引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
◆異物をねじ伏せる
韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領に関するコラムが名誉毀損(きそん)に当たるとしてソウル中央地検に事情聴取された産経新聞の加藤達也ソウル支局長の問題は、国際報道に携わった経験がある人ならば、誰もが韓国政府の行動が不可解で、恣意(しい)的な国家権力の運用を露呈したと考えるに違いない。
加藤支局長のコラムは、旅客船沈没事故の際の朴大統領の居所や会見した人物について韓国国民の間でうわさになっていることを報じた韓国紙の引用に過ぎず、これが犯罪に当たるならば、特派員が地元紙を翻訳し、日本に伝える仕事は成り立たなくなってしまう。民主国家として言論の自由を保障するのが、欧米や日本、そして韓国が合唱する共通の価値観であるはずだが、時に韓国は力で異物をねじ伏せようとする瞬間がある。
このあたりの行動は、中国と北朝鮮という独裁機能の国家と、日本という民主国家の間に位置し、独裁国家と対峙(たいじ)し米国の庇護(ひご)を受けている状況が日頃のひずみとして積み重ねられ、時に爆発するような印象がある。
心理学の視点で見れば、韓国は根源的なエネルギーとして、意思決定のスピードを重視したい欲求があるものの、なかなかそれがうまくいかない時にイライラが起こる。そして、攻撃をしてくる、という構図である。このあたりは綿密に言葉を積み上げて、別の機会で展開したい。
◆おとがめなしの私
産経新聞に話を戻せば、日韓関係において韓国に不利な記事を書き続ける産経新聞を「どうにかしたい」という長年のイライラが爆発したのだろう。
その傾向は前々政権である盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代も顕著だった。いわゆる「左派政権」時代、韓国の専門家として著名な産経新聞の黒田勝弘支局長もやり玉に挙げられ、在任中に長年務めていた大学の講義について就労違反だとして罰金刑を命じられている。
文藝春秋の2014年10月号に「韓国検察の無法を問う 別件逮捕で国外追放されかかった私」と題した記事で、そのいきさつが詳しく書かれているが、当時共同通信ソウル特派員だった私も同じ時期に韓国外国語大学で授業を持っており、黒田氏への捜査の前に、付き合いのある韓国の情報機関の方から「大学の職を今すぐやめてくれ。黒田さんを挙げなければならない」とあからさまに言われ、ちょうど大学のターム(学期)の間だったので、講義を更新しないことにし、結局、黒田氏は裁かれ、私におとがめはなかった。
海外メディアの言論を封殺しようとの意図で権力を動かすのは、その発想として現在イラクなどで展開するイスラム過激組織「イスラム国」が欧米メディア記者を殺害するのと本質としては変わらないことを、国家は気づくべきである。
言葉を封殺することのおぞましさへの想像力こそが民主主義を育むのだと信じるから、メディアの人間は自由に報道するのだと思う。そう言いながらも、現代において、最前線で報じる人のうち、その自覚を持っている人がどれだけいるか不安でもあるが。
◆命を保障する外交
私が記者を辞めて経営コンサルタントとして働きながら東日本大震災のボランティア活動を活発化させ、その勢いでアフリカ支援に乗り出したのが震災から約1年後だった。
2012年3月に建国間もない南スーダンに入り、政府のキーパーソンであるベンジャミン情報相(当時、その後外相)と会談し、日本からスポーツ指導の支援をする枠組みをつくることを話し合った。その直後、すっかり安心した私は首都ジュバで気分良く写真を撮っていたところに、屈強な男2人が私の両脇を抱え、私は近くの粗末なコンクリート造りの建物に押し込められた。
内戦中の南スーダンだから、写真を撮ること自体、場合によってはスパイ行為にあたるため、秘密警察に連行されてしまったのである。木製の椅子と机だけが置かれた粗末な「取り調べ室」で私は「ちょっと待ってろ」と言われたまま、ずいぶんと待たされた。その間、考えたことが、国家はいかようにでも人を抹殺できるということだった。
それは時に外国人に向けられる。国家を成り立たせている「国民」に対し、外国人は異物である。その国家や国民と友好関係を持つことが異物を敵視しない条件であるが、これは自然に成り立つものではなく、外交によって成し得る人為的な努力の積み重ねなのである。それが、私たちが自由に地球の上を行き来できることにつながる。
声高に自国の主張を押し通そうとする姿勢は、その地球を自由に行き来し、地球の多くの場所で命の保障がされることの否定につながってしまう。信頼関係を築くことこそが、外交の基本。日本にはこの自覚の再確認が必要な時期のような気がする。
先ほどの南スーダンの顛末(てんまつ)だが、私の支援に向けた話し合いをするため、という入国理由の説明に対しては、警察のような顔をした男はニヤつくだけで、信じてもらえなかったものの、没収されたデジタルカメラの中に、ベンジャミン情報相との記念撮影の画像があり、急に「今日のことはなかったことにしてくれ」と解放してくれた。フィルムからデジタルに変わって写真に「詩心がなくなってしまった」と嘆きの対象となっていたデジカメに、この時ばかりは感謝したのである。
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