山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
お客様から預かったクルマにわざと傷をつけて修理代金を増やしていた、と問題となったビッグモーター(BM)。そんな違法行為を知りながら、他社に先駆けてBMとの保険契約を再開した損保ジャパン。契約再開を主導したのは社長だった白川儀一氏とわかり、社長を辞任。これにて一件落着かと思われたが、終わらなかった。金融庁は損保ジャパンの親会社SOMPOホールディングスに立ち入り検査に踏み切った。
「親会社の責任」が焦点となっている。なぜか? SOMPOホールディングスの櫻井謙吾グループCEO兼取締役兼代表執行役会長のワンマン体制に問題の根源がある、と金融庁は疑っている。ワンマンぶりの表れが「飛び抜けて高い」とされる櫻井氏の報酬だ。損保業界首位の東京海上HD小宮暁社長の報酬が1億7000万円程度であるのに、業界3位のトップ櫻井氏は4億7000万円(2023年度)。この「不釣り合いぶり」が業界で話題になっていた。
白川社長は親会社の意向に沿ってBMに甘い決定としたのではないか。櫻井ワンマン体制は4億7000万円の報酬に値する立派な経営をしていたのか、金融庁の検査の注目が集まっている。
◆燃え広がる前に手を打つ「自主返納」
そんな時、国会で問題にされているのが「首相の給与」。年額4015万円を4061万円に引き上げることが妥当か、が議論されている。SOMPOホールディングス櫻井会長の10分の1にも満たない給与でわが国の総理は働いている。政治家の報酬とはなんだろうと、と考えさせられる課題でもある。
首相の給与は「二層構造」になっている。国会議員としての歳費・年2187万8000円(月額129万4000円+期末手当635万円)。これに首相という職務に対する報酬1928万円が上乗せされ、現行の給与は4015万円。だが満額が支給されているか、というとそうではない。様々なことで自主返納が繰り返され、実額は2811万円というのが現状だ。
「法改正で増額となっても実際の取り分は2843万円だけ」というのが首相側の言い分だ。責任の重さを考えると、決して高額とは言えないだろう。その一方で、首相の報酬は国民の税金で賄われる。国民の暮らしぶりとかけ離れた報酬というわけにはいかない。労使交渉のない政治の世界だ。
そこで、よりどころになるのは公務員給与についての人事院勧告である。
人事院は8月、一般の国家公務員に対する給与引き上げを勧告した。これに併せ高級官僚である「国家公務員特別職(審議官以上)」の給与も上げようというのが今回の給与改正法案だ。ところが「なんでいま首相の給与を上げるのか」という声がわき上がり、野党は「暮らしの悪化に国民が苦しんでいる時、首相や閣僚が自分たちの給与を増やすことに理解が得られるのか」と批判する。
地元の区長選で現金を配り公選法違反が疑われている柿沢未途法務副大臣、女性と不適切な交際が明らかになった山田太郎文部科学政務官。任命したばかり政務三役に不祥事が続き、政権への信頼は揺らいでいる。支持率が下降する中で、「お手盛り賃上げ」は岸田内閣への不信をますます強めかねない、との配慮から、首相官邸は「増額分は自主返納」を打ち出した。世間を騒がせる話題は燃え広がる前に手を打つ、という対応である。しかしまたいつもの「自主返納」である。返納すれば文句はないだろ、という対応である。
◆暮らしの崩壊、現実に不満抱く国民
今の臨時国会で政府は17兆円という巨額の経済対策を予算化した。「所得税減税」として1人当たり4万円を税から差し引く。納税していない低所得者に対しては1世帯ごと7万円を給付する。そのほか、ガソリン価格の高騰を抑えるため石油元売業者に補助金を出すなど「上昇する物価への対応策」に巨額のカネを使う。
ことほどさように、政府が今取り組んでいるのは「物価対策」だ。賃金が少しばかり上がっても物価上昇に追いつかない。実質賃金は18か月連続してマイナス。賃金を上げることが政治にとって重要な課題になっている。最低賃金や公務員給与の引き上げはそんな文脈から行われてきた。「特別職給与も増額」も、この流れに沿っているように見えるが、大間違いだ。
高級官僚や閣僚級政治家・首相は「お上=この国の支配者」と人々は見ている。自分たちが苦しい時、なぜ支配者がお手盛りで給与を膨らますのか、と複雑な思いになる。「4000万円ももらっていません」「これまでも自主返納してきました」「今回も自主返納します」と言っても、怒りは収まらないだろう。
非正規で十分な給与が得られないから、夜はバイトする、食料品の値上がりで1日2食にした、こどもの給食費が払えない――などという暮らしの崩壊が始まっている。労働組合の連合が発表する春闘の賃上げ率は大企業の数字で、中小企業の賃上げは定率にとどまっている。強い者だけ給与が上がる、という現実に不満を抱く人にとって「返納するからいいじゃない」「首相の給与は決して高くない」と言われても納得いかないだろう。
◆世間常識がわからないのが岸田首相最大の欠陥
「先憂後楽(せんゆうこうらく)」という言葉がある。「世の中に先んじて事態を憂い、皆が安心きるようになった後に楽しむ」という指導者の心得を説いたものだ。
物価を上回る賃金が政治課題だ。それには物価を抑える政策が欠かせない。インフレの主要因である円安に歯止めをかけることが必要だ。そして賃上げ。不当に引き下げられた労働分配率を拡大する。大企業には、たまった内部留保を吐き出させる。中小企業の賃上げは、系列を通じた搾取(さくしゅ)をやめさせ、正当な対価を払わせる「下請け構造の是正」が急がれる。円安を誘導する「内外金利差の拡大」の是正には、日銀の政策金利を引き上げることも課題だろう。
首相が激務であることはほとんどの人は知っている。求められているのは、忙しそうにすることでなく、働いた成果だ。「特別職の賃金改定」は、賃金上昇が物価を上回ったことを見届けてから「おかげさまで」と行えばいい。
政策の未達はいつも「道半ば」と言い訳されてきた。道半ばでも給与だけは上げる、というのは理屈が通らない。「聞く耳」はあっても理解する神経がないのでは困る。世間常識がわからないことが岸田首相最大の欠陥ではないか。
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