古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
◆はじめに
今回は、MMT(現代貨幣理論)の問題点について考えたい。前稿で見たようにMMTは信用貨幣論・内生説によって主流派経済学の商品貨幣論・外生説を批判する。外生説は――日銀はマネタリーベース(現金+日銀当座預金)の供給を操作することでマネーストック(通貨総量)を制御できる――と考える。ただし、日本はゼロ金利状態が続いて金融政策が有効性を失う「流動性の罠(わな)」に陥っている可能性がある。そこで、日銀がインフレ目標(2%)を明示し、達成を公約して大量に資金を供給すれば(=「予想に働きかける政策」)、目標を達成できると考えたのである。こうして異次元緩和が実施された。
一方、MMT派は内生説に立ち――日銀が通貨の供給を操作しても通貨総量を自由に制御できない――と考える。貨幣は経済の内部で創(つく)られるものなので、経済内部の需要がなければ貨幣量は増えないということだ。実際に、異次元緩和によっても企業の資金需要は低迷を続けて貸し出しは伸びず、物価も上がらなかった。当初公約した2年を超えて10年近く続けられたが、失敗に終わったのである。
異次元緩和失敗の原因の説明として、内生説は説得力がある。そして、主流派経済学の貨幣理解が問題を持つことを指摘している点は評価すべきである。しかしMMTは、政策論になると疑問が多いのである。なかでもインフレを制御できないのではないかという批判はMMTの弱点を突いていると思われる。本稿ではこうしたMMTの問題点について考えていきたい。
なお、今回参考とするのは、MMTについては前稿に続いて島倉原(クレディセゾン主席研究員)の『MMTとは何か』と中野剛志(評論家)『富国と強兵』である。また、主流派の財政再建論に関しては小林慶一郎(慶應義塾大学教授)編著の『財政破綻(はたん)後』である。
◆MMTの問題点
- 問題点1:財政政策によるインフレ制御は政治的難易度が高い(財政の民主的統制の困難さ)
MMTの貨幣論は次のように考える――
⇨通貨主権を有する政府は自国通貨の支払い能力に制限はない
⇨制約要因はインフレ率である
⇨インフレ率が高まれば財政支出の削減か増税でインフレを抑制する――
これに対して小林や小黒一正(法政大学教授)は、MMTのインフレ制御策は非現実的だと次のように批判する――
⇨財政支出の削減や増税は不人気な政策であり、政治的な難易度が高い。民主主義の下で財政支出削減や増税は過去の経験則から困難と考えるべき(「財政の民主的統制の困難さ」)
⇨また、仮に歳出削減や増税法案が国会を通るとしても政策のタイムラグ(年単位で時間が必要になる可能性)を考慮しておらず、機動的に動くことができずに、インフレ抑制のタイミングを逃す可能性がある――
高齢化が進む日本においては社会保障費が政府の一般歳出の約51%(令和5年度予算ベース)を占めており、すべての政党がその維持充実に高い優先順位をおいている。そうした状況を考えれば歳出削減や増税は政治的に困難な選択肢とならざるを得ないことは明らかだ。現在インフレが進むが、財政健全化を掲げる岸田政権が唐突に減税案を打ち出す一方で、国会では与野党が「減税」や「給付」を連呼してばら撒(ま)き合戦をしていることを考えれば、増税や歳出削減の政治的難易度は容易に想像がつく。小林たちの主張はもっともだと思われる。
- 問題点2:コストプッシュインフレを制御できない
MMTは、経済全体で需要が不足するときは政府が財政支出で需要を創り出し、需要が過剰になればインフレを防ぐため財政支出減や増税で対応する。マクロ経済の運営を財政政策でコントロールするのである。
デマンドプルインフレ(需要過多によるインフレ)の場合は、前述の政治の難易度の問題を除けば対応可能だろう。しかしコストプッシュインフレ(供給不足によるインフレ)の場合には問題が発生する。MMTの論理に従えば、供給不足が原因であれば財政支出を増やして供給力を向上させれば良いが、それでは短期的には需要を増やし、インフレを加速させることになるからである。さらに現在の日本のように、海外の原材料費上昇と円安が要因の場合には財政政策は効果がない。もっとも現在のガソリン価格のように補助金でインフレ率の抑制はある程度は可能だろうが、それではインフレの原因解決にはならないし、政府債務の更なる膨張を招くだけである。インフレを制御できない可能性が高いと思われる。
なお、主流派経済学はインフレに対して金融政策で対応する。そして主要国の中央銀行にはインフレ対策のノウハウが蓄積されている。ただしそれは、デマンドプルインフレに対してであり、コストプッシュインフレに対する金融政策の経験知に乏しいことも事実だ。現在の欧米主要国の中央銀行は、供給不足が原因のコストプッシュインフレに対して、金利を引き上げて需要を抑え込むことで対応しようとしている。今回の利上げでインフレ収束は可能としても、副作用として景気を冷ましすぎることが懸念されており、ソフトランディングが可能かどうかはまだ分からない。
- 問題点3:低金利を前提とした理論
日本では、MMTはデフレ脱却という視点から注目された。中野が示す現状認識もグローバル化の進展によって「低インフレ、低金利、低成長」は世界的傾向と見ていた。また、MMTでは金融政策の景気安定効果に期待しないので、金利は低位に安定させておいた方が良いと考えているようだ。
