小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住26年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
これまで3回にわたって「中国 見たまま聞いたまま」のサブタイトルで、中国事情についてお話ししてきた。そもそも中国に関しては素人で、かつ20年ぶりでたった1週間の滞在期間ではわかることに限りがある。あくまでも私の主観ではあるが、これまで述べてきたことをまとめると、以下のようになるだろう。
①中国はコロナ禍の3年間で内向き志向を強め「中国第一主義(国潮)」が人々の中に伝播(でんぱ)している
②生産年齢人口が2014年にピークアウトしたため、直近5年の中国経済は停滞感を強めている。不動産不況が深刻化しているが、中央政府は金融緩和と金融機関へのコントロール(不動産価格の維持と貸し渋り禁止措置など)を強化することでこの事態を乗り越えようとしている
③中国経済の停滞に伴い、中国国内の自動車販売数も過去5年ほど低迷。新エネ車向け補助金導入により、21年以降新エネ車の販売台数が急増したが、国内自動車販売は横ばい
④中国政府の財政もひっ迫していることが推測され、電気自動車(EV)など新エネ車への購入補助金は22年末に終了。さらに補助金の縮小が予想されている。こうした中でBYDなど中国のEVメーカーは23年初頭より積極的な価格引き下げを実施。ガソリン車を含め中国自動車メーカーは価格競争による淘汰(とうた)の時代を迎えている。BYD、テスラなど数社が利益を確保している見込み
⑤中国国内経済の低迷を受け、中国企業は近年積極的に輸出と海外投資を行ってきている。23年、中国の自動車輸出台数は491万台となり、日本の440万台を抜き世界1位となった。またEVでは欧州・東南アジアをターゲットとし、タイでは10万台近くの販売を計上
タイの日系自動車産業は昨年後半より、中国から輸入されるEVとの厳しい競争を強いられるようになってきている。それはタイの自動車販売シェアに如実に表れている。日系自動車メーカーのシェアは22年の85.4%から23年に77.8%と減少。一方、中国系自動車メーカーの販売シェアは4.7%から10.9%に急増したのである。さらにその9割弱が中国からのEVの輸入であり、在タイ日系自動車部品メーカーの生産は、単純に言えば1割近く落ち込んだのである。日系企業の苦境が現実のものとなっている。果たして中国企業および中国人の実力はいかほどのものであろうか?
◆中国企業の実力、日本をすでに追い抜いている
まず、中国の実力を数字などから冷静に振り返ってみよう。拙稿第206回「日本の衰退30年―その間に中国は何をしてきたのか?」(22年11月19日付)で、私は中国経済について各種計数を用いて分析を試みた。いささかデータが古いので簡単にアップデートしたい。
①2010年に中国に抜かれた日本の実質国内生産額(GDP)は昨年ドイツにも抜かれ、現在世界第4位。今や中国は日本の5倍弱のGDPになったと推測される
②売上高上位を表すフォーチュン500社のうち中国企業は129社と米国の136社に拮抗(きっこう)している。日本は41社と中国の1/3ほどにとどまる
③100万ドル(約1億5000万円)以上の富裕層は、中国は623万に対し日本は276万人(23年スイスUBS銀行)と富の蓄積も進行
④教育面では大学ランクで中国の清華大学(12位)と北京大学(14位)は東京大学(29位)より上位にあり、22年度の米国留学生数は29万人と日本の1万6千人の18倍にも上る
⑤こうした留学組に牽引(けんいん)され産業の高度化が進行。22年の主要国の新規ロボット設置件数は29万台(国際ロボット連盟)と世界の半分以上。従業員1万人当たりのロボット設置台数も322台と日本の339台に肉薄しており、近年は最新の機器を導入していると思われる
このように数字的にみると、中国企業の実力は資本力、技術開発力、自動化率などですでに日本を追い抜いていると考えられる。また、中国のトップクラスの人材の教育水準も日本のそれを超えている可能性が高い。ここで、中国に駐在する日本人から生の中国人評を聞いてきたので、紹介したい。
①中国人は金銭に貪欲(どんよく)でよく働く。積極的に商売を展開する
②工場労働者としては勤勉で、ものづくりに適している。また、新しい技術などに興味を示す
③経営者はスピード感にあふれ判断が早く、即断即決も日常茶飯事
