引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。
◆「怖い」感覚
仏新聞社「シャルリー・エブド」へのイスラム教過激派によるテロ事件以降、ベルギーでの過激派の一斉摘発など波紋は世界に広がり、悲しみの感情は怒り、憎悪そして新たな戦いへと結びつきそうで、怖い。これは9・11米中枢同時テロから発するその後の連戦を想像すれば簡単に、その麻痺(まひ)した感覚で殺戮(さつりく)が展開されるという行方を案じることが出来るから、警告を発する識者も多い。
それでも、異質な存在を力で抑えつけよう、または排除しようという傾向に歯止めがかけられないという悲観的な見方も多い。社会を安定化させようという政治システム自体が間違った方向へ作動してしまいそうだという嘆かわしい結論に行きついてしまう情勢である。
日本から見れば、欧州と中東の出来事と遠く眺める人も少なくないが、この異質なものを排除する傾向は、多様化社会が進む先進国で共通の課題である。そして日本の巷(ちまた)の風景でもそれは見て取れるし、今回のテロ事件をきっかけにその巷の感覚は、欧州の憎悪とも結びつきそうで、やはり怖い。
つい先日のこと。東京の百貨店で人気のコロッケを買った客が女性店員から小銭のお釣りを受け損ねて、小銭がフロアにチリンチリンとばらまかれたような格好になった。女性店員はもちろん、コロッケを求めて並んでいた客は一斉に腰をかがめて、その散り散りになっていく小銭を受け止め、拾い集める。もちろん、持ち主に返すためである。
そこで、放った女性店員の言葉に一同、大きな笑い声に包まれた。「中国だったら、大変だよ。大パニックよ!」。中国・上海市の観光名所「外灘」で元旦のカウントダウンで集まった群衆が、誰かがばらまいた米ドル紙幣に似せた金券をとろうとして将棋倒しになり36人が死亡した事故を想像して放った言葉と笑いで、女性店員に悪気があるわけではなく、軽い冗談だろう。
しかし、その「笑い」はわれわれ日本人が持つ隣国の人々への見方を示しているようで、隣にいるイスラム教徒も隣にいる中国人も、心の深層に「異質感」が居座り、何かをきっかけで表出する気軽さもありそうで、これが「笑い」でなく「怒り」でも、何かをきっかけに一同は同じく怒るのだろうかと、考えるとやはり怖い。
◆「中国」で笑う
昨年2月、東京都内で行われた日本・中国・米国の外交に関するシンポジウムでのこと。経営者層らを中心にした社会人向けに各国研究者や外交当事者ら第一線の専門家のパネリスト3人がレベルの高い情報を提供し、充実した議論を繰り広げた。
その中で、中国の専門家である東京大学大学院准教授は冒頭、「私は中国の専門家なんですけども、別に中国が好きで研究したわけではありませんので、まずそこをおことわりしたいと思います。中国を代弁するつもりもありませんので」と話し、会場から笑いが沸き起こった。そして複数回、この准教授から同様の発言があり、その度に会場は笑いの空気に包まれた。
この准教授を責めるつもりはない。気になるのは、この発言をさせる社会の雰囲気である。内情をよく知っているからこそ、話に価値があるのだが、それを誤解される、という思いを抱くのは明らかにこの准教授にネガティブな経験があるからだろう。そして、起こった笑いに違和感を覚える私が異質なのではないかと思えてしまうのも、いつの間にか社会は中国への嫌悪という気分で一致しているようで、そして、会場の聴衆はこの笑いで中国に対する見方について、その認識を確認し合っているようで、これもやはり怖い。
ただ、異質なものが笑いになること自体は否定されるべきではないし、むしろ肯定的に受け止めている。学生時代、インドを一周した旅で、世界を知らなかった私は、その異質な土地の異質な人々との触れ合いに、驚き、時には笑い、そして誰かに伝えたいと思った。
インド人のおどけた仕草、インド人のだましの話術、インドの街の様相、その異文化体験の一つ一つの多くは笑いに転嫁できるものだった。その笑いは、驚きと共に世界の多様性を、喜びを持って受け入れるこの世を謳歌する幸せの笑いで、多文化を寛容的に受け入れることの大切さを醸成したはず。多文化との接触を繰り返して、「異質」は笑えたとしても、排除すべきではないという判断が築かれたのだと思う。
だから、今回、怖い、という感覚が自分の「笑い」と何が違うのか、そして、その違いなるものを正確に表現できるのか、問い続けている。
◆屈託なく、を目指して
仏の「テレビ7」で放送された精神科医ボリス・シリュルニク氏のイスラム教過激派によるテロ問題を受けてのインタビューはインターネットを通じて世界で拡散している。ナチスドイツのフランス侵攻で、ポーランド系ユダヤ人の父母は隣人であるフランス人に密告され収容所で殺された。彼自身は奇跡的に生き延び孤児院で成長しやがて医者になるが、64年間話せなかったトラウマに悩まされ続けてきた。この立場から、インタビューは大きな影響力を持ち、今の「違和感」を感じる人から支持を得ている。
それは経験から導かれた寛容を説いている点で新しく異彩を放ち、そして説得力がある。例えば「彼らは異常な人物ではなく、絶望した普通の子どもたちです。権力を欲する一部の者たちが彼らを洗脳したのです。彼らは心理及び教育の面で問題を抱える見捨てられた子供たちです」と一般の人々に過激派たちに関する想像力の覚醒を呼びかける。
さらにこの現状で政治や社会は憎悪に根差した一方向へと進みがちだから、こう指摘する。「服従と復讐(ふくしゅう)、スケープゴートを見つける唯一の解決策は人々の知的団結である。そのため知性を養う必要がある。宗教や精神が異なっても、お互いに尊重し合うことです。異教徒であっても自分たちの敵ではなく、自分たちより劣った人物でないと認め、相手に敬意を表して実際に会話することです」
翻って私たちの周辺を見てみる。私たちは中国、韓国の人と言葉が違うという決定的な障壁で言葉を交わすことが少ない。だから、知らないことも多い。近年ずっと言われ続けていることだが、それを乗り越えなければならないのだろう。それが、今の「怖い」というストレスを軽減する手段である。
お互いが尊重し合えれば、隣国に対する「笑い」はきっと蔑(さげす)みではなく、本当に面白い、と腹を抱えて屈託なく、抱腹絶倒の親しみのある「笑い」になるはずである。
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