山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
セクハラの隠蔽(いんぺい)、候補生による上官射殺……。防衛政策大転換の掛け声をよそに組織体質に起因する危うさが露呈する自衛隊。そんな中で幹部候補生の教育を担う防衛大学校で、現役教官が「危機に瀕(ひん)する防衛大学校の教育」と題する論考を6月末、SNSに投稿した。
「いくら予算と兵器・装備が増えても、それを扱う人間が質量ともに揃わなければ防衛力の強化は絵にかいた餅に終わるでしょう。(中略)にもかかわらず、幹部自衛官になるべき若者を養成する中枢である防大では、受験者の激減、学生の質の低下、パワハラ、セクハラ、賭博、保険金詐欺、補助金詐取、いじめやストレスからの自傷行為など、憂慮すべき事態が立て続けに起きる異常な事態が続いています」。文中に示されている事実や出来事を読むと、自衛隊は大丈夫なのか、とため息が出る。
◆自衛隊を愛するがゆえの内部告発
筆者は防大国際関係学科で「政治外交史」「戦争史」などの教鞭(きょうべん)をとる等松春夫教授。監査法人トーマツの創始者の孫に当たる人で、英オックスフォード大学院で博士号を取り、玉川大学教授を経て2009年から防大教授となった。『日本帝国と委任統治―南洋群島をめぐる国際政治』(名古屋大学出版会、2011年)などの著書があり、国際政治学会では知られた学者である。そんな現役教授が「無責任な官僚や幹部自衛官たちは、日本の安全保障を担う重要な人材の育成をいったい何だと思っているのか」と怒りの矛先を防衛省や大学の運営体制に向けている。
等松教授は「大学生の時は3年連続で、広島県江田島にある海上自衛隊第1術科学校に1週間体験入校するような『防衛青年』でした。その頃に公募の予備自衛官制度があれば、迷うことなく志願していたでしょう。めぐりめぐって、防大の教官になったことに、不思議な縁を感じています」という書き出しで、愛するがゆえに内部告発に踏み切った心情を吐露している。
防大の危機は、「受験者の激減」「中途退校者と卒業時の任官辞退者の著しい増加」に投影しているという。2016年1万5094人いた受験者数は22年8547人となり、10年で40%も減った。22年3月に卒業した479人のうち任官を辞退した学生は72人。7人に1人が自衛官になることを拒否している。
22年に入学した488人のうち1年以内に約20%が中途退校した。2・3年生の退校者も相当な数に上っているという。世間ではウクライナ戦争の影響とか、「最近の若者は打たれ弱い」(読売新聞)などと言われるが、「若者の『軟弱さ』に中途退校者と任官辞退者増加の理由を見いだす論調には同意できません。任官しない学生たちの多くは断じて『打たれ弱い』から辞めるのではありません。むしろ、優秀で使命感の強い学生ほど防大の教育の現状に失望して辞めていく傾向が強いのです」と指摘する。
現状の問題点として真っ先に挙げているのが自衛官教官の資質と適正だ。
「『病人・けが人・咎人(とがにん)』。これは海上自衛隊の一部で、教育部署に回される自衛官の類型を揶揄(やゆ)して使われている隠語です。ここでいう「咎人」とは、部隊や自衛隊内のさまざまな機関でパワハラや服務違反を起こしたり、職務上のミスを多く犯したりした者をさします」
具体的な例として、前任地で金銭問題を起こした海上自衛隊の3佐が防大に准教授として送り込まれ200人もの学生を巻き込んだ大規模な補助金詐欺事件を起こした▽妻が経営するペンションに学生が校友会活動(部活動)で宿泊したように装って共済組合から支給される1日8000円のうち6000円を学生に渡し、2000円をピンハネしていた▽安全保障研究科(大学院相当)で学習態度不良として退学させられた空自の3佐は、ほとぼりがさめたころ学生舎の指導教官になって戻ってきた▽米ワシントンの大使館で部下の1佐に暴行事件を起こした陸将が教授として迎えられた――。大学に相当する教育機関でありながら、業績や資質とは無関係にワケあり幹部の左遷先として防大の教官ポストが使われている、という。
「防大に補職されてもいっこうに勉強も研究もせず、代々引き継がれているマニュアル本で紋切り型の教え方しかせず、さらには安直な陰謀論に染まる。自分が担当する授業の枠内で、学外から招いた問題のある論客に学生たちに対する講演をさせる場合まであり、防大内に不適切な人士が入り込むチャンネルになってしまっています」
「大東亜戦争固定論」を主張するジャーナリストを講師に呼んだり、学問と縁のないような右翼女性タレントを客員教授にしたりするなど、海外メディアにも取り上げられているという。
