山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「南西諸島の防衛力強化」が、盛んに言われるようになった。沖縄といえば米軍基地だが、宮古島、石垣島など離島にミサイルを配備しているのは自衛隊だ。
「台湾有事」が囃(はや)され、「海洋進出の動きを強める中国」などと不安を煽(あお)り、「抑止力の強化」が当然のように叫ばれているが、現地の人々はどう受け止めているのか。それが知りたくて、日本西端の島・与那国島(よなぐにじま)を訪れた。
◆過疎化の窮余の一策「自衛隊誘致」
ちょうど与那国駐屯地が夏祭りをやっていた。習志野からやってきた空挺(くうてい)部隊がパラシュート降下を披露、偵察ボートの体験試乗や音楽隊の演奏、夜の部では沖縄出身歌手の歌謡ショーが開かれた。
あいさつに立った駐屯地の司令官は「住民皆さんの理解とご協力があっての駐屯地」と、地域と良好な関係が大事だと強調していた。聴衆の側は、弁当付きの招待席はほぼ埋まっていたが、一般の観客はまばら。「ミサイル問題が起きて、駐屯地のお祭りに行くことをためらう人がいるのではないか」との声を聞いた。逃げ場がなく人間関係が濃密な島で、賛成・反対を表に出すとお互い気まずい。招待席に座るのは与那国防衛協会に加入する業者や街の有力者など自衛隊と関係のある人たちで、立場や仕事の関係で出ざるを得ないが、そうでない人は自衛隊のイベントには近づきにくい、というのだ。「誘致をめぐって島が割れた8年前の記憶がまだ疼(うず)いている」という人もいた。
与那国島から台湾までは約110キロ。都心から富士山(約100キロ)までとほぼ変わらないから、晴れた日には台湾の山々が水平線に見える。隣の石垣島(約140キロ)より近いから戦前は、台湾との往来が盛んだった。当時の人口は6000人ほど。米軍の統治下になって台湾との交易は表向き、断たれた。
日本の最西端となった与那国町は年を追って人口が減り、今では1700人の過疎の島だ。半農半漁、農の主力はサトウキビ、漁はカジキマグロ。穏やかな島の空気と美しい海を売り物にダイビングの穴場として注目されるが、大勢の観光客を受け入れるインフラが整っていない。100人規模のホテルが建ったもののコロナ禍で休業に追い込まれ、民宿は何軒かあるが、レストランや居酒屋などはほとんどない。
台湾との交流に活路を求め花蓮(ファーリエン)市と姉妹都市となり、往来する船舶や通関に対する「規制緩和」を求めたが認められず、窮余の一策として飛びついたのが「自衛隊誘致」だった。
◆「島自体が空母」駐沖縄米国総領事の報告
そこには伏線があった。2007年6月、米軍の掃海艇2隻が与那国島の港に寄港。町長は、上陸に反対したが日米地位協定を盾に入港は強行された。現地に乗り込んだケビン・メア駐沖縄米国総領事(当時)は国防総省にこう報告した。
「島の港である祖納港(そないこう)は2000トンの船が接岸できるバースがあり、常に掃海艇が4隻接岸できる。その目の前には2000メートルの滑走路がある。台湾とは111キロしか離れていない。台湾海峡に有事があったら与那国島は掃海艇の拠点になれる。島自体が空母である」
後にメア氏は、掃海艇の強行入港は自らが画策したことだったと明らかにした。「台湾海峡などで有事があった場合、アメリカ海軍が離島の港を使う可能性があると考え、港湾調査を実施することにした」「1人で決める権限がなかったので、大使と国務省と相談して計画した」と、NHKの取材に語っている。
◆米軍掃海艇の強行入港がすべての始まり
与那国町議会議員の田里千代基(たさと・ちよき)氏は「すべての始まりは2007年6月の米軍掃海艇の強行入港だった」と振り返る。中国が大国化することを警戒する米国務省は、台湾海峡が米中対立の最前線になりうると見て、日本政府を差し置いて与那国島の軍事利用を16年も前から考えていた、というのだ。
アメリカが描く大きな戦略に沿って、日本の外務省や防衛省が動き、沖縄の離島の命運が左右され、住民が右往左往させられる。メア氏はその後、国務省の日本部長となる。ジャパン・ハンドラー(知日派)として日本を分析し、指図する役回りを担う。
