п»ї 吉田調書 記者処分という誤り―朝日新聞、出直し体制の死角『山田厚史の地球は丸くない』第35回 | ニュース屋台村

吉田調書 記者処分という誤り―朝日新聞、出直し体制の死角
『山田厚史の地球は丸くない』第35回

12月 08日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

社長交代で出直しへと動き出した朝日新聞だが、「ジャーナリズムとして致命的な失敗を犯した」という自覚が新体制に希薄だ。慰安婦問題ではない。福島第一原発事故に絡む「吉田調書」報道だ。記事を取り消し、記者の処分を行ったことは間違いだった。

「間違えたのは、あの記事だったのでは」と思っている人は少なくないだろう。「所長命令に違反、原発撤退」という誤解を招きかねない見出しが付いていた。だが記事の内容に誤りがなかったことは、その後の調査で明らかになった。それがなぜ「記事を取り消すことが妥当」という第三者委員会(報道と人権員会=PRC)の結論になったのか。この過程ににじむ朝日新聞の組織的な弱さを克服しない限り、再生は本物にならない。

◆「木村院政」の挫折

朝日新聞社は5日、臨時株主総会を開き、木村伊量(きむら・ただかず)社長が退任。労務・管理担当の取締役渡辺雅隆(わたなべ・まさたか)氏が社長に就任した。販売出身の飯田真也(いいだ・しんや)上席執行役員が会長になり、二頭体制で再出発を図る。ポイントは木村前社長が予定されていた顧問にならなかったことだ。

「自分が選んだ渡辺社長を後ろから操ろうという『木村院政』が挫折した」。事情を知る関係者は指摘する。

9月12日の記者会見で「めどが付いたら社長を辞める」と表明した木村社長だが、その直後から取締役あるいは執行役員で留任するという意欲を示していた。常務会で反対する声が上がり、妥協の産物として「特別顧問」に決まった。

「朝日新聞の再生という大事な課題が、記者会見後は『木村問題』になってしまい、上層部で権力闘争が始まった」と社内で言われていた。影響力を残そうとする木村前社長に、OB組織である旧友会や労組まで「退陣要求」を突き付ける事態となり、11月末には「特別顧問」を「顧問」に変更するなど、不透明は動きが舞台裏で続いていた。結局は「引責辞任した社長が顧問として経営に関与するのはおかしい」という正論が通った形で収まった。

渡辺社長は大阪社会部出身で、役員として影は薄く、社長になるとは本人も思ってもいなかったのだろう。退任する木村社長から突然の指名を受けたものの、後ろ盾となる木村氏が排除されたことで、ポテンヒットのような形で重責を背負い込んだ。手腕は未知数だが、傷ついた信頼を再生できるか「無欲の勝利」を期待したい。

◆取材記者を「罪人」に仕立てた「致命的な誤り」

「慰安婦報道の検証」から始まった騒動は、木村社長の暴走ともいえるものだった。「従軍慰安婦の強制連行を認めた『吉田証言』の記事を取り消すことは『官邸との手打ち』と言われていた」と指摘する記者もいる。

政治部出身の木村社長は安倍首相と夕食を共にするなど単独行動が目立ち、記事取り消しも編集局を超えた指揮系統で秘密裡(り)に進められた。「池上コラム掲載拒否」もその過程で起きた。不手際が重なり「辞任やむなし」との状況で、福島第一原発事故に絡む朝日新聞のスクープ「吉田証言」への批判に便乗した。

発電所員の9割が「所長命令に違反 原発撤退」と打った記事を誤りと認め社長を辞任する、という「すり替え」が行われた。慰安婦で右翼に屈するわけにはいかない、池上彰氏のコラム不掲載を自分の責任と認めたくない。そんな事情から、自らの関与が薄い「原発問題」に辞任の口実をなすりつけた。その結果、懸命の取材で記事を書いた記者が「罪人」に仕立てあげられた。これが「致命的な誤り」である。

9月12日の謝罪の記者会見で、杉浦信之編集担当は「事実に誤りがあった」とした。命令が十分伝わっていなかったんで、所員は背いたことにはならない、したがって記事は誤り、違反した所員に話を聞いていないのは取材不足との見解を示した。