④新しいもの好きで、趣向の変化が速い
⑤中国人は自国に対して自信を深めており、中国製品を好んで買う
20年前に中国を訪問した時は、デパートでは店員は商品を売る気がなく、サービスという概念が感じられなかった。また、日系企業の工場を訪問しても、中国人労働者の質の悪さと不平・不満の多さを嘆いていた。この20年の間に中国人の中に資本主義的感覚が根付き、かつ充実した教育の成果が表れ、中国人の能力が大幅に向上したようである。こうした中国人の変化と相まって、現在の中国企業の強さが醸成されたのである。
◆中国メーカーの本気度を軽視すると大変なことに
こうした中国企業を前に、在タイ日系企業はどのような対抗策を見いだせるのであろうか? 企業によって多少ばらつきがあるものの「多くの在タイ日系企業が、押し寄せてくる中国企業の前に立ちすくんでいる」ように見える。拙稿第256回「タイへの投資は日系企業にとって最適解か?」(23年12月22日付)でも指摘してきたように、日系企業にとってタイの事業は「儲け頭」となり、本社連結決算を支える重要拠点へと変貌(へんぼう)してきた。このため、在タイ日系企業の収益を減少させるような設備投資などは控えさせられてきた。現在でも邦人派遣社員の減員や交際接待費の縮小などコスト削減に余念がない。こうした後ろ向きの姿勢は、日系企業の競争力低下に直結する。さらに、電動化の流れには二の足を踏んでいる。
自動車だけではない。電動化の流れはオートバイ、建設機器、農業機器などすべての領域に及ぶ。日系企業の大半はこの電動化の流れに判断がつきかねているのである。このため、部品サプライヤーなどは首をすくめて「この電動化の波が雲散霧消する」ことをひたすら祈っているのである。繰り返しになるが、結果的に在タイ日系企業の大半は、押し寄せてくる中国系企業の前に “何もしていない” のである。
多くの日本の自動車関係者は「自動車の電動化は一時的なブームで、EVは世界の標準とはならない」と祈っているように思える。本当にそうなるのであろうか? 私はこの問題を真正面から議論するだけの素養と知識を持ち合わせていない。急速に進行している地球温暖化に対する人々の危機感やバッテリーなどEV車のコスト低減のスピード、さらには欧米諸国などEVに対する政策の在り方など現時点では不透明なことが山ほどある。しかし、企業の責任者は将来のリスクに備え、自分なりのシナリオを作る必要がある。根拠のない楽観論に依拠する経営は愚の骨頂である。シナリオができていれば、現実がそのように動かなくても修正が可能だ。まずは、タイの自動車業界の今後の展望ついて私の見立てを説明しよう。
今回のシリーズですでに見てきたように、中国の自動車産業は電動化に大きく舵(かじ)を切った。当初は政府の補助金でEVの国内販売を伸ばしてきたが、財政悪化により補助金が縮小。昨年に入りBYDなどが価格引き下げを行い、ガソリン車を巻き込んだ価格競争に突入。今後は有力EVメーカーのみが生き残る淘汰の時代を迎えた。しかし価格引き下げ後も有力EVメーカーは黒字を維持し、EV 車はガソリン車に負けないコスト競争力をつけつつある。一方で、日欧米の各国は自国の自動車産業を守るため、中国製EV 車の輸入急増を避ける手立てを講じ始めた。これらの国が今後どの程度のスピードで電動化を進めるかは混とんとした状況にある。最終的に日欧米でガソリン車、もしくはEV車が選ばれるかは、消費者の価格選考―すなわちどちらがトータルコスト(維持費や中古売却価格を含む)で安くなるかにかかってくるだろう。
これに対し、中国は自国優勢の考え方から、独自の電動化―ガラパゴス進化を続けていく可能性が高い。中国の消費者は自動車購入にあたってすでに独自の選考基準を持ち始めている。それは①国潮(中国第一主義)②外観③智能化④性能――である。日本の自動車会社が強みとする走行性や安全性は二の次である。新しい外観を求める中国人の嗜好(しこう)を尊重し、中国自動車メーカーは3Dプリンターとギガキャストを使って毎年モデルチェンジを行ってきている。「丁寧なものづくり」に固執し、4、5年に1回のモデルチェンジで精いっぱいの日本の自動車メーカーとは真逆な発想である。
私は日本の自動車メーカーの考え方が間違っているという気はない。ただ、中国の消費者には受け入れられなくなっている。果たして、タイおよびASEAN(東南アジア諸国連合)域内の消費者はどのような選考基準で自動車を購入するのであろうか?
