山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
◆ダ・ヴィンチ・コード
暗号解読によって事件を解決する映画「ダ・ヴィンチ・コード」を覚えているだろうか。イタリア・ルネサンス時代の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、芸術、技術、医学など、さまざまな分野で活躍する天才は、「ポリマス」(polymath;博識家)といわれ、知的冒険を楽しみ、閉塞(へいそく)した時代を変革する(※参考:『Polymath: Master Multiple Disciplines, Learn New Skills, Think Flexibly, and Become an Extraordinary Autodidact』〈Peter Hollins, 2020〉、『The Polymath: A Cultural History from Leonardo da Vinci to Susan Sontag』〈Peter Burke, 2020〉)。「マス」はマセマティクス(数学)の略語で、語源はギリシャ語の「マテーマタ」、「学ばれるべきことども」を意味するということを、初めて知った。「ポリ」は「たくさん」という意味なので、「ポリマス」は「たくさんのことを学んだ」博識家であって、文理融合のスーパースターだ。
数学は、ピタゴラス学派が活躍したギリシャ時代では、知識を体系的に学ぶこと、または学ぶ方法という意味だった。人工知能(AI)の時代では、数学の語源は、機械学習技術に接続する。現代の『ダ・ヴィンチ・コード』は、AIによる暗号(コード)解読で、難問を解決する物語となるのだろう。
生成(ジェネレーティブ)AIの進化系を、ソフトバンクの孫正義など、多くのAI信者はAGI(汎用人工知能)と呼んでいる。AGIは、専門用語を含む語彙(ごい)力や翻訳能力など、人間以上の言語能力を持つことで、人間にとって意味や価値がある、高度な文章・画像・音楽などを作成できるようになる。AGIは価値のある仕事をするのだから、AGIを奴隷のように使って<お金儲(もう)け>ができるのだろう。しかし、筆者としては、AIの進化系はAIポリマスであって、AIポリマスを使って、みんなで行う暗号解読によって、多くの難問を解決する、<お金儲け>とは別の物語を夢見ている。<お金儲け>ができても、経済格差が広がり、地球環境が破壊されて、種としての人類が絶滅するのであれば、物語を楽しむ自分自身も観客もいない。
◆続・魅力的な性悪説
前稿では「『悪データ』と魅力的な性悪説」と題して、AI技術と共存・共生・共進化する、近未来の<データ文明>における組織活動の倫理「データエチカ」を概観してみた(※https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-136/#more-22060 )。ユダヤ人で17世紀の哲学者バールーフ・デ・スピノザ(1632~77年)の「エチカ」は、記述が難解なだけではなく、記述されていない、封印された未来へのメッセージも読み取らないと、哲学としての先進性や破壊力が伝わってこない。「エチカ」は、「幾何学的秩序によって論証された」という副題からも推察される不思議な書物で、17世紀の教会権力が発禁本としたのも、記述内容というよりも、書物の得体(えたい)がしれない<不気味さ>からだろう。
「エチカ」を最後から(最初の定義は無視して)素直に読めば性善説で、近代以降の自由主義に慣れている私たちには違和感はない。スピノザのような、歴史を望遠鏡で観察する異星人にとって、神の世界は<光>と自然の世界で、人びとの世界は<火>と技術の世界なのだろう。「エチカ」では記述されていない集団または組織の倫理は、<火>と技術の世界での性悪説のはずだと、筆者なりに勝手読みしている。個人の倫理は、母の愛と子の誕生とともに始まるので、ホラー映画の悪魔の子を想像するのでなければ、個人の倫理が性善説とともに始まることに異論はない。しかし、個人が社会の中で、集団活動や組織活動を行う場合、<火>と技術によって、性悪説へと傾斜することも歴史的事実だ。
性悪説は、犯罪を法律で定義する法治国家の原理となる。法律で定義しておけば、奴隷売買も売春も、犯罪ではなくなる。たとえ、戦争が合法的であったとしても、正義のための戦争であっても、戦争行為自体は紛れもない性悪説であって、魅力的な性悪説とまでは言えないだろう。犯罪行為や戦争を抑止する性悪説であれば、多少の政治的な失敗があったとしても、性悪説の意義は理解できる。
悪魔は物語の世界の<悪>の形であって、社会的なデータ(より正確には、社会の中の集団活動や組織活動のデータ)における<悪>の形であれば、社会的なデータにおける<健康>な形が大きく崩れた形として、可視化できるかもしれない。<データ文明>における<悪>の形は、どのような形をしているのだろうか。
