引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
◆殉職に捧ぐハーモニカ
今回も全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の放送分をお届けする。今回はある殉職した警察官と、その母親の話。東日本大震災ではあまりにも多い一般の方々の犠牲により、殉職は目立たず、沿岸部の現場にそっと佇(たたず)む。どの死にも突然の別れを余儀なくされる周辺の人々がいるから、それは等しく痛ましい。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。
【ラジオ番組内容】
東日本大震災から約3年。このコーナーでは、被災地の今を、現地の方々の思いを、生の声で語っていただきます。きょうお伝えするのは、宮城県警巡査として避難誘導中に殉職した佐藤宗晴(さとう・ときはる)さんの母、佐藤きみ子さんです。人を助ける仕事がしたい。そんな思いを胸に、8年間務めた家業の木工所を辞め、30歳で一念発起し警察官となった宗晴さんでしたが、震災はその2年後でした。今回きみ子さんは、天国にいる宗晴さんに向けてのメッセージを読み、悲しみを乗り越えようと始めたハーモニカで、その思いを伝えました。
朗読(文章)と演奏(ハーモニカ)
宗晴君へ 東日本大震災であなたがいなくなってとても寂しいですよ。でも、安心してお過ごし下さい。私たちはあなたが亡くなる前にいただいたメッセージを守っていますよ。それは、弱音を吐かないで、お金を蓄えながら、生涯現役で頑張れ、でしたね。だから、そちらに行った時は、堂々と会えるように明るく元気に前向きに生きていきますよ。そしてあったら、思い出話をたくさんしようね。
ハーモニカ「ふるさと」
エンディング
宗晴さんの遺体の胸のポケットからは警笛が出ており、住民を誘導している際に津波にのみ込まれたとみられています。そして彼は、私と同じ故郷を持つ、同じ大学の、同じ学生寮で過ごした後輩でした。彼の勇気を讃えたいと思います。風化を食い止めようとする私がかかわる活動は、気仙沼線普及委員会のフェイスブックでご覧ください。
(放送内容終わり)
◆今も寄り添う優しさ
震災直後から沿岸部の現場でボランティア活動をしていた私が、後輩の死を知ったのは、卒業生からのお知らせで、震災から約2~3週間後だった。それを知ったものの、今生きている人への現場活動に奔走され、自分の生活もやはり重要で、彼の死に向き合った時には震災から3年が経ってしまった。
宮城県角田市の彼の実家に行き、ご家族と話をし、仏壇に手を合わせ、そしてお墓に向かった。「お疲れ様でした」と声をかけた。おそらく、宮城から大阪の大学に進学し、東北訛りと自分のテンポの遅さに、関西の猛者たちの中で気圧されした経験は同じのはず。そんな関西の荒波を乗り越え、故強で警察官になった君。ご家族との対話の中で、この間の苦悩を合わせて、私はその死を強く身近に感じた。
母のハーモニカは、むせび泣くような調子で、時々二つの音が聞こえるのは、宗晴君が一緒に演奏しているからだろう。ラジオ局のディレクターも「二人が演奏しているように聞こえる」というそのハーモニカ。それを私は亡くなった彼の親への優しさなのかもしれない。彼が亡くなった場所は沿岸の平野部で、田畑だった場所には雑草と、青いオオイヌノフグリが咲く。オオイヌノフグリの別名は、ホシノハナ。それを見ると、彼はホシノハナになったのだと思う。
放送の内容はユーチューブでご覧ください。
コメントを残す