佐藤剛己(さとう・つよき)
企業買収や提携時の相手先デューデリジェンス、深掘りのビジネス情報、政治リスク分析などを提供するHummingbird Advisories 代表。シンガポールと東京を拠点にアセアン、オセアニアと日本をカバーする。グローバルの同業者50か国400社・個人が会員の米国Intellenet日本代表。新聞記者として9年、米調査系コンサルティング会社で11年働いた後、起業。
◆ジャンケットオペレーター
前回、IR(カジノ)法案成立に際して日本政府が取り組まねばならないのは、まずは世論の理解を得るための情報開示と議論促進だが、ネタが出てくる様子はまだないと指摘した。特に、ジャンケット(高利貸し)規制に関する議論は、まだほとんどない。
ジャンケット行為は、マネーロンダリング(資金洗浄)の温床になることが、しばしば指摘されている。オペレーターは投資家に通常1~2%の利回りを約束し、その資金でハイローラー(高額を賭ける客)に掛け金の元手を貸し付ける、またはカジノまでの専用ジェット機調達などに充てる。
ちなみにシンガポールのセントーサ・カジノで公認されている3人はいずれも中華系マレーシア人。マリーナ・ベイに面した総合リゾートホテル、マリーナ・ベイ・サンズでは公認されていない。代わりに、日本人を含めた違法ジャンケットオペレーターが暗躍しているといわれる。
オペレーターを巡るトラブルも後を絶たず、今年5月には投資家から13億米ドル相当を預かっていたマカオ拠点の人物が失踪(しっそう)し、関係者の間で話題になった。
ジャンケットオペレーターを禁止すればいいかというと、一概にそうとも言えない。彼らが連れてくるハイローラーは、売上の相当部分をたたき出してくれるからである。マカオの場合、売上の概ね60~65%がハイローラーからのもので、そのほとんどが大陸中国人によるものとされる。
◆カジノビジネス健全性への施策
恐らく、日本で最後まで置き去りにされそうな議論が、顧客を含めて特に海外から来るカジノ関係者の「健全性」をどう担保するかに関するものだろう。ラスベガスに端を発した現代カジノ業界の繁栄があるのは、この健全性確保のためにたゆまぬ努力を続けてきたからだ、というのが一般的な評価だ。
カジノには多くの関係者が出入りする。シンガポールのCasino Regulatory Authority(CRA、カジノ規制機構)はThe Casino Control Act(カジノ管理法)の下、カジノ事業者やその従業員、ジャンケットオペレーター、出入り業者ら、あらゆる関係者のバックグラウンド、銀行口座、ビジネスコネクションなどを調査(捜査)する強力な権限を持っている。シンガポール警察からも出向者がいるInvestigations DivisionとLicensing Divisionが主要な担い手だ。
対する日本のIR法案は第10条3項で暴力団排除を、4項では施設での犯罪予防、通報体制の構築を要請している。しかし例えば、同じように暴力団排除を求める証券市場は今どうか。東証など証券市場会社は実効的な暴力団排除の体制モデルを作れず、民間企業にかなりの責任を転嫁している。頼りのはずの警察当局もモデル構築に必ずしも協力的ではない。それは警察自身より、永田町が反対しているからだという声も根強い。
そもそも日本のビジネス界では「背景調査」「属性調査」への抵抗が根強く、新規取引先の選定や異文化接触のビジネスに必要な「Know your client」のプロセスが根付いていない。まして相手が外国人(企業)となると、調査のための情報収集ノウハウが一般的になったというにはほど遠い。
悪意を持った海外事業者にとって、スクリーニングのゆるい日本はうま味のある市場だ。だが、犯罪と戦いながら長年コンプライアンス体制を築き上げてきた海外事業者にとっては、実は多くの落とし穴が隠されている市場でもある。
◆シンガポールで議論されたギャンブル依存症
前回第3回で紹介した論文IPS Forum on The Casino Proposalや、当時の政府案には、ギャンブル依存にも多くの考察がなされている。例えば……
- カジノを有する国民のギャンブル依存症(レポートでは”Pathological and problem (P&P) gamblers”)比率は国によって1~8%。例えば米国は3.44%、オーストラリア5%〈日本では最近、厚生労働省が約5%という研究結果を発表した)
