п»ї 「物価」について考える(その3)『視点を磨き、視野を広げる』第68回 | ニュース屋台村

「物価」について考える(その3)
『視点を磨き、視野を広げる』第68回

7月 03日 2023年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに

日銀総裁が10年ぶりに交代して3カ月たった。日本の物価上昇率は3%台で推移しているが、海外インフレや円安の影響を受けたものである。そうした外的要因がなくなれば、デフレに逆戻りする可能性があると考えられ、日銀はデフレ脱却のめどがつくまで金融緩和策を維持するとしている。植田新総裁は、足元のインフレへの目配りと、異次元緩和の副作用への対応を進めながら、慢性デフレ脱却の道筋をつけるという難題に取り組まなければならない。

黒田前総裁は、「異次元」と呼ばれる大規模金融緩和を10年続けたが、物価目標2%を達成できなかった。その間に、日銀のバランスシートは膨れ上がり、市場のゆがみなどさまざまな副作用を残したのである。なぜこうした状態に陥ってしまったのか。ここから抜け出すことができるのか。それを知るためには、来た道をたどることから始めるしかなさそうだ。そこで本稿では、異次元緩和がなぜ始まったのか、失敗の原因は何かについて考えてみたい。

そう考えていた時に、NHKのドキュメンタリー番組『証言ドキュメント 日銀異次元緩和の10年』(*注1)を見た。番組は「日銀の意思決定の舞台裏を明かした」と謳(うた)っているように、当時の黒田総裁を支え政策の中心を担った当事者たち――岩田、中曽の両副総裁、中枢にいた幹部、審議委員など――が証言しており、異次元緩和の現場での意思決定のまさに「舞台裏」を生々しく伝える貴重な記録となっている。

異次元緩和は「リフレ派」と呼ばれる人たちによって推し進められた。本稿では、この番組の情報を基本にしながら三つの局面――リフレ派の台頭・行き詰まり・残された副作用――に分けて重要と思われるポイントを整理した。そして岩田の提案内容をもとに、リフレ派の考え方をまとめた。

3つの局面で見る日銀の10

局面1:「異次元緩和の始まり」:リフレ派の台頭

ここでの主役はやはり岩田規久男副総裁だろう。そして影の主役は安倍晋三元首相かもしれない。岩田は、異次元緩和を理論面で支えた経済学者だ。番組の冒頭で岩田(当時学習院大学教授)は、安倍元首相(当時は第1次安倍内閣退陣後で復権の機会を狙っていた時期)との、ある勉強会での出会い(2011年6月)を語る。

岩田は、安倍に「デフレを脱却するにはどうしたら良いか」を説明したとして、その際に使用した実際の資料(1枚の紙)を示す。それは「長期国債買い入れオペによるデフレ脱却のメカニズム」と題され、岩田は「従来の日銀の政策は間違っているので、それを大転換し、国債を大量に買い入れて金融緩和を推し進めれば、株高と円安が起きて、長年苦しむデフレから脱却できる」と説明したという。

岩田はリフレ派の論客として知られており、自説をさまざまな場で発信していた。そこに安倍が注目して、出会いが設定されたと考えるのが自然だろう。岩田は「これを理解した政治家は、安倍さんだけだった」と述べている。しかし、むしろ政治的嗅覚(きゅうかく)に優れた安倍が、直感的に岩田の提案は政治的に有利な状況を作り出す大きな武器になることを理解したと言った方が良いのではないだろうか。

安倍は、提案を公約に取り込んで総選挙で圧勝し、2012年12月、第2次安倍内閣が発足する。安倍はすぐに、リフレ派のリーダー格の浜田宏一(米イエール大学名誉教授)を内閣官房参与として迎え入れた。流れに抗しきれなくなった日銀(白川総裁時代)は、2013年1月に政府との共同声明をまとめ、「物価安定目標2%」を導入した。その上で政府は、日銀総裁にリフレ派の黒田東彦(当時アジア開発銀行総裁)、副総裁に岩田を就任させて新体制がスタートした(2013年3月)。また、日銀の金融政策決定会合(最高意思決定機関)の審議委員の中にもリフレ派エコノミストがいた(*注2)。

リフレ派が主導する体制が整備された。黒田は就任早々、「量的にも質的にも異次元の金融緩和」を宣言して強力に緩和策を推し進めた。

局面2:「うまくいかない」:リフレ派の行き詰まり

異次元緩和により、株価は上昇し、円安になり、雇用は増加した。ここまでは政策の狙い通りであった。そして株高、不動産高、円安は産業界や富裕層に広く歓迎された。しかし、物価は一時的に上昇したが、ほどなく低下し始めた。

岩田は、うまくいかない原因は消費税率の引き上げ(2014年4月)にあったと証言している。岩田によれば、税率引き上げによって政策効果に影響が出ることを懸念したが、黒田総裁は「景気に与える影響は極めて限定的」と主張し聞き入れなかったという。政策の行き詰まりに対して、黒田は追加の緩和策(国債買い入れ規模の拡大、ETF〈上場投資信託〉買入額3倍に増加)に踏み切る。しかしそれでも物価は上がらなかった。

日銀は目標の達成時期を先送りし、追加的な政策(マイナス金利導入、イールドカーブコントロール〈長短金利操作〉など)を次々打ち出していく。しかし、マイナス金利という言葉は人々に不安を与え、手元に現金を置いておく動きを誘発した。また、マイナス金利は銀行の経営を直撃した。多くの銀行が本業で利益を上げられなくなったのである。「銀行のビジネスモデルは崩壊したと思った」と番組の中で地銀の頭取が証言しているが、異次元緩和の副作用の一つと言える。

