山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
経済から国境を取り除き、共に豊かになることがユーロランドの理想だった。現実は国家間の貧富、国内の格差を拡大している。
人々に一体感がないまま経済統合が進んだことが新たな問題を生んだ。ギリシャはその象徴である。総選挙で第1党に躍り出た急進左翼連合政権は「債務削減」を求め、欧州連合(EU)と交渉を始めた。「ユーロ離脱も辞せず」。EU側から妥協を引き出そうと懸命だ。
◆強い経済が勝ち続ける 大相撲のガチンコ勝負と同じ
共通通貨の理想は甘美だが、加わることの恐ろしさは、十分に認識されているのだろうか。通貨が持つ「格差是正機能」を失うこと。それが共通通貨に避けられない副作用だ。
ゴルフにはハンディがある。技量の違うプレーヤーが対等に勝負するための知恵だ。国家も同じ。ゴルフで腕前が違うように、国家間の経済力には差がある。
通貨は国の競争力を反映する。外為市場でレートが上下することで競争力は調整される。ギリシャには「ドラクマ」という通貨があった。ドラクマが安くなれば観光客が増え、オリーブの輸出が増えた。ドラクマ安は自動車やブランド品など輸入品の価格を上げ、消費にブレーキが掛かることで貿易赤字を減らす。
共通通貨とは、固定相場制と同じだ。競争力を調整する機能はない。相撲のようなガチンコの勝負になり、白鵬が連続優勝するように強い経済が勝ち続ける。
ドイツが空前の貿易黒字を稼ぎ出しているのはその表れだ。自動車、機械、化学など欧州に冠たる企業を抱えているのはドイツである。ユーロ体制は域内格差を拡大する。だからこそユーロ加盟には条件がある。弱すぎる経済は入れない。
ギリシャは加盟できる条件を備えていなかった。だが、2004年のアテネ五輪を盛大に催したいギリシャ政府は、自国通貨のドラクマでは難しい借金もユーロなら可能と考えた。ユーロ圏に入ることは一等国の仲間入り、という幻想が当時の欧州にあった。そこで政府は国家財政を粉飾してユーロに加わった。
そんな無理は続かない。ギリシャは返しきれない借金を外国から借りまくり返済が出来なくなった。いわゆるデフォルト(債務不履行)の危機。ギリシャが破たんすれば被害はユーロランド全体に及び、国際金融体制にも影響が及ぶ。
EUと国際通貨基金(IMF)が救済に乗り出し、支援と引き換えにギリシャは身を切る改革を迫られた。ギリシャ国民は納得いかない。2000ほどのファミリーが国家全体の資産の8割を握る、といわれる格差社会。一握りの金持ちが操る政府が犯した財政粉飾の責めをなぜ庶民が負わなければならないのかと。EUやIMFの指示に諾々と従う政府への怒りが急進左翼を政権に就けた。
ギリシャはユーロから離脱してドラクマに復帰すれば競争力の調整は可能になる。だが、ドラクマの対外信用は悲惨なものになる。新規の融資は受けられない。既存の借金はユーロ建てだから、返済は困難を極める。ユーロから離脱してもギリシャ国民は楽にはならない。
◆「同胞意識」も連帯感も育たぬユーロ圏
ユーロ体制はドイツに都合がいい仕組みだ。システムを維持するにはドイツがそれなりの負担をするしかないが、ドイツ国民は納得しない。「放放漫経済のギリシャをなぜわれわれの税金で救わなければならないのか」という声が圧倒的だ。背景にドイツ国内の格差がある。
EUでドイツは勝ち組だが、国内に目を転ずれば貧富の差は拡大している。とりわけ旧東独地域は所得が低く、失業率も高い。ギリシャを救う前にすべきことがある、という世論をメルケル首相は無視できない。カネを出す以上、ギリシャには身を切る努力を強く迫る。
外から見るEUは「共通の価値観を持つ先進国の集まり」だが、ゲルマンとラテンでは気質は違い、経済感覚も異なる。ギリシャはドイツがうっとうしく、ドイツはギリシャにあきれるばかりで、「もともとユーロのメンバーにすべきではなかった」という声さえ強まっている。
ユーロ圏は主権国家の集まりで、国家の利害を超える「同胞意識」は育っていない。仲間だからこちらのカネを向こうに回してやろう、という連帯感は熟成されてはいない。「イヤなら出て行け」という反応がギリシャに向けられるのは、運命共同体という意識がないことの表れだ。
◆沖縄は「日本の内なるギリシャ」
日本にも地域格差はある。その調整機能が予算配分だ。収益は東京に集まるが税金で徴収され、交付金や補助金となって地方に配分される。そうした調整が可能なのは国家としての同胞意識だろう。
EUにも域内の調整機能はあるが、国家を超える分配には限界がある。ギリシャでは緊縮財政で税金が上がり、年金が削られる。若者の2人に1人は職がない。それはギリシャの問題だ、と北の国は突き放している。
では、日本はどうだろう。円という共通通貨で結ばれ、稼ぎの少ない地方でもそれなりの営みができる。であるがゆえに、中央からのカネにすがることで地域にふさわしい創意工夫が妨げられていることはないのか。
例えば北海道。人口も面積も緯度もほぼ同程度のデンマークはうらやまし独立国家である。日本国に組み込まれたがゆえに人材を中央に吸い取られ、中央にすがる地方に甘んじたのかもしれない。
沖縄はどうか。復帰で円圏に組み込まれたが、本土に同胞意識はあるだろうか。過剰な基地負担を背負わせて「沖縄だから」と意に介さないのは、底流に差別意識があるからではないのか。
ギリシャで急進左翼が勝ったのと同様、総選挙で自民党候補は選挙区で1議席も取れなかった。米軍基地で中央政府に異を唱える知事が誕生すると、予算措置も冷ややかになり、面会を求めても首相は会わない。
沖縄は本土に愛想を尽かし、独立の機運が広がっているという。「日本国の内なるギリシャ」ではないのか。
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