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『ハイパーインフレの悪夢』から学ぶ
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第233回

1月 20日 2023年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住25年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

新型コロナウイルスの感染拡大が始まったのが2020年の春。タイ政府によるロックダウンで外出できない私は、バンコクのアパートで所在なくテレビを見ていた。その時の番組名は覚えていないが、グーグルで検索してみると、20年4月4日NHKで放映された「緊急対談パンデミックが買える世界-歴史から何を学ぶか」という番組のようだ。イタリア在住の漫画家ヤマザキマリが出演していた記憶がある。この番組でヤマザキマリなど出演者たちが強く勧めていたのが、アルベール・カミュの『ペスト』(1947年)とジョヴァンニ・ボッカッチョの『デカメロン』(1348~1353年)を読んで感染症を知ることであった。

◆名著2冊との出合い

新型コロナウイルスは、1918年から20年にかけて大流行したスペイン風邪以来の大型感染症である。この時からすでに100年が経過し、現在生きている人で感染症を実際に体験し、記憶している人は皆無と言っても過言ではない。それでも私たち現生人類には言葉があり、文字がある。過去の経験を文章で伝承できることは私たちの強みである。この強みを生かさない手はない。書店が閉まっているため、私は電子書籍で購入して早速この2冊の本を読んだ。

カミュの『ペスト』は、感染症が何年にもわたって押しては引いていく波のように繰り返し人間を攻撃していく様子が描かれている。またペストが感染拡大したり収束したりしていく中で、その時の人間の気持ちの変化が細かく描写されている。一方、『デカメロン』は「ペストから逃れた男女10人がフィレンツェ郊外で毎夜10日間にわたり退屈しのぎの話をする」という全100篇の物語である。ペストで外出もままならず鬱積(うっせき)した状況の中で、人々が痴話話に明け暮れるのは現在も同じかもしれない。

私は新型コロナウイルス発生当初にこの2冊の本に巡り合ったため、感染症への気持ちの対処ができたと感謝している。①当初からコロナ禍が3年程度は続くと覚悟したこと②コロナ感染防止の方法は未知ながらも、できる限り科学的と思われる手法に頼らなくてはいけないこと③長い忍耐生活中で自分がやれることを探しておくこと――など、何とかここまでやってこられたのは、この2冊の本でおかげである。

感染症の専門家であるハンス・ロスリング(1948~2017年)が執筆し、2018年に発刊された『ファクトフルネス』という本がある。彼はこの中で、人々が忘れたころにやってくる5つの大災害として、①感染症の世界的拡大②金融危機③世界大戦④気候変動⑤極度の貧困――を挙げている(同書日本語版301ページ)。新型コロナ発生前に死去した彼が、コロナの世界的感染拡大を予期していたことに敬意を表せざるをえない。私たちは知らず知らずのうちに「嫌なことを忘れてしまおう」という脳の働きがある。心理学用語でいうところの「正常性バイアス」というものである。また彼が指摘したように、大災害は長期的な周期で発生するため、人々の経験値が生かされることもない。しかし、私たちには先人が書き残してくれた貴重な本や記録がある。今回はこれからの日本で起こることが懸念される「ハイパーインフレ」についての本を取り上げたい。

◆第1次大戦後のドイツから学ぶべき教訓

英国の歴史学者でジャーナリストでもあるアダム・ファーガソンが第1次世界大戦後のドイツ、オーストリアの悲惨な経済状況を描いた『ハイパーインフレの悪夢』(2011年、新潮社)である。1975年に英国で出版されたあと絶版となるも、著名な投資家であるウォーレン・バフェットが友人に推薦したといううわさが立ち、2010年に復刻版が出たといういきさつがある。

内容は当時の状況を年代別に綿密に追っており、かつ当時の人々の証言などがふんだんに盛り込まれている。ただしあまりに史実に忠実であるため、かえってわかりにくい内容になってしまった。しかし何度か読み返してみると、当時のドイツの経済状況が大きく、複雑に揺れ動いていたことがわかる。悪夢は決して一本調子で来たわけではない。ある時は好景気の風を吹かせ、人々を油断させながら悪夢ははびこっていく。320ページにも及ぶ本の要約を作ることは危険極まりない作業である。しかし話を前に進めるため、私なりの要約表を作成してみた。