岩田は番組の中で「理論が現実に負けた」と述べている。しかし、(理論を負かした)現実が間違っているのではなく、理論が間違っていたと考えるべきではないだろうか。

局面3:やめられない異次元緩和とそれが残した副作用

岩田、中曽の両副総裁は2018年3月に1期で退任したが、黒田総裁は異例の総裁続投となった。やがて、異次元緩和の副作用(債券市場の金利形成機能の低下など)への懸念が広がっていく中で、日銀はその抑制に努めながら金融緩和を続けた。

副作用についてはもっと幅広く捉える考え方がある。すなわち、政府の国債発行残高は1千兆円を超え、その半分を日銀が保有している状態にあり、これは金融緩和が財政規律の緩みを生んだためだという批判がそれである。また日銀内部では、経済の実力を示す潜在成長率は、異次元緩和以降むしろ低下している点に懸念の声があったという。中曽副総裁は「(金融政策だけでは限界があるにもかかわらず)成長戦略が不十分で金融政策に過度の負担がかかった」と証言しているのは、こうした懸念を表している。さらに言えば、資産価格の上昇と実質賃金の低下が起きて、格差の拡大につながったという批判も根強い。

そこに突然訪れた環境変化――海外発のインフレ――の影響を受けて日本の物価が上がり始めたのである。インフレは世界的な規模で広がっており、米欧の中央銀行はインフレを抑制するために政策金利を上げて金融引き締め策に転換している。この結果、日本との金利差が拡大して円安が進行した。しかし、日銀は金融緩和を維持せざるを得ない状況にある。

番組の最後に紹介される日銀幹部の言葉――出口が完了するには10年、20年かかる。ここ10年はなんだったのか。“実験”とは言いたくないが、日本にとって「何が必要かを発見する10年」だった――が、リフレ政策の本質をついているのではないだろうか。

◆リフレ派の政策の特徴

岩田が安倍に示した1枚のペーパーにリフレ派の政策が要約されている。また岩田は、その内容を解説した『「量的・質的金融緩和」の目的とその達成のメカニズム』(2013年6月)と題した論文を日銀副総裁名で発表している(*注3)。それらの骨子は――

①「インフレ目標を設定する」(黒田総裁は2年で2%を達成するとコミット)

②「長期国債買いオペ」によって「マネタリーベース(流通現金+日銀当座預金残高)の持続ある拡大」を進める(「量的緩和策」)。長期国債買い入れの平均残存期間を延ばし、買入れ対象資産の多様化(ETF保有額倍増)を図る(「質的緩和策」)

③「予想インフレ率の上昇」が起きて、株価の大幅上昇、円安をもたらし、投資と消費が増加する

岩田の政策の核心は、インフレ目標設定と量的・質的緩和が人々にインフレになるという「予想」を抱かせることで、消費や投資を促すという点にある。岩田はデフレを貨幣的現象と捉えており、人々の(将来の)インフレ予想を上げることで、デフレ脱却は可能だと考えるのである。なお、上記の論文では成長戦略にも触れており、「成長戦略がなければ2%の物価安定目標を達成できないということはない」と言い切っているのは自信の表れだったのだろう。

これに対して、デフレは原因ではなく結果だという考え方がある。デフレは日本経済の長期低迷の結果と見るのであり、こちらが多数派である。その主流派経済学では、経済低迷の主原因を供給面の要因――労働供給不足や資本投入の減少、生産性の伸びの鈍化――に求める。そして経済の構造改革や規制緩和、イノベーションの促進など成長戦略を重視する。金融政策は主役ではないというのが基本である。従来の日銀の姿勢もそれに沿ったもので、白川元総裁(黒田総裁の前任者)は、(デフレ脱却において)金融政策には限界があるという認識に立っていたのだと思われる。

◆まとめ

①リフレ派は少数派であったが、政治が接近して表舞台に登場する。黒田日銀総裁は「2年でデフレ脱却」をコミットし、緩和政策を強力に推し進めた。金融緩和によって株高と円安が起きて、産業界や富裕層に歓迎ムードが広がった

②しかし、物価は上がらなかった。そして賃金も上がらない状態が続いた。日銀は、次々に政策を拡大・拡充したが、効果は得られず、一方で政策の長期化で副作用――債券市場の機能低下、財政規律の弛緩(しかん)、日本の潜在成長力の低下など――が懸念されるようになった

③リフレ派の政策の特徴は、デフレを貨幣的現象と見なし、日銀による「インフレ目標のコミット」と「大規模な国債購入」によって人々の「インフレ予想」を変えることにある。しかし、賃金が上がらない消費者の(物価が上がらないという)予想は強固であった

異次元緩和失敗の原因を岩田は、消費税率引き上げにあるという。しかしそれは正しくないと考える。次稿では、その理由を説明し、失敗の原因について考えたい。(文中敬称略)

(*注1)番組はNHKで2023年4月16日に放送された。NHKのホームページでまとめ記事を読むことができる

(*注2)黒田総裁時代の審議委員の中で、エコノミストの原田泰、片岡剛士などがリフレ派とされる(出所:Wikipedia)

(*注3)日銀のホームページから見ることができる

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