう)
オフィス金融経済イニシアティブ代表。前NTTデータ経営研究所取締役会長、元日本銀行理事。日本銀行では、金融政策、金融市場などを担当したのち、2008年から4年間、金融システム、決済の担当理事として、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災への対応に当たる。
「物価対策」といえば、通常は物価上昇を抑制する政策を思い浮かべるだろう。しかし、今回の政府・日本銀行による「物価対策」は逆だ。超金融緩和の継続と巨額の財政支出の組み合わせは、需要を維持し、物価の上昇を促す政策にほかならない。
給付金や補助金の対象とならない家計や企業にとっては、物価の上昇と将来の増税のダブルパンチとなる。一つの政策判断ではあるが、なぜこうした判断に至ったかの説明は明確でない。
日銀は、値上げ許容度発言を撤回し、政府とともに円買い介入も実施した。それでも、異次元緩和を続けている。ロジックを読み解くのは難しい。
◆異次元緩和の原点
2013年4月に日銀が始めた異次元緩和は、それまでの金融緩和に対するアンチテーゼ(対立軸)の色合いの濃いものだった。
①物価目標2%に厳格にこだわること②目標の達成時期を2年程度と明示すること③従来比2倍に当たる巨額の資金供給を行うこと――を3本柱とし、これらを強く約束することで、国民のインフレ心理をかき立て、物価の上昇を実現するというストーリーだった。
黒田東彦(はるひこ)日銀総裁も、導入時の記者会見で「政策の逐次投入はせず、必要な施策はすべて講じた」と述べ、断固たる姿勢をアピールした。
市場はサプライズをもって受け止め、激しく反応した。株価は大幅に上昇し、円相場は大幅に下落した。物価も前年比1%台まで上がり、一時はすべてがうまくいくかのように見えた。
◆「量重視」から「金利重視」へ
しかし、長続きはしなかった。2014年半ば以降、物価上昇率の低下が明白となり、導入後2年程度での目標達成は見通せなくなった。以後、日銀は「政策の逐次投入はしない」との前言にもかかわらず、追加の緩和措置を繰り返した。
16年、日銀は、マイナス金利と長短金利操作という新たな政策を相次いで導入した。事実上、「量」重視の政策を「金利」重視に変えるものだった。
量を重視する政策は、国債市場の流動性枯渇や長期金利の過度の低下をもたらし、限界に来ていた。「巨額の資金量供給が人々のインフレ心理をかき立てる」との仮説も、根拠に乏しかった。
しかし、日銀は完全には「量」重視の旗を降ろさず、国債の購入を続けた。そのために「量も金利も質も」というレトリックを持ち込んだ。新たな説明を付け加えて異次元緩和の正しさと連続性を強調する手法は、今も続く。
◆「2年」の旗も降ろしたが
2018年、日銀は、物価目標の達成時期として掲げてきた「2年程度」の旗も降ろした。すでに5年が経過し、旗は風化していた。
以後、日銀は「2年程度」に代えて、「金融緩和を粘り強く続ける」と繰り返すようになった。
「粘り強く」との表現は、耳に心地よく響く。しかし、この変更は、金融政策の性格を抜本的に変えるはずのものだった。
金融政策は、本来、経済の短期的な変動をならすための手段である。いつ物価目標が達成されるか当てのないまま、ただ「粘り強く続ける」政策は、もはや金融政策とは言い難かった。
そこで日銀が持ち出したのが、いわゆる「適合的期待形成」の仮説だった。「国民の物価観は過去の経験に引きずられており、そのためにデフレマインドの修正に時間がかかっている」との説明である。
適合的期待仮説は1990年代末ごろから日銀エコノミストが論じていたもので、「2年程度」を掲げた当初から織り込み済みのはずだった。しかし、その点への言及はなかった。
問題は、「適合的期待形成」の議論は専ら人々の心理に依拠しているため、反証可能性に乏しい命題であることだった。物価が上がらなければ、「人々のインフレ心理が高まっていないからだ」と言えばよく、それ以上の説明を必要としなかった。一種のトートロジー(同意反復)である。
実際、日銀はこの説明を根拠に異次元緩和を「粘り強く」続け、結局、9年半が過ぎた。この間、金融市場の機能不全、財政規律の緩み、金融システムの弱体化が着実に累積した。
◆値上げ許容度発言は撤回したが…
2022年4月、海外の資源価格、穀物価格の急騰を背景に、日本の物価も前年比2%台に上昇した。しかし、日銀は、来年度には再び1%台に低下すると見通している。
こうした中で、6月、日銀からは「家計の値上げ許容度が高まっている」との発言があった(注)。日銀にとっては、政策の成果をアピールする格好の材料だった。物価目標の未達成の理由を、これまで専ら「国民のインフレ心理が高まっていないからだ」としてきた日銀である。ようやく、新たな材料が出てきた。
(注)渡辺努東京大学教授によるアンケート調査結果を基に、黒田総裁が講演で言及したもの。
しかし、世論は一斉に反発した。日銀も発言を撤回した。
世論の反発は、足元の物価上昇を許容し難いインフレとみなしたからにほかならない。とくに生活関連品目の値上がりが著しい。発言を撤回するのであれば、物価目標を再検討するのが自然だっただろう。
しかし、日銀はそうはしなかった。「家計は、苦渋の選択としてやむを得ず(値上げを)受け入れている」と言い直し、「許容度」という不適切な表現を用いたことが撤回の理由とした。
併せて、異次元緩和継続の理由に「賃金と物価の好循環に至っていない」ことを挙げ始めた。総裁会見では「賃金の本格的な上昇を実現するため、金融緩和を粘り強く続けることで、経済をしっかりサポートしていくことが必要」との発言もあった。あたかも、物価目標に代えて、賃金目標が導入されたかのような説明である。
しかし、これは奇妙だ。たしかに、賃金の上昇率と物価の上昇率は統計上近い関係にある。だが、賃金は基本的に企業の従業員1人当たり付加価値額(=労働生産性)によって決まる。金融政策で直接的にはコントロールできない。賃金と物価が1対1の対応関係にあるわけでもない。
分かりやすい例で考えてみよう。賃金上昇率が-1%、物価上昇率が5%のとき、金融緩和を継続すべきか。答えはNOである。物価が高い。逆に、賃金上昇率が5%、物価上昇率が-1%のとき、金融緩和を継続すべきか。答えはYESである。物価が低い。賃金はどうあれ、中央銀行にとっての目標はやはり物価である。
賃金は、もちろん重要だ。ただし、賃金の上昇を促す政策は、市場競争の活性化が基本となる。役割を担うのは金融政策でなく、労働市場の流動性向上や競争阻害的な規制の撤廃などの構造政策である。もし賃金を金融政策の目標に据えるのであれば、政策の理論とフレームワークを抜本的に見直さなければならない。
では、なぜ日銀はここへきて賃金重視の説明を持ち出したのか。
賃金重視は、耳に心地よく響く。値上げ許容度発言の本当の論点は「苦渋の選択で値上げを受けているのであれ何であれ、物価2%が適切な目標なのか」であるはずだった。日銀の意図はともかく、賃金重視の説明は、本来の論点から人々の目をそらせる効果をもった。
問われているのは、異次元緩和の3本柱の中で唯一残った「物価目標2%に厳格にこだわること」が適切かどうかだ。
市場機能を壊してしまっては、企業の新陳代謝は阻害され、付加価値も賃金も高まらない。市場経済を犠牲にしてまで、かたくなに「物価目標2%の安定的な達成」にこだわる理由が本当にあるのだろうか。
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