(1)第1次世界大戦開始から戦後2年の間(1914~20年)

戦争並びにスペイン風邪の流行により国民が経済的に疲弊、4年間で物価が12倍に上昇するインフレ(14年→20年)、このため国民の間で貧富の差拡大、1ポンド=20マルクから同=260マルクへ下落(13年→21年)

(2)戦争賠償金支払い開始からの1年弱(21/8~22/6)

賠償金支払いのためドイツ政府の外貨購入が契機となりマルク安が急激に進行、1ポンド=260マルクから同=2400マルク(21/6 →22/8)、21/下に物価上昇1.5倍さらに22/上に物価上昇6倍で年間9倍の物価上昇、インフレとマルク安で株式市場は急激な株高、外国人観光客訪問とドイツ製品の輸出好調により同国経済は好景気、企業は社債の実質価値が下がり返済が容易になる、政府はエネルギーや食料品など輸入品に多額の補助金を付けたため国民の負担は軽減

(3)紙幣乱発の1年間(22/8‐23/8)初期ハイパーインフレ

外為市場でマルクの買い手がつかず急激なマルク安進行、1ポンド=2400マルクから同=1600万マルクと価値が1万分の1に(22/8~23/8)、政府は紙幣を大量印刷して資金調達、まず不労所得者・高学歴者が貧困化、組織労働者も組合費が集まらずストができなくなる、産業界は輸出増で潤う、23/1に仏によるルール地方占拠、同地方の労働ボイコットによりドイツの製造業が停滞、エネルギー輸入ができなくなる、農民の売り惜しみにより食糧危機、盗みなど軽犯罪流行、ドイツ人の平均身長が低くなる

(4)マルクから新通貨レンテンマルクへ(23/8-23/12)超ハイパーインフレ

23/8にマルクの紙幣印刷を中止、主要産業である自動車の製品劣化、工場閉鎖に伴い失業率18.7%・短縮労働40%に急上昇、労働者階級は深刻な貧困化、食糧危機で都市住民による農民襲撃が頻発、マルクの価値はほとんどゼロに、1ポンド=1600万マルクから同=12兆マルクへと4か月でマルクの価値は100万分に1に(23/8-23/11)、23/11新通貨レンテンマルクを発行し闇市場を禁止、通貨安定で市場に農産物流通再開

(5)ドイツ経済の深刻な危機(24~26年)

前年までのハイパーインフレによりドイツ国内の購買層が壊滅、産業界は金融市場の正常化に伴い資金繰りが悪化、24/8仏がルール地方から撤退・ドイツへの多額な協調融資、25年に実質金利がプラスに転換し脆弱(ぜいじゃく)な財務内容の企業が多く倒産、5700件(24年)→18000件(25年)→15000件(26年)、失業者大量発生、43万人(24/12)→130万人(25/12)→200万人(26/2)

以上、第1次世界大戦後のドイツのハイパーインフレの状況を私なりにかなり乱暴に要約してみた。ドイツの当時の状況を参考にして「日本でハイパーインフルが起こるか?」という議論は本稿ではしない。しかし当時のドイツの状況を知ることにより、私たち日本人が教訓とすべきことが多く見つかる。今回はその教訓になりそうな事項を検証したい。

◆国債乱発と補助金ばらまきがもたらすもの

まず、「ハイパーインフレの悪夢は一本調子で来るわけではない」ということである。ドイツでハイパーインフレが起こった時期は1921年8月から24年12月までの3年4か月である。その間でもインフレが順次進行していくことにより、状況もめまぐるしく変化していく。21年からの当初の1年弱は年間9倍にも上る物価上昇に見舞われながらも、マルク安から輸出増と観光収入増でドイツ経済は堅調に推移する。

