佐藤剛己(さとう・つよき)
企業買収や提携時の相手先デュー・デリジェンス、深掘りのビジネス情報、政治リスク分析などを提供するHummingbird Advisories 代表。シンガポールと東京を拠点に日本、アセアン、オセアニアをカバーする。新聞記者9年、米調査系コンサルティング会社で11年働いた後、起業。グローバルの同業者50か国400社・個人が会員の米国Intellenet日本代表。公認不正検査士。
戦後70年の節目に、日本の安全保障のあり方についての議論が活発になっている。この分野で多少心得のある身としては言いたいことはあるものの、本稿ではシンガポール人の日々の言葉や行動から読み取れる彼らの兵役に対する考え方を紐(ひも)解いてみたい。そこからシンガポールが安全保障にどう取り組み、それが日本とどう違うか、8月15日を前に読者に考えていただく参考になれば幸いである。
◆シンガポール国軍の姿
今年建国50周年を迎えるシンガポール。陸軍を主体に約7万人が現役である。建国当時は歩兵連隊2個1000人しか自前の兵士がおらず、しかもほぼ全員が当時在住の非シンガポール人だったとされる。徴兵制が始まったのは、駐留イギリス軍が撤退を決めた1967年。周囲を大国(しかもイスラム教徒の国)に囲まれ、国土を守るには職業軍人だけでは足りない状況だった。イスラエルから極秘に専門家を招へいし、軍や徴兵システム、また諜報(ちょうほう)手法まで協力を仰いで今日の基礎を築いた。イスラエルとシンガポールは軍事面で今も協力関係にある。
対外軍事協力面で興味深いのは、台湾でのシンガポール軍訓練(「星光計画」)が75年から続いているのに対して、対抗する中国からの海南島提供の申し出は断っていることである。また、星光計画と同等の協力関係はフィリピンとも存在するとも言われる。
対内的には課題を抱えている。多民族融和を国是としているものの、77年までマレー系住民は徴兵されなかった。シンガポール半国営新聞The Straits Timesは87年、当時国防次官だったリー・シェンロン氏(現首相)が「[I]f the SAF (Singapore Armed Forces) is called to defend the homeland, we do not want to put any of our soldiers in a difficult position where his emotions for the nation may be in conflict with his religion」と、軍からのイスラム教徒排除を擁護するとも取れる発言を紹介しており、77年以降も相応の差別はあるようである。
◆2年の兵役、10年の予備役
「良心的兵役拒否」が許されない中、兵役逃れの問題が新聞に掲載されることもあるが、大方のシンガポール人は比較的、兵役を日常の一つと捉えているように筆者には見受ける。
「今日で終わるんだ。明日になったらビールが飲める!」
あるビジネスパーティーで一緒に話し込んだシンガポール人がうれしそうに話した。聞けば、晴れて2年の兵役を終えて予備役(Operationally-ready National Servicemen, or NSmen)になっても、その後10年、毎年40日は何らかの形で軍のトレーニングに参加しなければならないという。今回は「40日間、仕事の後は家でテレビを見続けること」がそれで、2年に一度くらいのローテーションで彼が所属する予備役組織に番が回ってくるらしい。
「何の番組でもいいんだ。で、時折テロップが流れるから、その指示に従う、という訓練さ」「何時間以内に、どこそこのトレーニングキャンプに集合っていうメッセージが、分かる人にしか分からないような符号で出てくる。そんなメッセージは滅多に出ないけど、だから待機中はアルコールは飲めない」
シンガポールの予備役は約95万人。うちの何万人かは常に、彼のように「深夜の待機者」として約7万2000人の現役部隊を補佐していることになる。約390万人の永住者(外国人を含めると約540万人)の国で7万人の軍隊というのは、居住者55.7人に1人が軍人ということになる。先進国のデータでは約250人に1人が目安とされる(日本は約550人に1人)。
◆身近な軍の存在
そのせいもあって、軍隊あるいは軍人は日常生活でも目に付く、かなり身近な存在だ。電車やバスでは軍服姿の若者を良く見かけるし、電車の改札で息子に別れを惜しむ母親の涙もある。街に出る限り軍服を見かけない日はない。
筆者が以前住んでいたコンドミニアムでは、向かいの若い夫婦は、日頃共働きだが、旦那さんは予備役の訓練で定期的に「出勤」していた。夫婦で社交ダンスが趣味だというためか、体格も性格も線は細く、「軍人」というイメージにはほど遠い。
別の60歳代の女性は「息子が軍に取られるのは嫌よ。けがして、もし死んだりしたらどうするよ、そんなことはないと思うけど。大学の時に付き合っていたはずの女性と別れてしまったのはかわいそうだったわ」と言う。息子さんが大学途中で兵役に行っている間、彼女はより大人に成長し、彼氏に満足できなくなってしまった、というわけだ(現役女性軍人はいるが、今のところ女性は徴兵されない)。
若者も、半ば複雑な気持ち、半ば自分を鼓舞しながら兵役をこなしているようで、新人予備役と思われる次の男性のブログからもそれが分かる(以下の「ORD」はOperational-ready Dateの略で、兵役終了日を指す)。
[In National Service days,] I told everyone right before ORD that I will miss my NS life. Everyone laughed and said I was crazy. One month later everyone started telling me they miss NS due to how stress free it was and with so much free time.