記事は2014年の日本新聞協会の協会賞候補に朝日新聞が推薦した特ダネだった。推薦に当たり社内で審査・吟味されたはずなのに「誤報」としてしまった。木村社長が辞めるとまで世間に言ってしまった。何がなんでも「誤報」にしなければならない、という路線が木村社長の事情で敷かれたのである。

◆都合のいい証言だけを採用したPRC

第三者委員会である報道と人権委員会(PRC)は、当事者から事情聴取をしながら、都合のいい証言だけを採用した。「所長命令に違反したと評価できる事実はなく、裏付け取材もされていない」「ストーリー仕立ての記述は、取材記者の推測に過ぎず、吉田氏が述べている内容と相違している」との見解を示し、記事削除は妥当とした。

この結論なら、筆者に責任がある。木村社長は「関係者の処分を行う」と言明、どんな処分がなされるかメディア関係者や反原発の運動を支援する弁護士なども関心を寄せていた。

11月28日公表された処分で記事を書いた2人の記者は減給。記事に手を加えたデスクが停職2週間、記事を出稿した特別報道部長が1カ月の停職となった。

「デスクや部長が重い処分になったのは、見出しや文中の表現を強くした編集サイドに問題があった、という判断です」。事情を知る関係者はいう。

PRCの報告書に対しては、弁護士グループが反論をまとめている。最大の焦点は、「第一発電所内で、線量の低いところで待機せよ」という吉田所長の命令は、「あいまいな指示」だったのか、という点だ。

PRCは「あいまいな指示」だったので所員に伝わらず、大勢が第二発電所に退避したので「命令違反は事実誤認」と判断した。ところが、記者らの取材ではテレビ会議で伝えられた吉田所長の指示は、東電側の記録や保安庁への通報に具体的に残っていた。

記者会見でも東電は「所員は第一発電所の線量の低いところに退避した」と命令通りの内容で発表している。「命令」と呼ぶかは言葉の問題だが、吉田所長は現場の事故対応の最高責任者で指示・命令はテレビ会議を通じてなされている。テレビ会議を通じて吉田所長の指示があった事実は明確になっている。しかし、命令系統が混乱して現場に十分伝わらなかった、という記事の骨格は否定しようのない事実だ。

「所長命令に違反」という見出しが妥当か、となると意見はいろいろある。しかし、所員の9割が指示に反して、第二発電所に退避したことは事実であることは間違いはない。記事には「逃げた」などと書かれていない。記事を取り消し、記者を処分するほども誤りなのか。

「最初に書かれた記事には違反とか撤退という表現さえなかった。デスクが手を入れ表現は強まった、というのが真相のようです」。編集局幹部はいう。PRCの報告書こそ「歪曲(わいきょく)」ではないのか。

◆報道の委縮をどう乗り越えるか

憲法学者や元最高裁判事、元NHK副会長ら肩書は立派な委員の合議の結果が報告書の文面とされるが、下書きをしたのは朝日新聞側の事務局だ。紙面で批判する官庁の審議会と似た「腹話術」がここにもあるのかもしれない。

ところが、社内処分は記者の取材不足や誤報にふれていない。「記事の印象に問題」にとどめ、デスク・部長の責任を重視した。「誤報」として責任を認めたPRC報告書は外向けの対応ということなのか。

こうしたダブルスタンダードは、木村社長の誤りから始まった。自らに降りかかってくる責任を回避するため、前線で頑張る記者を生贄(いけにえ)にしたからだ。

権力をもった取材対象に切り込めば、返り血を浴びる。骨を切ろうとすれば肉が切られる。それが取材の最前線だ。世論対策を重視する安倍政権は、朝日新聞への監視・牽制(けんせい)を強める。そんな中で意欲的な記者を裏切る行為はジャーナリズムの「死に至る病」だろう。

朝日新聞の新体制は、報道の委縮をどう乗り越えるか。その姿勢が問われている。

コメント

コメントを残す