引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。文部科学省障害者生涯学習推進アドバイザー、一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆創出する訳文
オーストラリアの詩人で私の友人であるメリンダ・スミスさんが来日し、日本各地でワークショップを開催した。
東京の早稲田大でのワークショップ開催後に行われた「トーク&リーディング 詩の共訳~コラボレーティブ・アートとしての試み~」では、メリンダさんの詩を萩原朔太郎賞受賞の詩人、川口晴美さんが日本語に訳したものを朗読し、メリンダさんが川口さんの作品を英語に訳したものを朗読した。
もちろん、ここで詩の言葉を「訳する」ことは、単なる言語の置き換えではなく、その言葉の背景や成り立ちなどを詩人が解釈し、新しい言葉を紡ぎ出し、創出する作業である。これを「コラボレーティブ・アート」と呼ぶが、それは人の感性が触れ合おうとする創造的な行為であり、その過程には人を思いやる、ケアの感覚も垣間見られて、見ているだけでもわくわくする瞬間の連続だ。
私の中では、要支援者に向けた学びの中にどのように取り入れられるかの創造も働き始める。
◆おそれる必要はない
ワークショップのコーディネーターである滋賀大の菊地利奈教授は、英語と日本語という他言語存在を超え、ここでは「詩が共通言語になっている」と評した。お互いに影響し合いながら、詩が出来上がることは、その人と深くつながることでもある。
川口さんは2017年のキャンベラ詩祭(オーストラリア)に参加しメリンダさんと初対面したが、その前からメリンダさんとは「深くつながりがあるような気がした」と言う。メリンダさんの詩は時には社会課題に向き合うものもあり、その向き合う姿勢は日本の詩人に「おそれる必要はない。挑戦すればよい」(菊地教授)とのメッセージを与えているようだ。
メリンダさんは私の学生時代以来の友人であるが、気遣いをし、控えめな彼女が社会への挑戦を鼓舞するような存在になるとは思いもしなかったが、彼女自身は「いつも表面の自分とは別に内面で言葉を考えている自分がいた」と最近になって告白してくれた。
◆自殺の名所の詩
挑戦、と書くと勇ましい言葉が詩に登場しそうな印象を与えているが、彼女の詩は日常を静かに、そして時には可笑(おか)しみを湛(たた)えて展開されるものが多いようだ。2014年にオーストラリア総理大臣文学賞を受賞した詩集『ドラッグしてロック解除/緊急電話』(drag down to unlock or place an emergency call, Pitt Street Poetry, 2013)はその魅力が凝縮された作品群だ。
今回のイベントでは川口さんのほか、日本の第一線で活躍する詩人や歌人がメリンダさんの英詩をそれぞれの言葉で訳したものを披露した。展開される不思議な世界観が詩人・歌人の感性との融合で新しい風景が広がっていく。
一方で、メリンダさんの作品にはシリアスな情景を力強く表現したものもある。その中でも詩作「Gap」は、南半球の潮風と広がる海の風景とともに深い感動を呼び起こす。これはシドニー近郊の「自殺の名所」である崖とその近くにある高級住宅地の話。住宅地に住む男性が崖に近づく人に声をかけて、時には家に招き入れてお話をし、結果的に自殺を思いとどまらせている、ストーリーを詩で表現する。
◆「ない」から始まる
詩の中でその男は崖に近づく「自殺志願」者に近づき「私にできることがあるかな?」と聞く、そうすると志願者は「ない」と応える。この詩は「『ない』からすべて始まる」と締めくくる。この作品は哲学的であり、かつジャーナリスティックな存在感を放ち、自殺を防止しようとの社会の考えと連動しつつも、その背景に広がる人生の悲哀も表現され、人の尊厳を伝えるには効果的な言葉であった。
それをメリンダさんに伝えると、「それを狙っている」との返答。そのストレートな思いが、川口さんの「勇気をもらっている」とのコメントにつながっているのだろうか。メリンダさんの紡ぎだされた言葉の一つひとつにはケアがある。尊厳を守ろうとする強い思いとやさしさ、それは友人として感じることでもあるが、今回は詩人としてのケアを感じる瞬間があった。
次の日、彼女は「みんなの大学校」の講義にも特別ゲストとして参加してもらった。持つべきものは詩人の友人である。
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