島に自衛隊の賛助団体「与那国防衛協会」が発足したのは、強行入港の翌年2008年だ。やがて500人余りの署名を集め「自衛隊の誘致を」と町に働きかけた。外間守吉(ほかま・しゅきち)町長(当時)は「人口流出と財政悪化に歯止めをかけるために自衛隊を島に呼び込むことが必要」として陸上自衛隊の派遣を要請。防衛省は「渡りに船」で飛び乗った。冷戦の崩壊で北海道に厚く配備された陸上の部隊を、米軍が期待する南西諸島にシフトする必要に迫られていた。
島は真っ二つに割れた。防衛省は「設置するのは近辺を移動する艦艇や航空機を監視するレーダーなどの部隊であり、戦闘を行う部隊ではない」と説明。町長は「島の振興には自衛隊が必要だ」と説得した。2015年、駐屯地の工事が始まっている中で住民投票が行われ、結果は賛成632票、反対445票。翌2016年、陸上自衛隊与那国駐屯地が開設され、沿岸監視隊が常駐した。22年に航空自衛隊の移動警戒管制レーダー部隊、23年には敵の電波を撹乱(かくらん)する電子戦部隊がやってきた。
◆自衛隊関係の公共事業で潤う人も
そして今度は「ミサイル部隊」だ。「ドンパチやる部隊ではない」と言われ、レーダー基地なら、と受け入れた人もいた。ミサイル発射基地となれば狙われる」と、心配する人は少なくない。駐屯地を誘致した外間前町長は「話が違う。ミサイル基地など、そんなつもりで誘致したわけではない」と反発している。
自衛隊が駐屯してから7年。駐屯地からの発注や自衛隊関係の公共事業が地域に浸透している。過疎地に原発が立地するように、自衛隊で潤う人は確実に増えている。
住民の気がかりは「与那国が中国を狙うミサイル基地になるのでは」ということだ。昨年12月閣議決定された国家安全保障戦略の変更で、これまで安全保障上の「懸念」にとどまっていた中国は「最大の戦略的な挑戦」へと変わった。対中抑止力を向上させるため「敵基地攻撃能力(反撃力)」となる射程の長いミサイルの基地を日本列島に張り巡らすことになった。与那国はその一つになる可能性が高い。
今年5月に防衛省による住民説明会があった。担当者は「飛んでくるミサイルを撃ち落とすためのもので、純粋に島を守るためのミサイル」と説明した。住民側は「反撃用のミサイルは持ち込まない、と約束してくれ」と迫ったが、「そういったミサイルをどこに配備するかはまだ決まっていない。この島に配備する計画はない」と、防衛省は不誠実と思える答えに終始した。
「ミサイルの島になれば、人口はどんどん減る」と心配する人は多い。与那国には中学校までしかない。高校に進むと島を出る。大学は多くは本土。就職は島の外になりがちだ。よほどの愛着や事情がなければ島に戻らない。その故郷が賛否に揺れ、人間関係が面倒になり、戦争に巻き込まれる危険が高くなれば、戻る人は減り、人口流出は止まらない。
◆人口流出の穴埋めは自衛隊とその家族
穴を埋めるのは自衛隊員だ。沿岸警備隊だけなく、移動式レーダー部隊や情報戦部隊、そしてミサイル部隊が来れば有権者の4割近くは自衛隊とその家族、という住民構成になり、自衛隊が町政のキャスティングボートを握ることになりかねない。
町長選はいつも接戦で、21年に町長になった現職の糸数健一氏は防衛協会長を務めた「ミサイル容認派」の筆頭だ。ミサイル基地だけでなく、滑走路の延長や軍港にもなる掘り込み港の建設を国に要請している。自衛隊の有権者比率が増えれば、糸数町長のようは「容認派」でないと町長になれない政治構造になるだろう。嫌気が差す人は島から出る、あるいは戻らない。
有事になったら、自衛隊は戦闘にかかりきりになり住民保護まで手が回らない、という。逃げ場がない島人は足手まといになる。いない方がいい、というのが本音だろう。
地域振興を期待して自衛隊を誘致したばかりに、島は要塞(ようさい)化へと向かうのか。16年前、ケビン・メア氏が本国に報告した「与那国は島自体が空母である」という言葉が現実味を帯びている。
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