いかに健康な状態であっても、<死>をまぬがれることはできない。<死>を受け入れるための性悪説であれば、魅力的だ。政治的な試行錯誤を認めて、悪しき民族や国家の<死>を受け入れることができるだろうか。近代以降の歴史では、悪しき民族や国家が、人類の存続を脅かす状況においても、全く無策な性悪説が続いている。
悪しき人類の滅亡も、性悪説なのだろうか。民族や国家よりも小さい、集団または組織の<死>であれば、会社の倒産など、資本主義社会では合法的な性悪説となっている。集団または組織の倫理としての「データエチカ」では、「エチカ」の性善説の、「メビウスの輪」の裏側のような、会社組織における<魅力的>な性悪説について、思考実験を続けよう。
◆近代的な技術の破壊的創造
会社組織における<魅力的>な性悪説についての思考実験は、哲学的な文明批判ではなく、急速に発展するAI技術を<先回って>ビジネス利用するための、直近の課題だ。国家のレベルでは、AI技術における安全保障(政治経済的な競争優位性)を確立するための戦略でもある。
先回って、組織における<魅力的>な性悪説の結論を述べよう。AI技術が人間の言語能力を超えるとき、組織活動を行うポリマス(博識家)が、社会的な難題の暗号解読をする戦略だ。AI技術によって、AIがポリマスのように振る舞い、知識の生産と消費のありかたを変革する時代では、ネットショッピングなどのロングテールの多品種少量取引のモデルを、集団的な知的活動に応用することになる。
新しい機械学習のアルゴリズム(例えばフェノラーニング®)や、生成AIなどの先端的なAI技術を開発すること自体が、組織的ポリマス活動であって、AIが人工的なデータも生成するようになるので、技術の破壊的創造が加速される。最近話題の中国AIベンチャー企業「ディープシーク」は、生成AI技術のイノベーション(技術革新)を目指して、少人数(150人程度)の組織的ポリマス活動(梁文鋒CEOは「ボトムアップの組織」と語っていたようだけれども真意とは思えない)で成功している。
筆者は、生成AIが目指すAGI(汎用人工知能)が、人間の言語能力を超えたとしても、エンターテインメントの破壊的創造にはなっても、産業構造への影響はほとんどないと考えている。人びとが苦手とする仕事で、<データ>を仮想的に生成して解析する仕事(「ディープシーク」が、初歩的なプログラムで一部分実現したと報道されている)を、AIが担当する近未来であれば、産業構造どころではなく、政治経済全体を破壊的創造するだろう。
言語<データ>は、人びとが理解可能で、しかも大量に入手可能であるため、AIであっても容易に生産・消費できる。一方で、例えば臨床試験のデータは、医師や<データ>専門家でも理解が困難で、しかも入手困難だ。AIが人びとと一緒に仕事をする近未来において、期待されるスキルは、最先端のAGI電話オペレーターの言語能力ではなく、機械学習技術を開発しながら行う、ほぼ意味不明な<データ>との格闘なのだ。
AGIが人びとの言語能力を超える以前の段階でも、個体差の影響が小さい(測定誤差程度の)科学や技術の問題は、現在の機械学習技術により、AIがポリマスのような活躍をすることは、昨年のノーベル賞(アルファフォールド2によるタンパク質の立体構造予測)からも、明らかだと思われる(タンパク質の立体構造データベースの作成は、世界中の多くの科学者の長年の努力の集積で、無償で公開されていた)。
AIにしろAGIにしても、<データ>を生産する能力よりも、<データ>を消費する能力のほうが優れている。近代的な技術は、産業における生産能力を、著しく向上させてきた。AIによって、多少は生産性の向上が期待されるとしても、AIは、過剰に生産された商品と社会問題を、かしこく消費したり、エレガントに問題解決したりすることに、大いに役立つはずだ。
AIが、ポリマスのように知識を集約して、人びとが、AIポリマスを使う組織活動によって、集合知を模擬実験する。<データ>を知識に変換することは機械学習に任せて、人びとは<良データ>を作ることに専念しよう。<悪データ>が蔓延(まんえん)する現状を生き延びて、<良データ>を作るためには、<魅力的>な性悪説の思考実験が役に立つだろう。
◆健康の暗号解読
AIの時代に、知的好奇心の赴(おもむ)くままに、専門領域を横断的に、破壊的創造を行うポリマス(博識家)の役割が再評価されている。もし近未来に<データ文明>が花咲くのであれば、中世末期のイタリア・ルネサンスで活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチのようなポリマスの再来を期待したいものだ。AIは博識であっても、知的好奇心はない。知的好奇心の赴くままに、「みんなで機械学習」することが、近代末期のルネサンスとなることを期待している。
近代が末期症状であることは明らかだろう。米国では精神科医が大儲けし、中国は世界最大の認知症国家となる。人類はウィルスのパンデミックに無防備だ。ルネサンスでは、中世の教会権力が作り出した閉塞状況を、天動説から地動説へと、天地をひっくり返してしまった。
