引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
今年1月6日から全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ「ミュージックバード」を通じて、月曜日から木曜日まで「未来へのかけはし Voice from Tohoku」を放送している。東日本大震災後の岩手、宮城、福島で復興に向けて取り組む人々自身が綴(つづ)った文章や作文、詩を朗読してもらう5分枠のコーナーである。
私が取材、収録し、案内役を務めている。一週間に1人の予定で、初回は宮城県気仙沼市本吉町で、震災後に心の傷を負った知的障害者の居場所をつくろうと奔走(ほんそう)している母親グループの佐藤晴子(さとう・はれこ)さん。このグループの思い、そして障害児童を持つ親の詩を朗読した。
◆本吉絆つながりたいの取り組み
放送が終わった内容をここで紹介したい。以下は震災の風化を防ぎ、支援活動につなげるために私が作詞を担当した歌曲「気仙沼線」をバックに展開される。
(ラジオ内容始まり)
未来へのかけはし Voice from Tohoku
東日本大震災から約3年。このコーナーでは、被災地の今を、現地の方々ご自身が綴った思いを、生の声で語っていただきます。本日お伝えするのは、宮城県気仙沼市本吉町の知的障害のお子さんを持つお母さんのグループ、本吉絆(もとよしきずな)つながりたい、です。震災の大きなショックにより発作を起こす知的障害の子どもたちに対応しようと集まった地域のお母さんたち。知的障害のある人もない人も、普通に声を掛け合える地域を目指し日々活動しています。語っていただくのは、本吉絆つながりたいのメンバーで、重度の知的・身体の障害がある10歳のお子様がいる佐藤晴子さんです。
【佐藤さん朗読】
本吉絆つながりたいは、ここ気仙沼市本吉の地で震災を機に一致結束した障害者を抱える家族の会です。この震災で心傷ついた子どもたちの傷跡を癒やしながら少しずつ笑顔を取り戻しつつある私たちの子どもたち。多くのものを失っても、前向きに頑張っている地元の人たち。本吉絆つながりたいは、誰もが生きやすい地域づくりを目指し、ただいま邁進(まいしん)中です。
障害者と地域との共生は、先輩のお父さん、お母さんがたの夢でもあります。第一弾として、子どもたちの預かり施設を2月に開所する予定です。施設の名前は「ホップ」。本吉絆つながりたいの夢は、まだまだ続きがあります。夢に向かってホップ、ステップ、ジャンプ。ここで、重度の障害児の母の詩を紹介します。
あなたの笑顔に癒やされて
あなたのその頑張りに励まされ
勇気をもらい
母は今日も一日笑顔で送ろうと思うのです
与えていると思っていた
でも、あなたに与えられていたんだね
何倍も
いろんなことを気づかせてくれて
ありがとう
我が子へ
本吉絆つながりたいでした。
【エンディング】
本吉絆つながりたい、の詳しい活動内容はつながりたいのホームページでご覧ください。私が作詞しました気仙沼線のCDのブックレットにも活動内容をルポルタージュとして書いております。支援活動は気仙沼線普及委員会のフェイスブックでご覧ください。
(以上ラジオ内容終わり)
◆「社会的弱者」として置き去りにされる障害者
本吉絆つながりたいの結成に至る経緯は、CDのブックレットにもルポルタージュとして記録したが、佐藤さんが話すように、活動はこれからも続く。社会の誰かが振り向かなければ、障害者という「社会的弱者」と位置付けられてしまう人は置き去りにされてしまう。それを本吉絆つながりたいの母たちは誰よりも実感しており、自分たちが行動すること、それが解決の最短距離だと話す。
ここにいる母の何人かは、知的障害者を産んだ自責から「死」という選択を考えた苦悩を抱えてきたという。地方の風土との闘い、女という周囲のイメージとの闘い、震災を機会に、その闘いは、子供のフラッシュバック症状という重い課題も加わったが、今回のような「本吉絆つながりたい」というグループが結成され、新たな結束も生まれた。
フラッシュバック症状なのか暴れる子供を、何とか落ち着かせようと奮闘する地域の支援者たちの苦闘に接すると、その努力に感情が揺さぶられる。何らかの支援をしたいと考える時、一人でも多くの方々にこの事実を知ってほしいと思うのである。
2月11日、佐藤さんの朗読でも登場する子どもの預かり施設「ホップ」が開所式を迎える。地域の思いと、寄付金で建てられたコンテナハウス。母親の結束から生まれたこの施設への支援は、一人のボランティアとして、これからも続けていく。
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