残念ながら私は解を持ち合わせていない。しかしEVの主要購入層の一つである若い女性たちは脱炭素とともに外観や智能化を優先させているように思われる。最後はトータルな価格勝負になると思われるが、中国メーカーは今後こうした外観や智能化を前面に押し立てて販売攻勢をかけてくるであろう。中国車メーカーにしても、中国国内市場の低迷を受けてタイをはじめとするASEAN域内マーケットの攻略が至上命題になっているからである。中国メーカーの本気度を軽視すると大変なことになる。
◆在タイ日系メーカーは抜本的経営改革の正念場
さらに、日系自動車メーカーにとって不利なことがある。それはタイの政治状況である。拙稿第253回「タイはセター政権で何が変わるのか」(23年11月3日付)で説明したように、セター政権はタイ貢献党と保守政党の大連立で生まれた。このためセター政権は各党の利権政治に終始し、国内で政治力を発揮できないセター首相は外遊を繰り返し(半年で18か国)外資誘致に奔走(ほんそう)している。その外資誘致の目玉となっているのが、EV車を中心とした電動化である。
そもそも政治家でないセター首相にとって、タイの国内経済対策は重大な関心事ではない。昨年10月から執行されていなければならない政府予算がまだ議会で承認されていないなど、経済面では失態続きである。また、中国からの輸入増大により、国内産業が圧迫されている経済状況にも関心がない。ただひたすら外資誘致に邁進(まいしん)し、首相としての自分の得点を挙げようとしている。
また、電動化を推進している官僚たちはセター首相の腰巾着(こしぎんちゃく)ばかりで、国内経済に目をそむけ電動化を推進している。欧米諸国などは中国のEV車輸入急増を警戒して手立てを講じ始めているが、タイは中国の自動車メーカーに手放しで恩典を与えている。当然のことながら、日本の自動車メーカーには強烈な逆風である。現在のセター政権下では、中国の自動車メーカーの進出を抑えることはまず不可能であろう。
結論から言えば「中国の国内不況を背景に、競争力を持った中国企業がタイおよびアセアン諸国に雪崩を打って参入してくるのは確実である。こうした中国企業を迎え撃つにあたって、日本の自動車部品メーカーが打つ手は以下の三つに集約される。
①アセアン域内でのEV化に目をそむけ、ガソリン車対応で細々と生きていく
②中国のEVメーカーを含め海外自動車メーカーとの取引拡大を目指す
③自動車の取引を断念し、他の業態に転換する
タイは日本の製造業としては世界で最も充実した産業集積を確立している。その産業集積がもろくも崩れていくかもしれない瀬戸際にある。中国企業の進出が確実な中で、タイはいつのまにか日本と中国の産業対決の最前線となった。
在タイ日系自動車部品メーカーにとって、EV車などの電動化に背を向けては企業としての将来は見込めない。選択肢は②しかない。しかし中国企業からは日系自動車部品メーカーへの不満の声が聞こえてくる。「製品購入のための条件交渉において、日系部品メーカーは常に本社決裁を仰ぐため、スピードが遅くて使えない」「日系メーカーの製品は過剰品質で価格が高い」などである。日系企業は全力で中国企業などとの取引の可能性を探す必要がある。そのためには、中国企業からのこうした声にも真摯(しんし)に向き合う必要がある。在タイ日系企業に残された時間は少ない。今からでも遅くはない。覚悟を決めて、抜本的に経営態度を改める時期に来ている。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第262回「閉じこもる大国?―中国 見たまま聞いたまま(その1)」(24年3月15日付)
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第263回「中国経済は本当に破綻するのか?―中国 見たまま聞いたまま(その2)」(24年3月29日付)
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第264回「中国のEV市場を見て感じたこと―中国 見たまま聞いたまま(その3)」(24年4月13日付)
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第206回「日本の衰退30年―その間に中国は何をしてきたのか?」(22年11月19日付)
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第256回「タイへの投資は日系企業にとって最適解か?」(23年12月22日付)
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