ところが次の1年は、マルクの価値が1万分の1まで急降下し年金などの不労所得者、弁護士などの高学歴労働者、さらに組織労働者も貧困化が進行。この間、産業界はまだ順調。その次の4か月余りでマルクは紙くずとなり、苦難は製造業にも波及。ようやくドイツ政府がマルク紙幣の大量印刷をやめ、23年11月に新通貨レンテンマルクに移行。それまでのハイパーインフレのダメージがドイツの全階層にくまなく行き渡り、24年からの3年間ドイツ経済は壊滅的な状況となった。このようにハイパーインフレの影響は、その時々で様相を変えながらも6年の長期にわたったのである。

次にドイツでハイパーインフレが起こった原因を考えてみよう。歴史の教科書などでは、ハイパーインフレの要因として「ドイツに課せられた巨額の賠償金」や「フランスなどによるルール地方の占拠」などが挙げられることが多い。ところが、著書のアダム・ファーガソンは本書の中で「マルク通貨の発行乱発」にその要因を求めている。さらに、マルク通貨の発行乱発を避けるためにインフレ進行初期(21年8月以降)に政府がとるべきだった施策として、①政府予算の財政均衡②産業界への補助金取りやめ③食糧・エネルギーなど輸入品への過大な補助金の取りやめ④輸入関税の復活――を挙げている。

こうした指摘は驚くほど現在の日本の状況に酷似している。現代経済では、紙幣の発行乱発は「金融緩和策による流通通貨の増大」と同義語である。①の政府予算財政均衡については、日本は既に1200兆円もの国債発行で不足分のツケを将来世代に先送りしている。②の産業界への補助金支給ついても、日本政府はコロナ禍を名目に多額の補助金を旅行業界・医療業界をはじめとして産業界に広くばらまいている。さらに③についても同様である。昨年(2022年)後半の円安に伴い、輸入飼料や農作物に5000億円、エネルギー代金の補填(ほてん)金として石油元売り企業などに2兆円もの補助金を湯水のごとく使っている。財政規律の崩壊がドイツのハイパーインフレの遠因だったのだとしたら、日本政府は一刻も早く財政の健全化を図ったほうがいい。

◆社会の分断につながりかねない危険

本書はまた、「ハイパーインフレがドイツ社会の分断を引き起こした」様子を克明に描き出している。インフレが進行し生活が苦しくなるにつれて、人々の道徳基準は低下していく。家族内のけんかや隣人への憎しみが増えていく。インフレ下でわいろや汚職が一般化するが、権力に近い者が不正をしても捕まらない。街中では生活苦の人が増え、窃盗や売春が横行。利にさとい人たちはインフレの中で「転売ヤー」となりサヤで稼ごうとする。最後には食糧難から商店襲撃や農村襲撃が多発する。人々はこうした不満や鬱積を「反ユダヤ」運動として体現していく。人間は自身の生存が脅かされると平常では考えられないような行動をとる。こうしたことが起こらない社会構造を維持していかなければならない。

では、当時のドイツでハイパーインフレやそれに続く深刻な経済危機の中で、「勝ち組」として生き残った人はどのような人なのであろうか? 預金、国債、公債、社債、保険、年金などはハイパーインフレによって無価値となり、不労所得者は真っ先にこのインフレの犠牲者となった。インフレの進行過程で株式市場は一時期活況を呈したが、最終的には企業が倒産し、株式の多くは紙くずとなったようである。

金融資産より実物資産がハイパーインフレに強いのは定説である。インフレ状況下では将来の価格上昇を見込んで、商品が市場に出てこなくなる。これが農作物まで波及すると、食糧危機になる。当時のドイツで、農業は最強の職業であったに違いない。さらに資産を海外に移転した人も強かった。スイスの銀行には当時のドイツの金持ちの資産が多く流れ込んだようである。

外国と地続きの国境を有しない日本人には難しい芸当かもしれない。今後、日本でハイパーインフレが起こるかどうかはわからない。しかし「転ばぬ先の杖(つえ)」として、この本が私たち日本人に教えてくれることはたくさんある。

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