п»ї タイ進出後、私はこうやって業務を改善した『ものづくり一徹本舗』第18回 | ニュース屋台村

タイ進出後、私はこうやって業務を改善した
『ものづくり一徹本舗』第18回

7月 18日 2014年 経済

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迎洋一郎(むかえ・よういちろう)

1941年生まれ、60年豊田合成入社。95年豊田合成タイランド社長。2000年一栄工業社長。現在中国、タイで工場コンサルタントを務める。自称「ものづくり研究家」。

豊田合成のタイ進出にあたって、トヨタ自動車やトヨタ車体の方々から「海外進出の意義や具体的な方法」について親切にご指導をいただいた。進出前の自分の浅はかな考えを反省し、教えていただいたことを肝に銘じて、進出後の5カ年計画を策定したことは前回述べた。今回は、その5カ年計画の中で具体的にどのような取り組みを行ったのか、実例をご紹介したい。

◆設備、機械の調達先をまず見直す

最初に、樹脂材射出成形機の例からお話ししたい。プラスチックなどの樹脂に形状を与える射出成形機については、当初計画では全て日本からの輸入を予定していた。しかし、樹脂製品には設計上複雑で、高機能を要求されるものと、ごくシンプルで機能も一般品質要求のものがある。

一般品質の要求品を作るための射出成形機は台湾、香港、韓国製で十分であることを確かめた。また、現地アフターサービス体制が整っている会社からの購入を条件に調査したところ、日本製品に比べ4~5割安いことが判明。この結果、小型機2台を香港から、中型機2台を韓国から導入したのである。

これらの成形機は元々日本の技術を導入しており、使用上なんら問題は無かった。韓国の成形機メーカーの社長は当時、日本のトヨタ系への納入第1号ということで大変好意的に対応してくれた。

次に、ブレーキホース編組機(以下ブレードマシン)についてお話したい。ブレーキホースはオイルブレーキの本体と車両部を連結する、安全上非常に重要な部品である(ブレーキホースの機能などについては、2014年1月10日付の「ニュース屋台村」の拙稿第8回をご参照ください)。ブレーキホースは、オイルを油圧で送る際のホースの膨張を防ぐなど安全を確保する上でゴム部分が三層構造となっており、その間に糸の編みこみをする。このゴムチューブ補強のための糸の編みこみを行う機械であるブレードマシンを現地調達しようと考えた。

そもそもブレーキホースをタイで生産することに対しては、日本本社の幹部は難色を示した。しかし、私自身が何年もブレーキホースの生産を担当してきており、安全な部品を生産することの怖さは誰よりも心得ていた。そうしたことを本社幹部に訴え、最終的にブレーキホースをタイで生産することが承認されたのである。ここで失敗は許されない。日本と比べて品質は同等、原価30パーセント低減を目標に掲げ、挑戦した。

こうした中でのブレードマシンの現地調達化である。安全な品質とコスト削減の両方を達成しなければならない。当時同じ工業団地内で自動車の溶接ラインを製作していたセントラル自動車の子会社であるオートCS社の大橋睦宣社長(当時)とは常日頃から懇意にさせていただいていた。大橋社長によると、オートCS社は受注型設備生産会社であり、仕事の?閑(はんかん)の差が大きいとのこと。仕事の閑暇(かんか)期に大橋社長に当社に来てもらい、日本から移送してきたブレードマシンを見てもらったところ、「これなら私が作ります」と答えてくれたのである。

早速、オートCS社にブレードマシンの製作を発注。出来上がってきたブレードマシンで試作した製品は、私の期待した以上の出来映えであった。これを本社と製品の納入先であるタイ国トヨタ自動車に報告。タイ国トヨタ自動車の村松吉明社長(当時、後にトヨタ自動車常勤監査役)はこのことを大変喜ばれ、当社の現地調達推進を積極的にバックアップしていただいた。

そして、2年経過したところでブレーキホース生産の100パーセント現地化を達成。コストは輸入品価格に対して40パーセントの引き下げに成功したのである。大橋社長は会社経営もさることながら、職人魂と職人育成に優れた人物で、タイでの出会いに今でも感謝している。

◆マニュアル作業の選択

次の事例は、樹脂射出成形機の製品取り出し工程である。日本では、この工程で自動取り出し機を使うことは既に常識になっていた。しかし、自動取り出し機は当時安いものでも100万円を超えていた。

日本本社の支援部隊は当然のように自動機設置を前提としていたが、現地にいる私たちは強く反対した。なぜならば、自動取り出し機を購入するための原資は本社からの借金である。借金は少ないほうが良いに決まっている。

さらに、タイのオペレーターたちは「樹脂原材料であるペレットの固形材料が機械から出て来るときにはどうして製品に変わっているのか」と不思議に思っている。自動取り出し機を使うとオペレーターたちが生産現場に近づく機会が減り、生産技術に対する知識が身につかない。私たちはトヨタ自動車の伊原保守調達部長(当時)の教えを肝に銘じていたので、当面自動取り出し機の導入見送りを決定したのである。

操業2年目になると、受注品目も拡大し、樹脂部品も塗装を自前で行う必要が出てきた。このため塗装設備一式を設置することになった。当時日本で2億円、北米で2.5億円かかる設備である。

日本の生産技術部門はそれ相当の腹づもりで計画していたが、売り上げがまだ数十億円の会社にはどう考えても不釣り合いな巨大投資である。塗装設備に詳しい当社の栃谷奉忠副社長(当時)に「5千万円ぐらいで何とかならないか」と相談したところ、「自動搬送、自動塗装をやめ、設備メーカーも現地で探せば7千万円ぐらいに抑えられるが、不良手直しが30パーセントぐらい発生する見込みで、これを覚悟出来ますか?」との回答であった。

塗装作業では当時、日本でも10パーセント前後の手直しがあった。こうした手直しもローカルスタッフたちの勉強の場と割り切り、作業改善を順次進めるためのスペースは少し余裕を取るということで本社宛てに計画の申し入れをしたのである。

この件は日本本社で大きな問題になったようで、堀篭登喜雄社長(当時)や海外事業担当役員が私の真意を確かめるために入れ替わりタイに来られた。しかし、私の固い決意を知り、最終的に本社も私の案を承認してくれた。

ここに紹介した例以外にも、私たちは多くの作業の見直しを行った。こうした積み重ねのおかげで投資金額は当初計画より大幅に下がり、当初計画では5年で赤字解消としていたものが、3年で赤字解消になるレベルになったのである。

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