п»ї 「異次元緩和の罪と罰」 金融正常化はできるのか? 『山田厚史の地球は丸くない』第272回 | ニュース屋台村

「異次元緩和の罪と罰」
金融正常化はできるのか?
『山田厚史の地球は丸くない』第272回

9月 27日 2024年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「ニュース屋台村」執筆陣の1人、元日銀理事の山本謙三さんが『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)を出版された。新書と思えない重い中身である。日銀が黒田東彦(はるひこ)総裁の下で、いかに異常な金融政策に手を染めたか。その結果、日本経済は身動きが取れない極めて危うい状況になっていることを淡々と述べている。豊富なデータとこれまでの経緯を紹介し、日銀がしでかしたことを「内部批判者」の視点で書き綴った渾身(こんしん)の一冊である。

「金融政策は難しくて、素人にはわからない」と目を背けがちだが、無関心でいるうちにとんでもない所まで来てしまった。「私たちはこれからどんなツケを払うのか」と本の帯にある。さあ、どんなツケが回ってくるのか。まずは読んで、考えていただきたい。

◆黒田総裁の2期10年、日本経済を泥沼に

私は現役で記者をしていたころ金融を担当し、日本銀行の記者クラブに毎日足を運んでいた。日銀はお札を発行するだけでなく、銀行をはじめ金融機関の経営を監視し、経済を支える通貨の円滑な流通を担う。そして物価の安定を通じ「円の価値」を守るのが最大の使命とされている。

その根幹にあるのが、金利を上げ下げする金融政策だ。この枢要業務に携わるのは4500人余いる日銀職員のうちの10人ほどだ。中心は本店企画局の企画課長。日銀内部から総裁になった人物、最近では白川方明(まさあき)、福井俊彦、三重野康などがこのポストを経験した。山本さんは松下康雄総裁、速水優総裁の下で企画課長(1996〜99年)を務めた。理事となってリーマン・ショック後の金融界の立て直しに取り組み、2012年に退職した。黒田総裁の誕生は2013年。中枢にいたOBとして、後輩が支えた黒田日銀を複雑な思いで見守っていたに違いない。

白川総裁から黒田総裁に。「白だったものが黒になった」と言われたほど、日銀の政策は大きく転換した。「デフレから脱却できないのはマネーの供給が十分で無いから」「おカネをじゃぶじゃぶ出して、これからはインフレだ、という期待感を作り出せばデフレから脱出できる」というリフレ派の考えに黒田総裁は乗った。

と言うより、2012年末に政権をとった安倍晋三首相が、取り巻きのリフレ派に同調したことが、異様な政策の根本にある。政府の言うことを聞かない白川日銀をひっくり返す人物を総裁に、と官邸は動き、総裁候補とされていた元財務次官の武藤敏郎を外し、黒田を抜擢(ばってき)した。

「異次元の金融緩和」は、政治主導で始まった。建前は「政治的独立」だが、総裁人事を握っているのは首相。トップの首をすげかえれば、政策は変わる。

日銀マネーの供給を2倍にし、2年で2%の物価上昇を達成する、という「異次元緩和」は、金融関係者を驚かせたが、インフレ期待は膨らまず、2年経ってもデフレは改善しなかった。

市場から国債を買い上げる量を「年間60兆円」に膨らまし、上場株式や優良不動産を買い上げたりしたが、景気も物価も上がらなかった。

政策の失敗は黒田総裁1期目で明らかになったが、安倍首相は再任した。異次元緩和はアベノミクスの看板政策になっていた。黒田が辞めれば失敗を認めたことになり、責任は首相に及ぶ。

日銀にとって黒田総裁の2期10年は「失われた10年」だった。それどころか10年間たまった「負の遺産」が日本経済を泥沼にしてしまった。

◆民間の消化能力を超えた国債の乱発

2023年4月に就任した植田和男総裁は、初めのうちは慎重な姿勢に終始していたが、1年経った今年3月、政策金利を0.1%に引き上げた。これまで日銀の政策金利はマイナスだった(−0•1%)。同時に長短金利操作(YCC)を撤廃、株や不動産の買い上げもやめた。

マイナスだった金利がプラスになった。しかし0・1%、ほとんどゼロ金利であることは変わらない。見かけは「異次元緩和の終了」となったが、この程度の利上げは実体経済への影響はほとんどない。日銀が銀行から国債を買い上げ、日銀マネーをドクドクと市中に注入している量的緩和はなお続いている。

植田総裁が「政策転換」を印象づけたのは7月。政策金利を0.25%に引き上げ、「金融を正常化する」と踏み込んだことで、市場は「日銀は利上げへと動き出した」と受け止めた。0.25%はささやかな金利だが、市場が注目したのは「方向性」である。これから金利は上がっていくのでは、との観測が広がる。その途端、起きたのが株式の暴落だった。8月5日、東証の日経平均株価は4451円の下落。7月に1ドル=161円をつけた円相場は1ドル=141円へと跳ね上がった。

市場は「金融正常化」に怯(おび)えている。黒田日銀10年間でたまった「金融の異常」は日本経済に根を張り、「常態化」している。金利はほぼゼロ、借金の負担は軽く、カネはじゃぶじゃぶ、資金繰りが楽で、赤字企業でも生き続けられる。異次元緩和は不況対策になっている、と言われるが、「適者生存」を通じた産業の生産性向上は進まない。日本は「ぬるま湯経済」になってしまった。

