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新年の抱負―古希を迎えるにあたって
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第232回

1月 06日 2023年 社会

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住25年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

「光陰矢の如し」というが、ついに私も今年、古希(70歳)を迎えてしまう。2022年時点の日本人男性の健康寿命が72.68歳、平均寿命が81.47歳。この数字から計算すると、私が健康で過ごせるのは、あと3年しか残っていない。「残りの人生をいかに有効に過ごすか?」ということを真剣に考えなければならない年始めである。

しかしここに別の計算式がある。「65歳を過ぎた人があと何年生きられるか?」ということを調査した「平均余命」の統計値である。19年時点のこちらの数字を見ると、日本人男性の健康余命が79.43歳、平均余命が84.83歳とぐっと伸びる。人の健康状態には個体差があるものの、私もあと10年ぐらいは健康で生きられる可能性が高い。ちょっとだけホッとする。そうは言っても、老い先短い私は今年1年を大切に生きなければならない。月並みではあるが、新しい年を迎えるにあたって、「老人なりの目標」を立ててみたい。

◆「論語」の一説から

こんな時は過去の偉人の考え方を参考にするのも一計である。紀元前5世紀に生きた孔子とその弟子たちとの問答を収録した「論語」の中に、孔子がその一生を回顧して人間形成の過程を述べた有名な一説がある。
子の曰(いわ)く、
吾十有(ゆう)五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。

やはり孔子は傑物である。六十歳になると「人の話を素直にきける余裕が生まれ」、七十歳になると「心の思うままにふるまっても道義から外れることが無い」という。本当にすごいことだと思う。人生ここまで悟りが開ければ楽かもしれない。残念ながら、私はまだまだそんな境地に達していない。なんといっても私はまだ自分の「大命」がわかっていないのだから。やはり自分で考えていかなければなさそうである。

◆自らの新たな欲望に従って生きる

思い起こせば、若いころの私といえば、「女性にもてたい」「お金が欲しい」「偉くなりたい」という、男性であればごく一般的な願いを持っていた。女性にもてれば、人間の生理的欲求である性欲が満たせる。将来自分の子孫を残せる可能性が高まる。また、お金があれば好きなものが買える。家族を養っていける。あと何年生きられるかわからない将来に対しての不安も軽減する。さらに、偉くなればほかの人に認めてもらえる。自分のプライドが保てる。

アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908~1970年)の「欲求5段階説」に従えば、私が若いころ持っていた三つの願いは「生理的欲求」「安全の欲求」「社会帰属の欲求」「他者からの承認欲求」など、人間が本来持っている欲望に該当する。

また「生物進化論」の説では、約40億年前に発生した生物は本能・欲望に従って進化し、現在の人類ホモサピエンスが出来上がってきたのである。こう考えると「女性にもてたい」「お金が欲しい」「偉くなりたい」という欲望は、私たちが生きる動機として十分に納得性がある。こうした欲望をあまりにも強く表出させると、他者と軋轢(あつれき)を起こし「品格がない」などと非難されかねない。しかしこうした欲望は人間がすべからく持っているものであり、何ら恥じることはない。

ところが、である。人間70歳を迎えるころになると、急速にこうした欲望が衰えてくる。平均余命で考えても健康でいられるのはあと10年、死を迎えるまで15年と先が見えてしまう。いまさら女性にもてても子孫を残せるわけではない。異性にもてる必要がなければ、着飾らなくてもよい。物欲も失せる。あと15年生きるための資金計画も目途が立ち、何とか生活できそうだ。多くの同僚はすでに定年を迎え、出世を争う相手もいない。「年を取るということはこういうことなのだ」と気付かされる。しかし自分を慰めても何も出てこない。ならば自分なりの新しい欲望に従って生きていくしかない。

◆3つのこれからやりたいこと

残り10年で真に私がやりたいことを棚卸ししてみることにしよう。………すると私がやりたいことはどうも以下の三つに集約されてきた。

1  新しい知識と経験の習得

2  友人との信頼関係の構築

3  家族との平穏な生活

69歳にもなれば、端(はた)から見れば立派な老人である。多くの経験を積み、いろいろなことを知っていて当然と思われる。ところが実際には「世界のことをほとんど何も知らない」と、この歳になって気づかされる。これまで69年、自分なりに一生懸命生きてきたつもりである。仕事にも、趣味の音楽にも、また友人や同僚・部下との付き合いも懸命に向き合ってきた。それでも世の中、知らないことばかりである。

学生時代の同級生で、「ニュース屋台村」に寄稿してくれている友人に玉木林太郎君(元財務官、現国際金融情報センター理事長)がいる。彼は「この世界はまだまだ読んだことのない本、聞いたことのない音楽、飲んだことのないワインがあり、人生は退屈しない」と口癖のように言っている。まさにその通りである。あと10年の間にどこまでできるかわからないが、せっかくこの世に生をもらったからには少しでも世界の真実に近づきたい。そのためには新しいことにチャレンジして「新たな経験と知識を習得する」ことだ。幸いなことに「新たなものへの挑戦」は人間の脳の前頭葉を活性化し、老化を防ぐ効果があるといわれている。私の健康余命が10年以上に伸びる可能性もある。

