山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
日銀は、長期金利の許容幅を1±0・25%だったのを1±0・5%に拡大することを決めた。新聞各紙は一面トップで「日銀が金融政策を修正」(朝日新聞)などと大きく報じたが、一般の人には、なんのことかさっぱりわからないのではないか。
この決定は、日本が「アベノミクス」と呼ばれた異形の経済運営に見切りをつけたことを意味する。
強いて言えば、覚醒剤患者が「ヤクをやめたい」と言い出したようなもので、このまま進めば身を引き裂く苦難が待ち構えている。「いつかはやめなければならなかったこと」(政府高官)ではあるが、再生への苦痛に政治家や人々は耐えられるだろうか。来る年は、その決意が問われるだろう。
◆日銀総裁が言ってきたウソ
黒田東彦(はるひこ)日銀総裁は記者会見で、「利上げではない」「出口戦略の一歩とか、そういうものでは全くない」「これは利上げではない」「あくまで市場機能を回復する措置」などと、大騒ぎするようなことではない、と言わんばかりの釈明に終始した。
新聞論調は正反対の見方で、「事実上の利上げ」「異次元緩和の『解体』の始まり」などと、政策転換であることを指摘した。総裁の説明とメディアの論評がこうも食い違うのはなぜか。
日銀総裁がウソを言っているからだ。日銀総裁ともあろう要職にある人が記者会見で堂々とウソを言うなどあり得ない、と思うかもしれないが、政治家や官僚の間では昔から「公定歩合と解散はウソを言っても構わない」とされてきた。
公定歩合とは日銀が定める政策金利を指す。今回の「長期金利の許容幅」は、日銀が誘導する長期金利の目標の引き上げを意味するもので、世界の趨勢(すうせい)となった「利上げ」に日本も動き出したということだ。
世界と同じことをするのに、なぜ日本が「身を引き裂くような苦難」が伴うのか。ここに今回の問題点があり、黒田総裁が「説得力を欠く説明」に終始する理由がある。
結論から言おう。黒田総裁が行ってきた「異次元の金融緩和」は結果が出ないまま終わった、ということだ。
それだけではない。国債を銀行から買い上げて、資金を市場に放出する、という日銀の手法が「政府の国債乱発」を誘い、手がつけられないほどの放漫財政にしてしまった。
こうした政策の行き詰まりは外国の投機筋に見透かされ、「国債カラ売り」という手法で追い込まれていた。事実上の利上げは「外国の投機筋」を大儲けさせ、日銀は損失を被る結果となった。
◆「国債金利が上がると困る」日本の事情
なぜ、こんなことになったのか。日本は、他国ではやっていない「長期金利」まで日銀がコントロールしようとしたことに原因がある。
1年以下の短期金利は、世界のどこでも中央銀行が決める。「政策金利」と呼ばれるもので、この金利を目安に1年を超える「長期金利」が債券市場での取引を通じて決まる。それが自由で開かれた市場経済での金利の決まり方である。
ところが、日本では長期金利まで日銀が誘導する、という「世界でまれな金融政策」が取られてきた。「イールドカーブ・コントロール(YCC)」と呼ばれるもので、長期金利を低く抑え込んできた。市場で決まる長期金利を日銀マネーで抑え込む「力による市場支配」が、ついに破綻(はたん)したのが、今回の「利上げ決定」である。
日銀は、長期金利を「ゼロ」と定め、誘導目標を「ゼロ±0・25%」として、金利がこれを上回りそうになったらカネに糸目をつけず国債(指標銘柄とされる10年国債)を買い上げ、金利が上限の0・25%を超えないようにしてきた。
なぜそんな無茶をするのか。長期金利が上がると企業の設備投資や住宅ローンの金利が上がる、景気に水をさしかねない、といわれるが、政府・日銀にとって切実な問題は「国債金利が上がると困る」という事情である。
9月末の発表数字では、国債の発行残高は1066兆円。GDP(国内総生産)の2倍に相当する国債を発行する国など先進国に見当たらない。その半分以上の536兆円を日銀が保有している。輪転機でお札を刷って国債を買いまくるという中央銀行は、まともな国では見当たらない。
国債の金利が上がれば、財政は利払い費が兆円単位で膨らむ。日銀は債務超過に陥る恐れがある。こうした日本ならではの事情が「長期金利抑え込み」という世界でまれな政策に走らせた。
◆遅きに失した金融政策の転換、だが本番これから
世界から見ればあり得ない政策だ。そこに目をつけたのが外国の資金運用会社だ。高度な金融技術を使って株や債券で運用益を稼ぐ「投機筋」と呼ばれる集団だ。日銀の長期金利コントロールはいずれ破綻する、と見て、日本国債に空売りをかけた。現物で売って先物で買う。日銀が買い支えている国債は「割高」だからここで売る。買い支えが破綻すれば値は下がる。そこで買い戻せば差益がごっそり入る。
誘導目標の「許容範囲拡大」を受け、国債金利は跳ね上がった(価格は低下)。投機筋の読み通りの結果となった。
利上げは始まったばかり。今回の「0・25%上げ」は、日銀の金融政策に開いた小さな穴にすぎない。来年4月には黒田総裁が退任する。10年やって成果が出なかった異次元の金融緩和は、新総裁の下で手仕舞いされるだろう。
失敗がわかっても修正できない。遅きに失した金融政策の転換はこれからが本番だが、手放しで喜べない。ゼロ金利に慣れ切った経済が、金利の重荷を感ずることになるだろう。最大の受益者だった財政と与党政治家は覚悟が問われる。コロナ対策も景気対策も、財源にお構いなしにウン兆円の予算を気前よく積んだ。そして43兆円の防衛予算までアメリカに約束してしまった。
そんな大盤振る舞いはもうできない。「増税か、緊縮財政か」。問われれば国民は「両方ともイヤ」と言うだろう。
ゼロ金利をいいことに国債に頼り、負担を将来につけ回ししてきた愚挙は、持続可能とは言えない。
「やはり国債しかない」となれば、英国でトラス前政権を崩壊させたような市場の氾濫(はんらん)が起きかねない。正面から向き合えば、「身を切る改革」は自分自身に降りかかる。
国債1000兆円という火薬庫に火がつかないことを願うばかりだ。
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