引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆炎天下でスーツ
真夏の炎天下にスーツを着てネクタイを締めてさわやかな顔をして過ごすのは、もはや修験道の苦行である。この8年間、就職を目指すある40代の男性当事者は季節に限らず自分ができそうな仕事があれば、応募書類を出し続け、書類が通れば面接を受け続けた。真夏でもスーツを着込み、同行する私も同じく正装し、2人で滝のような汗を流しながら面接に臨み、そして落選を続けた。
複合的な障がいがあるこの当事者は、障がい者雇用の枠組みの中でも企業側にはある程度配慮を要する必要がある方ではあったが、本人の就職の熱意は強かった。その思いに応える企業と、二人三脚で対応していこうとの思いを持って私もその二人三脚の相手を探すつもりで挑み続けた。時には実習にこぎつけ仕事の現場で「お見合い」をするケースもあったが結局、コミュニケーションの問題などで1日か2日で挫折し、実習も貫徹できない経験を繰り返した。
そして、もう少しハードルを下げて、就労を考えてみようと方針を変更した数日後、彼は帰らぬ人となった。
◆丁寧なケアを探して
父親から示された死亡確認書に記載された死因は「脳内出血」。自宅で倒れ、病院に運ばれた後も意識は戻らず翌日、死亡が確認された。倒れてからほんの数日で彼は遺骨となって小さな箱に収まった。
一般企業への就労をひたすらに目指してきた中で、掃除が苦手なため清掃作業を伴う仕事を避け続けてきたところから、最近は掃除の実習もしてみてもよい発言が出てきていた。私の頭の中では丁寧にケアをしてくれる掃除の仕事をこれまでのつながりから思いをめぐらし、具体的なプロセスを描いていた最中で、そのイメージは消えないまま、彼が亡くなってからも、シミュレーションは止まらない。
障がい者雇用でも、企業の対応が難しい人の場合には必ず存在する本人の希望と社会とのギャップ。それをどう埋めればよいかを考え続けてきた私として、常に頭の中にあった彼をすぐに消し去ることも難しいのかもしれない。
◆教えられた時間管理
彼はその障害特性ゆえにずいぶんと学ばせてもらった存在でもあった。出会って間もない時にファミリーレストランで待ち合わせをした時に私は5分ほど遅れた。レストラン内で待っていることにしたから、少々の遅れは問題ないと気軽だったが、彼は遅れたことを許さなかった。
テーブル席に座っても何も話さず、私の呼びかけに一切応じなかった。目も合わせようともしない。遅れた私が全面的に悪いから、謝ったものの、許してくれない。誠心誠意を見せようと頭を下げたが、その日は許されないまま、彼だけが店を出た。
その彼の時間に対する感覚は敏感で特性の一つでもあった。待ち合わせには30分前から待っている。その必要がないと諭しても、それが彼のやり方で、自身の不安を打ち消す行動原理だった。それから私も時間の管理に真剣に取り組むようになった。
◆割れたパソコン画面
ある日の彼との待ち合わせでは、前の予定が長引き、待ち合わせ場所に向けて駆け出すと、身に着けていたスマートフォンが落下し路面に打ち付けられ、画面が割れたことがあった。
急ぐとよくない、時間の管理を無理なく行う、ことの教訓は割れたスマートフォンから始まったことでもある。彼との就職活動はそんな彼の感覚に合わせながら、この数年、履歴書を出し続け、多くは書類選考で落選したが、時には面接に進み、そして時には実習にこぎつけることもあった。
東京・丸の内のできたばかりの巨大なビルの中の大手企業、埼玉県郊外の炎天下の中での作業場、ドラックストアのバックヤード、山間のごみ処理場、機械の組み立て工場――。面接や体験、実習で多様な職場に行って、そして不採用となったが、彼は就職活動をやめなかった。
いつか合格して祝杯をあげようと言い続けて数年が過ぎて、そして彼はもういない。彼が亡くなったのと同じタイミングに、私は駅のホームでカバンを落としてしまい、中にあったノートパソコンの液晶画面が割れてしまった。彼の最後のメッセージだろうか。彼には就職活動をやめなかった気持ちをたたえたい。
そしてもう就職のことを考えなくていいのだと、伝えたい。この文章はそんな彼への鎮魂譚(たん)としたい。
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