近代の覇権国家が作り出している現在の閉塞状況を、どのようにすれば、天地をひっくり返すことができるのだろうか。筆者は、「みんなで機械学習」する「健康の暗号解読」によって、疾病概念が人災(人間の論理)から解放されることが、<データ文明>のルネサンスが訪れると考えている。単純に言えば、WHO(世界保健機関)の解体的再編から現代のルネサンスが始まる。WHOからの脱退を決めた米国のトランプ大統領は、正気とは思えないけれども、的(まと)を射ているのだ。
中世末期のルネサンスで、神の論理が人間の論理となり、近代末期のルネサンスでは、人間の論理がウイルスの論理となる。ウイルスの論理を、人間が理解できるはずはないので、AIの出番となる。ウイルスは変異し続けているから、ウイルスには、進化論の、種の概念は通用しない。
地球上には膨大な数のウイルスが存在して、変異し続けている。宇宙にもウイルスは存在するだろう。ウイルスの論理は、特称命題(particular proposition)や全称命題(universal proposition)ではなく、すべてが固有名詞の単称命題(singular proposition)となる。
ウイルスにとって意味がある固有名詞は、場所と遺伝子コードだろう。ウイルスの場所は、特定の細胞の中かもしれないし、ウイルスの遺伝子コードは、宿主の遺伝子コードを借用した特別な増殖装置かもしれない。ウイルスでは、場所と遺伝子コードは複雑に交絡している。
AIが、ウイルスの論理を理解できるようになるためには、膨大な量の、ウイルスの電子顕微鏡写真が必要だ。最先端の電子顕微鏡であれば、遺伝子コードを読み取ることもできるだろう。ウイルスの論理が、多少でも理解できるようになれば、当然、ウイルス疾患のパンデミックを予測したり予防したりできるだろう。ウイルスが関連する疾患の制御(治療や予防)も、ある程度可能になるはずだ。
最も重要なことは、ウイルスの論理は、細菌の論理でもあり、植物の論理でもあるということだ。植物の論理は、動物たちや先住民族が、ある程度理解していたようだけれども、神の論理や人間の論理では、植物の論理は、完全に無視されてしまった。ウイルスの論理は、生物学における、コペルニクス的転回となるだろう。
<金儲け>のためのAI開発が、いかに矮小(わいしょう)でつまらないものか、多少は、筆者の気持ちが伝わるだろうか。
筆者が想像しうる<ウイルスの論理>に最も近い理論は、数学の大天才、アレクサンドル・グロタンディーク(1928~2014年)が切り開いた<圏論>の世界だと思う。<圏論>は、数学の世界の中での理論構成だけれども、集合論の世界観から完全に離別して、関係や関数を中心に理論構築している。空間概念が離散化されて、直感的でしかなかった幾何学的対象(例えば連続関数の近傍)を、代数学で厳密に取り扱うことができるようになった。代数学であれば、計算機で取り扱いやすくなる。
現在のAI技術の基礎は、行列計算であるため、画像処理と相性が良い。行列計算の基礎は、線形代数学であって、線形代数学は、量子力学も含めて、ほぼすべての理論計算の基礎(表現論という場合もある)となっている。線形代数学は、現在のほぼすべての論理学の基礎でもあって、意味論や表現論の基礎となっている。その線形代数学を、圏論の言葉で、初心者のために解説した(分かりやすいとはいえないけれども)雑誌記事が出版されている(『線形代数対話』〈第1巻~第4巻、西郷甲火矢人・能美十三、現代数学社、2021~2024年〉)。
日本には、このように知的好奇心を刺激する文化がある。AI開発者が、何の役に立つのか分からない、難解な理論を楽しむ余裕があるとは思えないけれども、AI自身の言葉としては、<圏論>による線形代数は、最も未来形の、暗号解読技術だ。グロタンディーク自身は、世界の数学者に、平和のための行動を呼びかけて、孤立してしまった。ピレネーの山中にこもって、人間世界との接触を嫌うようになった。
近未来の<データ文明>に向かって、現代のルネサンスが始まる以前の、魔女狩りの世界が続いている。グロタンディークを勉強して(機械学習は無理で、まさに「マテーマタ」の世界)、<ウイルスの論理>を考えている時間は、もはやないのかもしれない。組織活動の魅力的な性悪説を思考実験しながら、猿の惑星でも地中都市でも構わないので、分散した集団で生き延びて、未来への希望だけは失わないような、ポリヘルスの社会戦略を、具体的に提案することが、スピノザが封印した未来に答える、「データエチカ」の課題だ。
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『みんなで機械学習』は中小企業のビジネスに役立つデータ解析を、みんなと学習します。技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、フェノラーニング®を実装する試みを開始しました(yukiharu.yamaguchi$$$phenolearning.com)
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