金融緩和のおかげで株式市場にカネが流れ込み、日銀の「株買い」と相まって株価は史上最高値に上りついた。だが、下がり続けた金利が上昇に転じれば、株価は支えを失う。そうなる前に逃げようとする売りが暴落を誘う。

金融正常化とは、第1が「おカネには金利が付く」という当たり前のことを実現する。もう一つは、政府が発行する国債を日銀が買い支える「財政ファイナンスをやめる」ということだ。

問題はここにある。異次元緩和による最大の「負の遺産」は「日銀による国債引き受け」と見る専門家は少なくない。政府が発行する国債は、銀行や預金者が買っているうちはいいが、日銀がお札を刷りまくって買い支えるようになると、日本経済が持つ「消化力」を超えた国債発行が当たり前になる。やがて通貨価値は下落し、ハイパーインフレを起こしかねない、とされている。

いくらでもカネが出てくる打ち出の小槌(づち)や、キツネが化かす葉っぱの小判のようなものに国債がなってしまう。戦時中、発行された軍事国債が戦後、紙くずになったように、民間の消化能力を超えた国債の乱発は、後になって深刻な危機をもたらす。

◆「異常」に慣れきった市場 正常化を恐れる

日本は戦後作られた財政法で「日銀の国債引き受け」を禁止している。「日銀が輪転機を回してお札を刷ればデフレは解消」とか「国債を市場から買えば日銀の国債引き受けにはならない」と公言した安倍首相は、政府の借金を日銀が支える「財政ファイナンス」の確信犯だった。

「2013年度から22年度までの10年で政府が発行した新規国債は480兆円、この間に日銀の国債保有残高は456兆円増えた」(『異次元緩和の罪と罰』より)

10年間で456兆円も国債を日銀が買い上げるのは、財政法の精神を空洞化するものだ。

植田が口にする「金融正常化」には「積年の異常」を正したいという思いがにじむ。だが、「異常」に慣れきった市場には、正常化を恐れるという本末転倒が起きている。

株価だけではない。国債などの債券市場では、金利が上昇すると債券価格は下落する。

金利が上がれば資金の調達コストは膨らむ。真っ先に影響を受けるのは財政。ほぼゼロ金利で資金調達ができた政府は利払い費に悩むことになる。利上げは、国債発行にブレーキがかかる。それを恐れる人たちがいる。

「財政ファイナンス」の恩恵を受けてきたのは政治だ。財源を気にしないで予算を膨張させることができた。例えば防衛費。GDP(国内総生産)の1%をメドとしてきたが、米国の要請で2%に引き上げることが決まった。2027年までの5年間で43兆円を費やすことになっているが、財源は決まっていない。

増税で年1兆円分を確保、というが、自民党内では「防衛増税反対」の声が渦巻く。総裁選でも高市早苗は「建設国債で防衛予算を」と主張した。

金融正常化は「日銀が保有する国債を適正水準まで下げる」こと抜きには語れない。最大の抵抗勢力は自民党である。旧安倍派を中心とした積極財政派は、歳出拡大・増税回避で一致している。財源問題を正面から語れば増税など負担増に話はなるが、そこは語らない。デフレから抜けてもいないのに財政節度など論外、という声は大きく、膨張予算のシリは国債に回りそうだ。

◆盤石であり得ない「日銀の政治的独立」

振り返れば、植田総裁の誕生は、黒田総裁の下で「面従腹背」していた日銀主流派の静かなクーデターだった。植田を担ぎ出したのは、日銀審議役時代の植田を知る日銀OB。学者として異次元緩和に批判的でありながら、物静かで目立たず、慎重。安倍元首相がいなくなり、旧安倍派はバラバラになっていた。岸田首相は表向き「アベノミクス継承」だったが、内心は「政策の安倍離れ」を模索していた。宏池会は池田勇人、大平正芳、宮澤喜一など大蔵省OBが主流を貫き、今もその人脈は残る。元大蔵官僚で首相側近の宮澤洋一が動いた、とされる。喜一の甥(おい)で党税制調査会長の洋一は安倍政治に批判的で、日銀に理解がある。植田は、本音を隠し、自民党保守派の抵抗をかいくぐった。

その流れが岸田退陣で変調している。植田が発する「金融正常化」には、「今の金融は異常だ」という意味合いがこもっている。アベノミクス批判でもある。岸田政権が倒れ、新たな首相は、どう考えるか。

正常化を急ぎ進めれば、痛みや混乱が多発する。株価の下落は政権にとって面白くない。為替が円高に振れれば大企業から不満が出る。金利の上昇は赤字企業を顕在化させ、倒産が増える。何よりも財源を考えず、国債頼みで切り抜けることが難しくなる。どれも政治が嫌うことばかりだ。

黒田総裁の10年が物語るように、「日銀の政治的独立」は盤石であり得ないのが現実だ。だからこそ「政治的独立」が叫ばれる。「金融正常化」も当たり前のことを言っているようだが、言うほど簡単ではない。理屈では「正常化」は避けて通れない懸案だが、政治的にイバラの道だ。

正常化を諦め、ぬるま湯のような「異常の常態化」から抜け出せなかったら、私たちは、どんなツケを払うことになるのだろうか。(文中敬称略)

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