引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
◆朝日新聞の反省
毎年訪れる終戦の夏、敗戦の夏。夏の新聞紙上がにぎわってきた。戦後70年を前に風化を防ごうというメディア、そして市民の思いと、戦後レジームからの脱却を目指す政権とその周辺環境の、二つのギャップに揺れ動きながらの、今年の夏。それはいつもと違う風景を見せている。
8月5日、朝日新聞が1面で「慰安婦問題の本質 直視を」との論説を展開するとともに、朝日新聞のこれまでの慰安婦報道を検証した特集を掲載した。1990年代初めに、日本軍の関与のもと、強制連行させられた従軍慰安婦に関する証言が、研究が進んでいないことで結果的に混乱を招いたことなどが反省されている。
私が毎日新聞記者として、日本に徴用された韓国人挺身隊員の直接の証言を聞きたいと、初めて韓国に行ったのが96年2月だった。当時もまだ慰安婦と工場などで徴用された女子挺身隊との区別があいまいな時代。当時、工作機械メーカー「不二越」(本社・富山市)が戦時中に徴用した挺身隊員らから未払い賃金と慰謝料を求められ、富山地裁での判決を控えての取材だった。
国が日韓国交正常化を理由に国家への賠償請求権は消滅しているという見解があるため、裁判では初めて民間企業に賠償責任があるかが問われ、全国から注目を集めた。結果は、地裁で原告敗訴の後、両者は和解している。
◆そして、私たちの反省
私は韓国に馴染みがあったわけではない。ただ真実に迫りたいという一心で休みをかき集め、取材費も自分で賄っての取材だった。学生時代の友人の韓国人に通訳を頼み、ソウルからバスや乗用車など悪路を走り、向かった韓国の片田舎。そんな各地でハラボジ(おじいさん)、ハルモニ(おばあさん)に一日中向き合い、話を聴いたあの日々。伝統家屋に差し込んだ夕日が印象的だった日々。そこで語られた彼、彼女の戦時中の日本での思い出は、苦しい中にも楽しみもあり、悔しさもあり、うれしさもある、それぞれの青春だった、と言える。
お世話になった日本人の同僚に会いたい、国民学校の恩師に会いたい、という個人への親しみを語る表情には憎悪はない。ただ、労働自体は「きつかった」と話し、戦後の混乱の中で賃金をもらえないまま帰国したことへの後悔は、青春への侮辱として、企業と謝罪を拒む日本政府を強くののしった。
この二面性は表裏であり、その後、めぐりめぐって共同通信のソウル特派員になった私が、この表裏の構造に気付いてからは、韓国を理解するのに楽になった。この構造については、また別の機会に論じるとして、今回は朝日新聞をめぐる報道への考えを示したい。
戦時中の朝鮮半島めぐり、私もそれなりに報道をしてきた立場として、朝日新聞が混乱の中で、戦時中の人権侵害を暴き、メディアの正義を貫こうとした姿勢は、私もその一部にいた人間として評価している。しかし、今回の報道で気がかりなのは、あまりにも防戦で説明に終始し、最も重要である、われわれはどのような時代にあって、何を伝えたいか、という視点である。
国家の関与の有無や事実誤認の混乱は理解できた。しかし、私たちが考える出発点は、そこに明らかに人権が蹂躙(じゅうりん)されたという事実のみである。論説には、そのことが触れているが、残念ながら私たちはそれに連なる行動を怠ってきたのである。
◆人権蹂躙を出発点に
人権が蹂躙されること、女性が性の道具として権力に支配される。それは日韓の間であったし、いまも世界中で混乱の中にある各地で起こっている出来事でもある。
日本のメディアはその同様に「起こった」「起こっている」事例に鈍感すぎる。平和憲法を守れなかった勢力も、朝日新聞が防戦となったのも、正義を貫く姿勢が欠如していた。これは自戒を込めての強い反省でもある。2年前のこと、建国間もない南スーダンに行った際に、地元の新聞報道で、私がいる場所から数十キロの地点で部族が襲撃され、そこの女子学生が蹂躙されたという記事を見た時、内戦が激化する中で私にはその場所に行く手だてもなく、ただぼう然と無力感に打ちひしがれていたのを思い出す。
韓国との論争、日本国内での立場の違いからの対立は続いたままだが、国家と個人を賢く切り離す知恵が必要である。韓国人は日本人より感情が先立つ質の国であること、国家という意識が日本よりも強く、国会への責任追及のハードルが低いことなどを考慮して、われわれの寛容さを有効利用しなければならない時に来ている。
その基本となるのは、大局的な平和思想である。この夏。平和とは何かをそれぞれが考える機会が、風物詩で終わらせるのではなく、もっと実態と現代に即したやり方を模索しなければならない。そして朝日新聞は再度立て直して平和報道を貫いてほしいし、私も、平和を希求する一市民として、その姿勢を誓おうと思う。
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