小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
私は1998年4月に東海銀行支店長として初めてタイに赴任した。2003年4月にバンコク銀行に転職し、タイでの銀行員生活はもうすぐ都合17年になる。97年7月のアジア経済危機により瀕死(ひんし)の状態に陥ったタイでの業務再建のため、バンコク支店長として派遣されてきたが、それ以降も06年と13年の2度にわたる軍事クーデター、08年のリーマン・ショック、12年の洪水被害、更には東日本大震災による影響など多くの出来事に遭遇してきた。
17年になろうとするタイでの銀行員生活で交換した名刺の数は1万5千人に上る。見学した工場も600社を超え、訪問させていただいた会社の数は間違いなく1千社を超えているだろう。今回は、仕事を通じて知遇を得た経営者の方々から学ばせていただいたことについて紹介したい。
◆タイでの17年で学んだこと
タイに勤務しての私の最大の財産は、多くのすばらしい方々にお会いできたことであろう。こうした方々も異国の地に来て言葉もわからず、人脈も無い中で、ほぼゼロからの出発と言って良い。更に前述の如く、クーデターや金融危機などの環境激変に見舞われながら、こうした経験を自らの成長の肥やしとし、タイ現地法人の立派な経営者になられた方々を多数見てきた。
当地の日系企業のトップである社長の方々だけではない。副社長や部長の中にも責任を持って部下を指導し、会社を支えられた人が数多くおられる。こうした方々からお話を伺う時間は私にとって至福の時であった。
私はタイに赴任して、ほとんど初めてのことだが日系企業との取引を経験した。タイに赴任した当初は顧客訪問の際、相手の方々と何の話をして良いのか不安でいっぱいであった。なにせ営業経験はゼロだし、本来の性格は人見知りなのである(この話をするとほとんどの人は笑って吹き出されるが……)。というわけで、タイに来てから話題作りのために、タイの歴史や文化を勉強し、ゴルフ理論の本も沢山読んで、お客様との話に困らないように準備をした。
ところが1年も経たないうちに気がついたことがあった。ほとんどのお客様は自社の製品や工場のことなど話し始めると、饒舌(じょうぜつ)になられるのである。そのことに気づいてからは、お客様の土俵の上に乗って話をすることに努めるようにした。
知ったかぶりをせず、お客様の会社のことを教えていただくのである。すると大半のお客様は自分の会社のことだけでなく、現在行っている会社のプロジェクトや直面している問題点などについても、素直に話していただけたのである。
こうして多くの方々から色々のことを教えていただいたわけであるが、業績の良い会社の経営者の方々には共通点があると思い当たった。経営者といっても大会社の大社長の話をするわけではない。タイの子会社を立派な業績に導いていった「隠れた名経営者の仕事のやり方」や「経営者魂」についてである。
◆名経営者に共通する要件
まず名経営者の要件の第1は、「単純で明確な目標」が会社の方針として設定され、その軸がぶれないことである。業績の良い会社に行くと必ずといって良いほど、社内に「会社の方針」「5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)」「係別目標と実績」「改善目標」などの貼り紙が整然と掲示されている。
1枚ずつの貼り紙は決して難しいことをいっているわけではなく、会社の目標が簡潔に社員全員に徹底されている。経営者の方と話をしても、会社をどうしていきたいかということを熱く語られる。これに対して、業績の悪い会社はこうした仕組みがないか、もしくは掲示物がほこりまみれになり、誰も注目しなくなっているのである。
次に経営者として重要なことは、「人事施策を通しての部下の掌握」である。「会社の最大の財産は人である」というのは言い古された言葉であるが、真剣に部下のことを思いやる人はそれほど多くはいない。タイ人に対しても熱意を持って教育し、実績を上げさせ、適正な評価をして処遇していく、という当たり前のことが出来ない人も多い。
人種は違ってもタイ人も心を持った人間である。こちらが誠意を持って接していけば、タイ人も粋(いき)に感じて仕事をしてくれる。タイでは餓死も凍死もないから、タイ人たちには「生きることへの恐怖心から仕事をする」という動機付けはまずない。
