引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場「みんなの大学校」学長、博士(新聞学)。フェリス女学院大学准教授、文部科学省障害者生涯学習支援アドバイザー、一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆戦争を取引と錯覚
ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、シリア、スーダン――。戦争や戦況のニュースが日本や世界のメディアから絶え間なく伝えられるが、反戦歌はどこからも聞こえてこない。
今、ウクライナやパレスチナに思いを寄せる気持ちは多くの人が持っていると思われるが、街頭では表現されず、言葉をメロディーに乗せて歌い、共有することも忘れてしまったようだ。米国のトランプ政権は彼なりのやり方でロシアとウクライナの戦争を止めようとしているが、それは反戦歌が描く戦争の悲惨さを分かち合う世界観とは趣を異にするから、一般の人々が戦争を取引のように錯覚してしまうなど、戦争に対する世界の見方が変わってきたのかもしれない。
人が殺し合うことは変わらず、悲劇を大量生産する戦争を真正面から反対するメディアとして、今こそ反戦歌が必要なのだと思う。
◆あの場所から生まれた歌
ポップス音楽の発信地である米国には多くの反戦歌がある。そのうち「花はどこへいった」と「風に吹かれて」は最も有名な反戦歌の2つだ。
前者は、ピート・シーガーが発表したものだが、ピーター、ポール・アンド・マリーがカバーしたバージョンのほうが耳になじんでいるかもしれない。キングストン・トリオ、ジョニー・リヴァース、ジョーン・バエズもカバーしている。日本語訳詩バージョンでは、忌野清志郎、加藤登紀子、ダカーポ、ミスターチルドレンなど、多くの歌手が切ないメロディーに言葉を乗せている。オリジナルは、ベトナム戦争の反戦歌として広まっている。
歌詞の内容はロシアの作家、ミハイル・ショーロホフの大作「静かなるドン」から引用し、その曲調はウクライナ民謡を参考にしたとされる。今、戦禍にあるウクライナとロシアの国境近くで生まれた反戦歌である皮肉は、この曲を作った時に、想像していたのだろうか。
◆野に咲く花と戦場
「花はみんなどこへ行った。もう長い時が経つ。花は乙女たちが摘んでしまった。ああ、いつになったら分かるのだろう。乙女たちはどこへ行った。結婚した。若者たちはどこへ行った。軍服を着た。兵隊はどこへ行った。墓場へ行った」。
平易な英文は訳し方もいろいろと考えられ、その情景は広がり、解釈も自由だから想像力も膨らむ反戦歌だ。ロシアとウクライナの国境に近いドン川流域のコサックの村を舞台にした作品は、今の争いの場所の風景につながる。
日本語詞では歌手によって歌詞の違いがあり、忌野清志郎は「野に咲く花はどこへいった、遠い昔の物語。野に咲く花は少女の胸に抱かれていた」と歌う。野に咲く花と戦場と若者、その死が詩の中で展開されている。メロディーはもちろん、歌詞の意味も共有できるこの歌は、今こそ歌われるべきかもしれない。
◆今だから、歌ってほしい
「風に吹かれて」はノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの代表曲の1つで、本人曰(いわ)く反戦歌として作ったものではないが、米国の公民権運動やベトナム戦争反対の意味合いを帯びてしまったのは、時代の産物ともいえる。
「男はどれほどの道を歩いていかなければならないのだろうか。人として認めて貰(もら)うまでに。白い鳩はいくつの海を渡らなければいけないのだろうか。砂浜で眠るまでに。砲弾はどれほど飛ばし合わなくてはいけないのか。永遠になくなるまでに。友よ、その答えは風に吹かれているのだ。そう、答えは風に吹かれている」。
そして彼はユダヤ人でありユダヤ教徒。一時、キリスト教福音派に改宗したようだが、現在はユダヤ教に戻ったという。ノーベル文学賞の歌手は、イスラエルによるパレスチナの攻撃をどう考え、そして「風に吹かれて」を歌うのだろうか。今だから、反戦歌として、歌ってほしい。
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