п»ї 国が違えば営みのルールも違う現実『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第2回 | ニュース屋台村

国が違えば営みのルールも違う現実
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第2回

4月 04日 2014年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。55歳で銀行退職、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。もともと中身の劣る脳の退化防止にはさほどの意義を認めず、せめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。

◆米ミズーリ州の死刑執行に関する情報開示をめぐる騒ぎ

米国の月刊誌「The Atlantic」2014年1月号に掲載されたリポート「The Secrecy Behind the Drugs Used to Carry Out the Death Penalty」は、死刑執行についての情報開示をめぐる騒ぎを報じている。要約は次のとおりである。

米国の複数の州で薬剤注射による死刑執行に使われてきたソジウム・チオペンタール(静脈注射による全身麻酔薬としても使われている)の製薬メーカーが製造中止を決めたことが発端で、当該薬剤を使用中のいくつかの州は11年以降新たな薬剤の選定に迫られた。

この事態を受けミズーリ州は、プロポフォールなる薬を替わりに選んだ。その薬はちなみに、かのマイケル・ジャクソンを死に至らしめている。そして、EU(欧州連合)が当該の注射薬はその危険性から、輸出の制限あるいは禁止を示唆している代物である。そして、専門家によるプロポフォール使用回避の意見は、ソジウム・チオペンタールに対するよりも大きいものがあった。

そこで死刑執行の続行をあせるミズーリ州は次にペントバルビタールという薬を、特定の患者にあわせ成分を加減して調合する複合方式(Compounding Pharmacy)により使うことを決めた。

ところで、この複合方式とは多年にわたりFDA(米食品医薬品局)など連邦あるいは州政府の規制の抜け穴として活用されてきた経緯があり、折しも米国議会ではこの方法での疑わしい薬剤調合の事例を受け、規制を議論していたいわくつきのもの。この事態で、ある死刑囚の集団がミズーリ州刑務所運営管轄の責任部署を相手取り、本薬剤にかかわる情報開示を求め民事訴訟を起こしたのである。要求した開示は、以下についてである。

・ミズーリ州の死刑執行用薬剤を処方する医師の身元
・当該薬剤を調合する薬剤師の身元
・当該薬剤の効力、純性度そして無菌性

13年12月、連邦予審法廷判事は原告の要求に対し、州側責任者に上記の内容の一部開示を命じた。州側はこれを不服として、命令の効力停止と問題の薬剤に関する情報提供強制排除を求め、第8巡回区控訴裁判所( The Eighth U.S. Circuit Court of Appeals) に控訴した。それ以降の訴訟過程は省略するが結局、控訴裁判所は下に掲げる①~③の3点に要約される論述を行った。しかし、ほかの2点はどうあれ、結果として②により、事実上州側の意向に沿う形の裁定を行ったのである。

①原告の主張は、ミズーリ州における死刑執行に際しての複合調合されたペントバルビタールは激痛、あるいは激痛を感じさせるであろう客観的な危険性を生じさせ、米国合衆国憲法修正第8条の、残虐、異常な刑罰の禁止に抵触するとして、本薬剤に関連して医師、薬局、試験機関が死刑執行の過程においての関与について調査を求めるものである。

②しかし、原告側はほかの既知で代替可能な方法との比較で、州が考える死刑執行のための薬剤注射から派生する危険度が大きく異なっていることは立証していない。

③原告の申し立てを却下することなく調査の進行を許容するにあたり、原告が合衆国憲法修正第8条を満たす代替執行方法、つまり代わりの薬剤を自ら提起することを求めるものではないことを裁決する。

結論を言えば、州による問題の薬剤注射が激痛を伴う危険性を自ら立証しない限り、情報開示不足を理由に死刑執行を止めることはできないのである。

Atlantic誌の意見は、この死刑執行用薬剤問題で当局側の情報開示への回避態度を全面的に批判するものである。むしろ本件によって州当局側は一層秘密主義への時代錯誤的逆行をするとして、非難の論調を展開するのである。

◆先進民主主義、時間と手間はかかるが…

さて、ここからはこの記事を読んだ正直な、しかし政治的好ましさが致命的に欠けた私の印象である。

先進の民主主義を支える透明性、説明責任の維持、遂行とはなんと時間と手間のかかることか。いずれは強制的に死ぬように法が定めた死刑囚ではあるが、過度の痛み、細菌感染せず、恐怖を感ずることなく人間として尊厳を保ち平穏に死ねるような注射剤を決定するプロセスに死刑囚自らが関与することを求めているのである。

太平洋をはさんだ米国でこのような議論が延々尽くされているのと同時に、かの隣国では、前日まで国政をナンバー2として預かってきた人物が突如残忍極まる方法で処刑されたと報じられている。また最近の中国、ロシアが力を背景として、本件記事が提起するような国内問題にはおよそ拘泥(こうでい)されることなく、素早く、精力的に、我が国にとって不穏な動きを繰り出しているのはまったく脅威である。


 その現実とこの記事が描き出す米国民主主義のショーケースとはなんという大きなギャップであろうか。一方の国では金科玉条としている、じれったくなるほどの法治主義は、他方の国々では事実上完全に無視されている。これだけ国としての営みのルールが違うのである。その大きな世界の裂け目に今、われわれ日本人はさらされて日々生きている。

※今回紹介した英文記事へのリンク
http://www.theatlantic.com/national/archive/2014/01/the-secrecy-behind-the-drugs-used-to-carry-out-the-death-penalty/283348/

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