п»ї 編集への信頼と疑いの心を持つ原点『ジャーナリスティックなやさしい未来』第49回 | ニュース屋台村

編集への信頼と疑いの心を持つ原点
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第49回

5月 15日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

 コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆古典から考える

前回のNHK「クローズアップ現代」問題を取り上げて、NHKそのものやメディアに関する言及をしながら、メディアというコミュニケーションの領域では、やはり基本となる考え方があり、その基本を私自身が学び直し、書き示す必要があるのでは、と考えた。

今回から、メディアを考える上で基本となる「古典」について小さくまとめていこうと思うが、その古典とはギリシャ哲学でもヘーゲルの弁証法でもなく、近代と呼ばれる前世紀の学者が示した実証や論考などをもとにしたメディアに関する暫定的な結論である。まずはテレビが写す「意図された欺瞞(ぎまん)」(引地)についての研究として知られるカート・ラングの「テレビ独自の現実再現とその効果・予備的研究」である。

この研究は、米国で1941年に白黒テレビ放送が開始されてから約10年が経過した時期に行われた。題材としたのは、朝鮮戦争での国連軍総司令官と極東米軍総司令官および日本占領の任務〔連合軍最高司令官〕を解任されて帰国し、米国全土で熱狂的な歓迎を受けていたマッカーサーの「熱狂的な」様相を呈した「マッカーサー・デー」の模様である。

テレビ映像で伝えられた「現実」と、実際の現場での聞き取り調査による「現実」の「二つの『現実』像」を比較したもので、この結果示された論考はテレビメディアの特性をあぶり出しているだけではなく、良識あるジャーナリズムを追究する過程で注意を払うべきテーマともなる、取材者が取材行為を通して現実を伝える、という行為に対して、「現実を伝達することの限界」も示しているといえる。

◆「期待」に応える演出

時代は1951年に米国のトルーマン大統領が「心理戦委員会」を立ち上げ、メディアを使ってのプロパガンダ放送の応酬による冷戦の始まりであり、この背景を考えれば、ラングが言うところの「テレビの影響はつぎつぎと人びとにコミュニケートされて、(中略)事件の『真の』像を、支配してしまう」との指摘は、テレビが、その強烈な波及効果でプロパガンダ戦に威力を発揮することを示唆しているような印象もある。

研究では、マッカーサー・パレードに参加する「冒険と興奮を求める」人たちの行動動機を「期待パターン」として、テレビ視聴者にも当てはめていることも面白い。それは私たちが今、言うところの「市場の要請」であり、「空気を読む」と言い換えられそうである。そして、マッカーサー・パレードのテレビ放送の現場では、テレビはその「興奮」を映像のフレーミングや解説者の口頭による表現で演出し、「期待のパターンを失望させるよりも、むしろそれを保持する方向に作用した」のである。

ラングは「テレビの現実再現性が、自動的に実現されるものではまったくない」「カメラの切りとりから除外された被写体の部分を、暗示と推測にゆだねる」とし、写された部分と写されていない部分のギャップを埋めるのは解説者と説明している。すなわちテレビは、映像の撮影から発信、放映の間に人の手が加えられることによって、映し出されたものがだんだんと現実から離れていく構造なのである。

イラク戦争でフセイン政権のバグダッドが米軍によって陥落し、市内中心部のフセイン像が倒された映像や写真には、歓喜する市民も一緒に映し出され、市民の熱狂ぶりを印象付けたが、実はあの広場にいた人の数はわずかで、写真や映像の切り取り方が、あたかも群衆がその像を打倒したかのイメージを作り上げたのである。近年でもその例は多い。

ジャーナリズムの視点から現実を伝えることを目指す場合、取材の現場から発信までの過程で加工を少なくすることがひとつの改善方法であり、その実践的な取り組みとしては、映像にコメントを一切入れず、説明のテロップもつけない、欧州の「ユーロニュース」の「ノーコメント」がある。

◆「現実」の特質

面白いのは、ラングは「そもそも人間の行為は、どの行為をとれば成功するかということによって導かれる」との人生論を導き出し、テレビという装置にしても、観察者のインタビューの方法論はさておき、「切り取り方」が重要との認識を示している。

この論文が提示した「社会的なムードの『圧倒的』効果と、社会的事件のインパーソナルな論理が、テレビ画面の一般的構造とテレビ視聴の文脈によって作りあげられるテレビの『現実』の特質であった」という結論は、今も通用し、テレビだけではなく発信に携わる関係者は深く認識するべき重要なポイントであろう。

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