さらに言えば、政府債務が増加していくと金利上昇の影響を強く受けるようになるので、金利は低いほど都合が良いという事情もある。MMTでは政府債務はいくら増えても問題はないと考える。確かに、政府債務が膨張を続けても、国債の消化は日銀が最終的に吸収すれば可能だろう。しかし、政府債務残高が膨張すると金利上昇時に、国債を保有する民間金融機関や日銀に評価損の問題が発生する。また、日銀の国債保有残高が大きいと逆ザヤになり、その状態が続くとバランスシートが毀損(きそん)するという問題を抱える。そうした問題の顕在化を避けるためには、ゼロ金利の恒常的な維持が望ましい。
したがって、MMTは超低金利環境を前提として機能すると言える。しかし、コロナ禍の影響や地政学的リスクの増大を背景とした脱グローバル化の進展により「低インフレ、低金利、低成長」の時代は転機を迎えている。MMTはこうした環境変化をどう考えて、どう対応するのか答える必要があるだろう。
さて、政府債務を積み上げていくとどこかに「上限」――それを上回ると、金融市場に与える影響が大きくなり市場が不安定化する――があるのだろうか。MMTでは政府債務の総額が増えたり対GDP(国内総生産)比率が上昇したりしても問題はないと考えるので、上限の金額を心配する必要性を認めない、あるいは管理不能になることはないということだろう。
ただ、浜田宏一(イェール大学名誉教授、元内閣参与)はこの数字について語っている。浜田はリフレ派の重鎮とされるがMMTについても理解があり、政府債務の対GDP比が1000%でも大丈夫だと述べている(*注1)。この数字を元に大雑把な計算をすると――GDPが500兆円なら5500兆円が一つの目安(あくまでも現在の経済規模を基準にした数字)――となる。
また、経済評論家の森永卓郎はMMT派であるが、その著書『ザイム真理教』(フォレスト出版、2023年)の中で、第2次世界大戦時に日銀が引き受けた戦時国債の残高は現在の価値で5000兆円程度と推計し、日銀の国債保有額の一つの目安と見ている。二つの数字は一見似通っているが、そこに何か意味を見出そうとしても無理だろう。この数字が正しいのか間違っているのかは誰にもわからないからだ。それを確かめるために日本が実験台になるのは馬鹿げている。上限の議論は諦めることにしよう。
◆まとめ
MMTの問題はインフレ対策にある。インフレになれば歳出減や増税で需要を減らすというが、そうした政策は政治的な難易度が高く迅速性にも欠ける。また、現在の日本のように海外物価の上昇や円安でコストプッシュインフレが起きた時の対策には不向きだ。デフレ時には財政政策、インフレ時には金融政策中心という政策分担をして柔軟に使い分ければ良いと思われるが、MMTはあくまで財政政策での対応が基本で金融政策は補完的な役割しか与えられていない。その理由は、原理に関わる問題があるからではないかと考えられる。
- 理由1:内生説に起因
①内生説は――経済内部から資金需要が生まれて貸し出しが増え、経済活動が活発化して物価が上がる――と考える。この原理から導かれるMMTの政策論は、マクロ経済の運営を財政による需要の増減によって制御しようとする
②同じ理由から金利の低下や貨幣量の増大によっては資金需要は増えないと考える。金融政策の金利調節機能は認めているが、金利を調節しても需要をコントロールできないという考えだ。需要をコントロールできるのは財政政策だけということになる
- 理由2:国定信用貨幣論に起因
①MMTは信用貨幣論と国定貨幣論を融合して「国定信用貨幣論」を唱える。国の信用があるから貨幣として流通するという説である。貨幣は「国が支払手段(=税金)としてその受領を約束したもの」と定義される。したがって税金は財源ではなく、国家の資源動員の手段である。自律性を持つ国家だけが自国通貨建の国債を無限に発行でき、国民から資源を動員することで「富国と強兵」(中野)を実現し、国民に安全と安心を保障するという考え方である。ここにMMTの本質があり、国家(政府)が先にくるのである
②したがって、政府と中央銀行の関係については、政府の信用を前提にして初めて中央銀行が有効に機能すると考える。あくまで政府が「主」であり、中央銀行は「従」という関係である
こうした原理を忠実に政策に置き換えた結果、MMTは財政政策に依存した政策論になるのではないかと考える。前稿で見たように、MMTは主流派経済学の商品貨幣論・外生説を批判する。しかし、そのMMTが内生説と国定信用貨幣論という原理に縛られて実体経済の変化に対応できないとしたら皮肉である。主流派もMMT派も「理論が現実を規定する」と考えているのだとすると、経済理論は「科学」ではなく「イデオロギー」と考えて付き合うべきなのだろう。
<参考書籍>
『MMTとは何か』(島倉原、角川新書、2019年12月初版)
『MMTから読み解くお金(マネー)の本質』島倉原による講座(早稲田オープンカレッジ:2021年10月23日から12月4日まで5回の講義)
『富国と強兵―地政経済学序説』(中野剛志、東洋経済、2016年12月初版)
『財政破綻後――危機のシナリオ分析』(小林慶一郎編著、日本経済新聞出版社、2018年4月初版)
(*注1)『国の借金はまだまだできる アベノミクスの生みの親 浜田宏一』2021年11月10日、文藝春秋オンライン
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