- シンガポールの罹患(りかん)率を5%とすると、依存症患者数は3万8319人(2005年当時のシンガポールの国民人口比から算定)
- 罹患患者家族への影響は、一家族当たり概ね8~15人。8人としてもシンガポールで29万400人に依存症の影響が出る
- 患者1人が経済に与える影響は、米国では年間1万3586米ドル(破産、生産性減退、自殺、社会保障費など)の損失と試算される
- シンガポールの場合、治療費だけで5千シンガポールドルと推計される
- カジノ施設から50マイル(約80キロ、シンガポールがすっぽり入る)圏内居住者のギャンブル依存症罹患率は、それ以外の地区居住者の2倍(1999年のUS Matompa; National Gambling Impact Study Commission報告)
The Casino Control Act(カジノ管理法)は様々な議論が起こることを前提に、ギャンブル依存症対策を柱の一つに据え、05年の時点でいくつかの施策を具体化している。国民へ高額の入場料を課す(1回100シンガポールドル)ことや、ジャンケットオペレーターによる貸金規制などに加え、日本も参考にできると思われるのは、個人の入場拒否規定である。
同法の下、個人にカジノ排除(exclusion order)を命じることができる官庁がシンガポールには3つある。カジノ事業の元締めであるCasino Regulatory Authority(CRA、カジノ規制機構)、シンガポール警察トップのThe Commissioner of Police、The National Council on Problem Gambling(NCPG)である。
目的は、低所得や依存症既往などカジノ利用が望ましくないと思われる人を、さらなるギャンブル被害から救うことにある。P&P(pathological & problem、病理的症状を発症させるほど深刻な)ギャンブラーの家族が当人のカジノ排除命令を申請することも可能。また、本人が自己申請する道も開かれている。
政府提案の当初、シンガポールには依存症専門家が15人しかいなかったとされる。当時から島外カジノやサッカー賭博など、ギャンブル依存の問題は表面化していたが、社会安全保障上の対策面では遅れていた。が、その後多くの態勢が整い、日本でいう心療内科関係のクリニックが雨後のタケノコのように開業した。クリニックだけではなく、例えば自分のコンピューターからポーカーサイトにアクセスできないよう、このサイトを自動でブロックしてくれるITサービスもある(9月8日、シンガポール政府はネット賭博を原則禁止する法案を提出した)。
カジノ開業当初にあった島内の住宅地、空港とカジノを結ぶシャトルバスは、批判を受けて開業したその年に廃止。当初は認可していなかったジャンケットも、違法オペレーターの跋扈(ばっこ)をきっかけに試験的にセントーサ島では認可するなど、より健全な経営を目指した努力を続けている。
カジノの負の側面も少しずつ表に出ている。例えば自己破産申請件数を見ると、10年には2202件だったのが、11年は2314件、12年3019件、13年2824件と、高止まり傾向にある。合わせるように、ローンシャーク(貸し金業の取り立て)による凶悪事案も増えている。カジノとどの程度関係があるかは不明だが、無関係とは言えまい。
◆議論のデータが出てこない日本
現在の日本はまだ、カジノ推進を図る基本法案の段階にあり、本稿で取り上げたような事項はまだ先の議論の話、と関係者間では捉えられている。しかし、シンガポール政府がカジノ建設を提案したのが04年11月、2つのカジノが開業したのが10年2月(セントーサ島)と4月(マリーナ・ベイ・サンズ)。今の日本が、シンガポールと同じステージにあることを考えると、日本側の議論の立ち後れが目立つ。
「十分な議論を」というかけ声は、日本では往々にして反対派による時間稼ぎの常とう句なので筆者は好まないが、それでも、政府は国民への「カードの出し方」が稚拙だと言わざるを得ない。カードを出してより良い対策を講じた方が、結果いいものが作れると思うのだが、そう考えるのはナイーブだろうか。
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