「この種の『商業右翼』を講師として学外から招く悪習は、防大のみならず、陸海空の幹部候補生学校や幹部学校(上中級幹部を養成する自衛隊の教育機関)にまではびこっています」
◆全寮制は「悪しき上下関係」の温床
こうした「反知性」の教育風土とあいまって、防大の特色である全寮制が「悪しき上下関係」の温床となり、学生に過度なストレスを強いる。
学生の日常を監督するのは指導官と呼ばれる幹部自衛官たち。学科で科目を担当するわけではないので、教官よりさらに緩い基準で人事が行われる。
「学生たちと年齢が近い若い指導官たちの中には、学生舎内の生活環境の改善に努め、自主的な勉強会を催すような志の高い者もいます。しかし、彼らのような若い指導官たちが問題提起をしても、上級の指導官によって握りつぶされることが多々あります。部下の管理責任を問われるのを避けたいからです。このような上級の指導官の態度は、真摯(しんし)に学生指導にあたろうとする若い指導官たちが、自衛隊に失望する契機になりかねません。こうしてパワハラ、セクハラ、いじめ、学習妨害、公私混同の上級生による下級生への無意味な『指導』、賭博、保険金や補助金の詐取などが学生舎内ではびこります」
軍事組織には命令系統があり、指揮官に従う。この意識を育てるために上級生による指導が制度として取り入れられ、寄宿舎は1年から4年まで8人一部屋で、日常的に指導が行われている。
「指導官(自衛官)は自分の監督下の学生の不祥事が発生することを恐れ隠蔽に走ります。結果として上級生の問題行動を告発した下級生が沈黙させられ、悪質な上級生が守られ、悪弊が改まりません。このような環境下では、上級生からの理不尽な『指導』を受けた下級生は防大・自衛隊という組織に幻滅して退校するか、面従腹背するか、あるいは報復が恐ろしいので上級生の指導に無条件で服従するようになります。そして、根拠なきリーダーシップとフォロワーシップにより集団の団結が強調される中で思考停止に陥り、上級者の命令に疑問を持つこともなく従うというメンタリティーが形成されていきます。こうして、上級者に引きずられた下級者が、結果として悪事に加担してしまうことが起きる」
保険金詐欺事件は、訓練や部活動でケガをしたと偽ってだまし取っていた。13人が退学、すでに任官していた5人以上が懲戒免職になったが、「時効7年」で処分を逃れた卒業生が少なからずいたという。
◆処分を受ける前に自説公表を決意
等松教授は2020年7月、防大本館で呼び止められ会議室に連行され「防大の秘密をメディアに漏洩(ろうえい)した」と50分ほど威圧的な尋問を受けたという。新型コロナの感染による学内で起きた事件や混乱が週刊誌に報じられ、その犯人探しだった。
「感染が拡大している。大学に学生を集める時ではない」という学内の慎重論を押し切って防大はこの年4月、在校生・新入生合わせ2000人の寄宿舎生活を再開した。それが裏目に出た。学生は「軟禁状態」の中で、首吊り、飛び降りなど5件の自殺未遂、多数の脱走、ストレスによる放火が疑われる不審火、新入生をカモに数十万円もの金銭が動いた賭博事件などが起きた。
執行部は実態を伏せ、一部の教官らが学生にアンケート調査を行うなど混乱が続いていた。「尋問」はそんな中でなされた。10月に防衛省による防衛監察が始まった。等松教授は「國分良成(こくぶん・りょうせい)校長と自衛官教官のトップである幹事の原田智総陸将の責任を明らかにしてほしい」と申し立てたが、受理されなかった。やむなく岸信夫防衛相に申し立てたが、こちらも店ざらしになった。内部からの自浄作用は期待できない、と思うように至ったという。
女性自衛官に対するセクハラ問題で世間の目が自衛隊に注がれるようになった。防衛省が態度を一変させたことを機に、等松教授は、改めて防大に対する特別監察を防衛相に申し立てた。今度は受理された。
しかし、前回のように「声を上げること」が「秩序への反抗」と見なされ、職責を失うリスクがないとは言えない。「筆者が防衛省、防大から何らかの処分を受ける事態に発展した後に自説を申し上げても、私怨(しえん)による報復だと捉えられてしまう可能性が高いと考えるに至り、処分の有無にかかわらず、自説を公表することを決意した次第です」
憂国の政治学者のやむにやまれぬ「決起」は、内向き自衛隊の暗部をどこまで照らすか。それは世間の関心次第だ。
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