п»ї 「共に学ぶ」の先の「生きる」に価値観崩すアートの破壊力(中) 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第269回 | ニュース屋台村

「共に学ぶ」の先の「生きる」に価値観崩すアートの破壊力(中)
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第269回

12月 18日 2023年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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◆障がい者と過ごす不安

「障害の有無を超えて、共に学び、創るフォーラム」超福祉の学校(主催・NPO法人ピープルデザイン研究所、共催・文部科学省、渋谷区、東京都教育委員会)のシンポジウム「『共に学ぶ』の先にある『共に生きる』を考える」で示された「アートNPO」として活動する静岡県浜松市のNPO法人クリエイティブサポートレッツの活動は一般的な福祉の考え方を基準にすると斬新な視点と行動に驚く人も少なくない。

障がい理解の先にある「共に生きる」を形にするのが運営するシェアハウスに泊まって障がいのある利用者と直接触れ合うプログラムである。登壇した群馬県の福祉施設で働く原菜月さんはこのプログラムに参加して人生が変わった1人だ。

通信社記者だった2021年に体調を崩した時にレッツのゲストハウスに1週間滞在した。取材で訪れたことがある福祉施設だが、接したのはスタッフだけで、当事者との関わりの経験はない。当初は「どのようにかかわればよいのか、こわい、びくびく」「むやみにかかわると、住人達のストレスになるのではないか」との不安が先立ったという。

◆わからないけど面白い

原さんがそこで見たのは、いつでもゆっくりした動きをする男性、急に泣き始める女性、おしゃべり好きな女性は思う通りにならないと急に怒りだす。そして、少し時間が経つと怒りは消えている。

前回(第268回)(上)で紹介したたけしさんはおわんに石を入れ、カチャカチャ、と鳴らし続ける。ニコニコするその姿をしばらく見ていると、音楽に合わせて鳴らすのを発見する。それは「わからなくて怖い」から「よくわからないけど面白いな」に変わった瞬間だった。

原さんにとって「他者は自分の思い通りにはならない」と腹に落ち、自分が強迫観念にがんじがらめになっていて「これでいいんだよな」と思えたという。ここから考えると、「他人に迷惑をかけてはいけない、が窮屈な社会をつくるのに加担していた部分があった」とし、「大きな意味で福祉を考えるようになった。弱い人に対するものだと思っていたが、自分もその中に入る、自分も福祉の中ということで腑に落ちた」と説明した。

◆わからないから思考が始まる

進行役の神戸大の津田英二教授はレッツの活動を「当たり前を疑い、壊す学びの過程」と整理し、その要素として「実際に出会い、関わることの意味」「出会い、関わるをつくる場や人の存在」「長い時間をかけて自己省察する学び」があると説明した。

さらに津田教授は、この出会いを「わけがわからない人」との関わりとした時に、レッツ理事長の久保田翠さんは「耐える」、原さんは「心地よさ」と表現した点に関心を寄せた。

久保田さんは「わけがわからないと排除か恐怖になる」とし、予定調和を求めるのではなく、「だめといわないで、耐える時間を作る」こと、それは「絵画造形も同じでわからないものに出会う、そこから思考が始まる。『なんでわからないのだろう』と。その考える時間がないと一緒にいることはできない」

原さんは「心地よさは予定調和からいくと、学校や仕事では予定調和を崩すと犯人視される。しかし、崩してくれる人であれば、気を楽にしてもらう。この人が大声だしているからいいじゃん、と。コースAから急にB変わって笑いが起こる。障がいがある人を笑っていいかと思っていたところで、笑う。笑っていいんだと、ななめ上からほぐれてくる」感覚を説明した。

◆不快なものを受け入れてみる

「ほぐれる条件」として久保田さんは「誰かの行為をリスペクトしてみる。不快なものを受け入れてみる」とし、その結果「いやだったでもよいと思います」と話した。

構成要素として「そこがアートNPOとして、とにかくやり続ける。そんな場を作り続ける。人によっては違和感があって、自分たちはやらないということを平気でやり続けるのがアート。人が縛られすぎ、いらないルールを学べるのは、重度知的障がい者からだけです」と話す。

さらにレッツが浜松市の中心市街地で活動を展開していることについて、久保田さんは「障がい者は障がい施設にいて安心したコミュニティー、高齢者は高齢者、子どもは子どものコミュニティー、これをよかれとしてやってきたが、その結果、町に人がいなくなった。子ども、おじいちゃん、障がい者が歩いていない」と中心市街地の空洞化の要素と位置付けた。

さらに「いろんな施設に入っている状況では共生社会は生まれない。ある意味排除の対象になる人が街に出向いても焼け石に水で、私たちだけではだめなのです」と今後の広がりに期待を寄せた。(次回に続く)

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