引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場「みんなの大学校」学長、博士(新聞学)。フェリス女学院大学准教授、文部科学省障害者生涯学習支援アドバイザー、一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆傍らにある戦争
ドイツは2024年暮れに「新しい兵役」法案を閣議決定した。18歳の男女全員に入隊意向を調査し、意欲ある若者を志願兵にするといい、男性には兵役に対する意欲や能力についてのアンケートに回答する義務を負わせ、国として「国防」意識を認識してもらう狙いもあるという。
ロシアによるウクライナ侵攻による「欧州の戦争」は現実的にドイツの傍らにある。北大西洋条約機構(NATO)の存在が安全を保障するかの疑問が生じる中で、ドイツも新しい国防へと向かうことになった。
戦後のドイツでは、東ドイツや東側諸国との対立の中で、軍の維持は必須だったが、かつてのナチス・ドイツを忌避する感覚が根強く、ドイツ軍への志願が少なかったことで1956年から2011年まで徴兵制を採用していた。18歳以降、9か月間の兵役を基本としながら、良心的な兵役拒否も認めていて、介護施設や公的施設で任務に従事する兵役代替服務があった。
◆熱くなる国家意識
兵役制度は、兵役に就かなくても何らかの形で「国家」に服する時間を義務付けるのがほとんどだが、制度はおのずと自らの国への意識づけにつながる。だから、自分の国を考え、自分の国を語る声も力強くなる。
この雄弁さを私が実感したのは、ドイツと韓国での暮らしからだ。90年代後半のドイツ留学時代、私が通った学校には兵役代替服務をする「チビー」と呼ばれる若者が世話役として留学生の対応をしていた。物腰柔らかであるが、国家の話となると熱くなるのは、自分が今「国家」に従事しているという意識からだと、当時の学友だったオーストラリア人と話したのを記憶している。
ドイツ軍はその後、兵役もチビーもなくなり、軍人は移民で対応するなどの議論もありながら、2014年からは職業軍人と志願兵で構成してきたが、情勢に対する必要数が確保できずに「兵役」に回帰した。それは、あの時代に戻るのではないかという懸念が伴う。
◆対立する立場
ドイツ日刊紙ディー・ツァイトは昨年3月29日付の紙面で「パレスチナを承認すべきか」とのテーマで歴史学者とリベラル系の研究者の対談を掲載した。ホローコストの反省からドイツはイスラエルとの友好関係を深め、経済関係では切り離せないパートナーであり、国益からパレスチナは承認できないという立場と、倫理的・人道的な立場から承認を当然とする考えは真っ向から対立しかみ合わない。
国連加盟国193国のうち145国が承認しているのに対し、未承認は日本やドイツを含むG7(主要7か国)の国など48国あり、この2つがそれぞれの立場だからとお互いに干渉しないから、この激論はむしろ新鮮にも見える。
ホローコストの過去を持つドイツがパレスチナを考える際に、そしてロシアがウクライナを侵攻する際にプーチン大統領が「ナチ化阻止」を理由にしたのをドイツはどう考えるのだろうか。その答えのひとつが、現在の、排外主義を掲げる右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の伸張なのかもしれない。
◆ゲーテのドイツ
中東などからの移民や難民の流入は反移民の考えを強固にし、新たな分断も進んでいるようで、旧東ドイツ地域と旧西ドイツ地域の格差も是正されていない。閉そく感からの「新しい選択」はよい選択なのか不安になってくる。
「ゲーテのドイツ」という言葉がある。文豪ゲーテが人生の大半を過ごし、政治も担ったワイマールは、ドイツで初めて共和制を定めたワイマール憲法が制定された場所である。
当時、労働者の団結権まで認める先駆的な憲法は短命に終わりナチス・ドイツの時代に突入していくわけだが、戦後のドイツで、その憲法と土地が織りなすイメージや深い人間への愛を感じる作品を書いた文豪の功績から、リベラルなドイツを意味するのが「ゲーテのドイツ」だ。
ゲーテが党派色のない存在でもあるから成り立つ。おそらく、日本の多くの人がイメージするよきドイツは、「ゲーテのドイツ」であろう。平和なドイツだからこそ、日本でも「オクトーバーフェスト」でおいしくビールを飲めるのだ。「新しい兵役」から想像するドイツの未来が悲劇にならないよう、私たちも戦後を加害責任に向き合ってきた同士として考えなければならないだろう。
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