「友人との信頼関係の構築」も老人にとっては重要で難しい課題だ。人は社会的動物である。一人では生きていけない。だからこそ老人であっても親しい友人が必要になってくる。しかし友人もいろいろな類型化ができる。①仕事仲間②遊び仲間③学生時代の友人④趣味仲間⑤生き方を共有する仲間――などである。このうち、退職したり体力がなくなったりするうちに、仕事仲間や遊び仲間は消えていく。学生時代の友人とは昔の思い出は語れても、それが長続きすることはない。最後に残るのは「趣味仲間」と「生き方を共有する仲間」ではないだろうか?

長年友人であるからには、交友が成立する共通な話題や目標が必要である。私の場合は「新しい知識と経験の習得」がこれからの10年の目標でもある。人生をより有意義に生きていくためにも、新しいことを教えてくれる友人の存在は重要である。仕事を離れてから、こうした友人を探すことは大変難しい。だからこそ常日頃、友人との信頼関係の維持・構築に努力していかなければならない。

◆妻と子供たちへの感謝忘れず

次に、家族との平穏な生活について述べたい。私は結婚してからずっと朝7時には家を出て、夜中の2時ごろまで仕事をする生活を続けてきた。さらに、ちょっとでも時間があれば趣味の音楽に没頭し、家族をあまり顧みなかったかもしれない。それでも妻は、35年にわたる海外生活や日本国内の転勤に際し、常に家族を連れて私と一緒にいてくれた。本当に感謝している。妻がそばにいてくれたからこそ、私は仕事一筋の生活が送れたのである。

8年ほど前にバンコック銀行の日系企業部の統括の仕事を退いて、私にもちょっとは時間の余裕ができた。子供が独立し、妻と2人で食事に出かけたり旅行したりするようになった。さらにコロナ禍によって、妻との距離感がだいぶ近くなったような気がしている。妻から勉強することも多い。男女の感受性の違いや考え方の違い、さらに興味のあるものも異なる。もっとも近くにいて「新しいことを気づかせてくれる存在」が妻である。

子供たちとの関係もこの5年から10年で大きく変化した。子供たちは30代の後半になり、社会人として自立している。先日、出張でタイに来た日本政府の人は「人間の体力・気力と経験値・知識量は反比例の関係にあり、この両者が最大値で交わるのは40歳から60歳までだと思います」と指摘。「だからこそ、この世代が力を発揮できるような社会構造を作らなければならない」と強調していた。

全くその通りである。60歳を過ぎたら、人は第一線の場からは離れて側面支援に回るのが理想である。なぜなら体力や気力の衰えから総合的な力量が明らかに落ちてきたからである。私の子供たちももうすぐ40歳に手が届き、人生で最も力が発揮できる年齢に近づいてきた。私も親だからといって偉ぶった顔はやめ、必要があれば側面支援をすればよい。すでに子供たちの総合的な力量は私を上回っているのだから。

「老いては子に従え」という言葉が少しずつ分かってきた。若い頃の欲望が消えてようやく「妻や子供たちへの感謝の気持ち」が出てきたようである。恥ずかしい話だが、こんなことが今頃わかるなんて凡人極まりない。

◆新しいことを勉強し書き続 ける

最後に「ニュース屋台村」についても簡単に触れたい。「ニュース屋台村」はスタートするにあたって2年にわたる喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を行ってきた。「屋台村」発起人の会は当時から日本の没落を懸念していたが、このニュース媒体に対する考え方は各人各様であった。ようやく発刊にこぎつけたのが2013年7月。それから10年の節目を迎えようとしている。読者の方はお気づきであろうが、専門領域も思想性も異なる多彩な執筆陣がこの10年書き続け、これまで1500本以上の論考を世の中に送り出してきた。

先頭に立って引っ張ってきた山田厚史編集主幹や岡本登編集長には感謝しかない。しかし、10年前に日本の凋落(ちょうらく)を指摘してきた私たち執筆陣の懸念は、いよいよ現実のものになろうとしているように私には見える。

私自身は「ニュース屋台村」に今回を含めて計234回(特別編を含む)投稿したことになる。書くことが本業でない私が、ここまで書き続けられたことに自分でもびっくりである。正直なことを言えば、私は毎回テーマを見つけるところから呻(うめ)き苦しんでいる。自分で新しいことを勉強していなければ、ここまで書けなかったであろう。

そういう意味で、今年の新年の抱負である「新しい知識と経験の習得」は「ニュース屋台村」の原稿を書くことで具現化できるかもしれない。また、執筆陣の人たちとの交流も私の友人関係の維持・構築に大いに役立っている。どこまで書き続けられるかはわからないが、「ニュース屋台村」への執筆はまさに私の今年の目標の重要な一つであるべきなのだろう。

読者の方々にはまたこの一年、ぜひよろしくお付き合いください。今年も何卒よろしくお願いいたします。

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