徴兵される若者の悲哀は浮かぶが、悲壮感、あるいは強烈な反軍意識は見えてこない。
徴兵された若者の軍隊での生活を描いたシンガポール映画「Ah Boys to Men」は、大成功の興業成績を収めたシリーズとして有名で、2012年リリースのシリーズ1はシンガポール映画史上最高の売り上げを記録。15年2月にシリーズ3が公開され、これも大ヒットした。最近は、子ども向け映画を劇場で見ると、予告編に海軍の宣伝ビデオがよく挿入されている。子どもたちに「カッコいい!」と言わせる映像がこれでもかというほど、流れるのだ。
◆国防への庶民感覚にインターナショナルな色合いを
国の政策とは別に、翌日からビールが飲めることを喜ぶビジネスマンも、社交団ダンスが趣味の青年も、筆者が聞く人ほぼ全てに共通するのは「だってシンガポールは小さいから、みんなで守らないと壊れてしまう」である。国が小さい、というのは事あるごとにシンガポール人が言うせりふで、文脈によっては言い訳に聞こえる。が、領土は小さく、人口は少なく、周りが大国と海賊に囲まれているのは事実だ。
マラッカ海峡周辺の海賊事案は2010年以降増加傾向が続き、今年6月だけでも2件のタンカーハイジャック、8件の乗り込み盗難事件が発生した。イスラム原理主義者はマレーシア、インドネシアに大勢潜んでいる。外敵がどこからやってくるか常時オンラインや非公知情報から危機の萌芽(ほうが)を探して分析する作業に、政府が「horizon scanning」という言葉を多用するのもうなずける。
建国時から国土を守ることが前提だったシンガポールだが、海外への派兵も積極的に実施している。組織が小さくあまり派手ではないが、アフガニスタン(2007年以降)、ソマリア沖の海賊対策イニシアチブ「CTF-151」(09年以降)などの他、数多くの災害救助などに軍を派遣している。いずれも「to enhance Singapore’s peace and security through deterrence and diplomacy, and should these fail, to secure a swift and decisive victory over the aggressor.」
(http://www.mindef.gov.sg/imindef/about_us/mission.html)という理念からだ。国民も、この理念を一定程度は受け入れているように、筆者には感じる。
日本はどうか。戦後、国土を他人に守ってもらうことが前提だった日本では、国民の国防への意識はシンガポールと異なる。が、例えばCTF-151は現在、日本の海上自衛隊から伊藤弘・海将補が司令官を務めている。自衛官が多国籍部隊の司令官に着任した初の事例で、自衛隊が少しずつ国際社会の防衛に軸を移しつつある事例だ。「なぜソマリア沖に日本(シンガポール)が出なければならないか」に考えを巡らせれば、政策の是非論はともかく、庶民感覚にもインターナショナルな色合いが出てくるのではないだろうか。
(※シンガポール軍の情報については同国政府からの開示が少なく、CIA.gov、CIA World Factbookなどを参照しました。)
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