タイ人に対しては日本人以上に前向きなモチベーションを与える必要がある。こうした会社のタイ人は生き生きとして仕事をしているし、私が会社を訪問すると皆があいさつをする。また工場も整然としていて清潔であった。タイ人の中に飛び込み、タイ人の考え方を尊重しない人に良い経営者はいなかった。
経営者として3番目に重要な仕事は、「自己の存在基盤の維持・確保」である。タイの日系会社経営者にとってこの存在基盤とは、本社との関係である。タイの会社運営の方法は日本のそれと若干異なる。また遠く離れていることから、日本サイドから見れば不安や不信に思うことも出てくる。
こんな時にしっかりと日本本社との関係を仕切れる人は、タイの会社も発展させることが出来た。タイ人従業員もこうした経営者を頼りにしているのである。日本本社から信頼を勝ち取るためには、タイ子会社の業績であったり、本社の権力者との個人的な人間関係だったりするなど種々な要因がある。
しかし日本本社との関係をしっかり仕切れない人は、残念ながらタイ人がついてこない。挙げ句の果てにタイ人が日本に直接電話をして派遣されている日本人社員の悪口を言ったりすることもある。この「自己の存在基盤の維持・確保」を日本の本社の経営者に当てはめると、株主や役員との関係に置き換えることが出来るだろう。これをおろそかにするとお家騒動が起きるのである。
経営者が4番目に力を入れなくてはいけないことが、「営業支援・営業管理」である。一般的には「経営管理」ということになるのかも知れないが、この言葉では管理のニュアンスが前面にでる。経営者としては常に顧客志向である必要があり、あえて「営業支援・営業管理」という言葉を使いたい。
この具体的な仕事として、まず週1回のフォローアップ会議が挙げられる。日常業務の進ちょく状況を把握し、問題になりそうなことに早目の手立てを施すとともに、伝達事項を連絡する場である。この会議はそれほど長い時間をかける必要はない。
二つ目にやらなくてはいけないことは、年2回もしくは4回のプロジェクト・フォローアップ会議である。部門別の短期・中長期プロジェクトの進ちょく状況をじっくりと検討するものである。会社全体の方針は経営者が策定するものであるが、その全体方針に沿って各部門がしっかりとした方向性を持ち、かつ着実に改善を図っているかをチェックするのである。
三つ目は、重要な取引先及びサプライヤーの社長との人間関係構築である。業績の良い会社の経営者は自ら営業の前面にたたれ、率先して顧客訪問をしていた記憶がある。もちろん経営者として限られた時間内で率先営業をするためには、自らの肩書につり合う人達との関係構築にまずは努めるべきである。
営業支援の重要項目として最後に挙げたいのは、トラブル処理である。「トラブルは最大のビジネスチャンスである」というのが私の常日頃からの口癖であるが、トラブルを前向きに捉え、経営者自らがトラブル解決に向かうことは極めて重要である。経営者トップが率先して謝罪すれば解決は早くなることが多い。またこうした姿勢をとることにより、部下からの信頼も厚くなる。
経営者としてやらなくてはいけない5番目の仕事は、IRやPRなどを通じた「社会貢献及び社会とのつながりの確保」であろう。会社業績がいくら良くても、社会から孤立してしまったら存続も出来ない。社会が批判されないような配慮も経営者として重要な仕事である。
◆会社は株主だけのためにあるのではない
ここで私は一つの問題提起をしたい。「会社は一体誰のためのものか?」ということである。80年代後半から欧米のコンサルタントにそそのかされ、日本ではすっかり「会社は株主のためにある」ということが通説になってしまったような気がする。
しかし私は、この説に大反対である。タイの日系企業子会社を預かる日本人経営者の行動を見ていると、株主である親会社の方ばかりを見ている人には良い業績など上げられないのである。良き経営者の行動を見ていると、
1.明確な経営方針
2.社員への人事諸施策
3.株主対応
4.顧客対応
5.社会との関わり
以上、五つのことをバランス良く対応している。すなわち会社は「社員」「株主」「顧客」「社会」のすべてをステークホルダー(利益享受者)として存在するべきなどである。
近年、日本の会社の中には「社員」「顧客」「社会」をないがしろにする会社が増えているような気がする。タイで17年にわたり多くの日本の会社の趨勢(すうせい)を身近で見てきた私の経験からは、「株主資本主義」を金科玉条とする会社に永続的な成功はないと思われるのである。
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